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国産パソコン時代にそれ以外のメーカーは何をしてたか

FM TOWNS、PC-98、X68000などの国産パソコン時代がありましたが、それ以外のエレクトロニクス企業(ソニーからエプソン、ヤマハまで含む)は何をしていたのでしょうか? 例えば、パソコン市場を一笑に付して無視していた、すでに負けて撤退していた、社内に人材がいなかったなど。

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  • SPROCKETER
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回答No.5

 ソニー、エプソン、ヤマハが何もしていなかったわけではありません。ちゃんとパソコンを生産して販売していました。知名度が低かっただけの話です。  ソニーはSMC777という16ビットパソコンを生産していましたし、エプソンはPC98互換機のPC286シリーズを生産してNECと競合していました。ヤマハは8ビットパソコンのMSXに参入していましたね。  どのメーカーもパソコンを作らなかったわけではありませんが、市場を制覇して知名度を上げるまでには至らなかっただけです。  シャープはMZ80KからMZ2000までの8ビットパソコンシリーズ。X68000の16ビットパソコンシリーズまでは気を吐いていましたが、その後はDOS/V互換機路線に転じています。  富士通もFM8、FM7、FM77、FM77AVという8ビットパソコンシリーズ。32ビットパソコンのFMTOWNSシリーズまでは頑張っていましたが、こちらもDOS/V互換機路線に転じています。  PC9801シリーズでパソコン市場を制覇したNECも、結局はDOS/V互換機路線に転じています。世界の趨勢には勝てなかったということでしょう。  どのメーカーもパソコンの技術開発には莫大な投資をしていますが、成果を挙げたのNEC、富士通、東芝、エプソンぐらいまでで、日立、シャープ、ソニーが撤退し、東芝が経営危機に陥って、パソコン生産を海外メーカーとの合弁企業に分社化するメーカーが多数になりつつあります。  IBMがパソコン事業を中国メーカーに売り渡した頃から、勝敗が決まったように思いますね。

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回答No.13

追加で。 98の互換機を作ってたのは、エプソンとシャープね。98がシェア99パーセントを握ってた時代。 私が持ってたMZは、シャープ唯一のPC98後閑きりでした。98用花子が泊まるように動いてて、画面描写される線ひとつひとつが確認できるという、、、。 シャープは、MZの他に、PC、X1と、3つのラインを持ってました。 企業向けがPCシリーズ、個人の利用向けがX1、個人のプログラミングなどの趣味向けがMZなんじゃないかと。 富士通は個人向けがFMシリーズ、企業向けがFMRシリーズで、RがVに変わって今に続いています。 パソコンの機種ごとにアプリが開発されてた時代があって、表計算ソフトのはしりのマイクロソフトのマルチプランはマルチ8という三菱のパソコン向けに発売されました。今でもエクセルで読める表計算の共通形式シルク形式は、このマルチプランの保存形式です。 アイビーエムはパソコンがマイコンと呼ばれていたときかなり日本市場をなめていて、本国で出す機種の劣化版しか日本で売らなかった。 JXシリーズというのがあって、これように開発されたのが一太郎の前身でした。 アイビーエムは、撤退して、日本アイビーエム大和研究所に日本市場を譲るまで、一貫して企業向けでした。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.12

98全盛期、私が最初に就職した会社では顧客である関係で日立のパソコンを頑固に使い続けていました。表を作るソフトが入っていて、ACE3というもの、それ以外にNHELPというプログラミング言語の講習にまで行かされましたが、方眼紙のような専用の用紙に書き込んで入力する位置が違っただけで動かなくなるという代物で、頭の悪い私には習得することができず、早々に転職を考えるきっかけになりました。その会社は10数年後に大手電機機器会社の営業所として吸収されてしまい、今は跡形も残っていません。

noname#252929
noname#252929
回答No.11

>例えば、パソコン市場を一笑に付して無視していた、すでに負けて撤退していた、社内に人材がいなかったなど。 すでに書かれているように、各社パソコンを作っていましたよ。 書かれていない中から行けば、 任天堂は、ファミリーベイシックと言うOSを積んで、作っていましたし、 今のタカラトミーは、ぴゅうたと言う日本語BASICを搭載したパソコン。 セガは、IBMのDOS/Vを連携した、ゲーム機プラスパソコン(パソコンのシステムからでもゲーム機のシステムからでもお互いのシステムを動かすことができた特殊なものですが)を、作っていましたね。 シャープなんて、TVと合体させたパソコンTV C1なんていうのも出していましたね。 ソニーも、777のシリーズがありましたねぇ、 エプソンは、NECの98互換機、PC286、PC386シリーズを出していましたよ。 その後、PC/AT陣営に寝返って、今でもエンデバーというシリーズを売っていると思いますが。 ヤマハは、楽器メーカーですので、もともと音源コントロラーが強いですので、MSXと言う共通規格では、音源の良いパソコンを出していました。 富士通(パソコン部門)は、FMー8(タモリがCMやってた)、FMー7、FM77などから、PC/ATも作り出し、一時期はワークステーションのSunマイクロシステムズと一緒にスパークのSシリーズを作っていましたね。 三菱電機は、長嶋監督がCMをやっていたフローラと言うPC/AT互換機を出していましたね。 サンヨー、松下(家電部門)、セガ、ソニーなどは、MSXシリーズを出していたメーカーです。 その他、松下(ビジネス部門)と富士通(ビジネス部門)は、別系統で、パナコム系のパソコンを作っていました。 まだまだ書ききれないですけどね。 ただ、パソコンに関しては、基本設計の特許をIBMに抑えられているので、そのロイヤリティをIBMに払わないと行けないので、あんまり儲からないと言う状態なんですよねぇ、

  • pluto1991
  • ベストアンサー率30% (2015/6674)
回答No.10

富士通、NECなんかは企業ユース製品として作っていたのでしょうね。 かつてオフコンと言われたようにPC商売の主流としては個人ユースではなくてそちらなんだから。 IBMのPC/ATという統一規格ができるまでは各社オリジナルだから開発はなおさらむずかしくて手が出せなかったんじゃないでしょうか。 PC/ATになった後に日立や三菱なんかも一瞬PCを売り出したけどすぐに手を引いたんですよ。手は引いたけど実は法人営業では売っているんだよね。 これはお店で値段勝負しても勝てないし消耗したくないって経営判断だったんでしょう。お見事です。 

回答No.9

>日本アイビーエムのDOS/Vがでる前のことですね。 ゴメンナサイ。 テラドライブ、DOS/V機でしたね。

回答No.8

ソニー、三洋、松下、カシオ、シャープ、オンキヨー、バンダイ、セガ のパソコンを持ってました。 シャープのMZ、セガのテラドライブは、特にお気に入りでした。 日本アイビーエムのDOS/Vがでる前のことですね。

noname#233747
noname#233747
回答No.7

先にもありますが、ソニーはSMC-777をリリースするも、売れ行きが伸びず HiT-BiTブランドでMSX事業に参入 最終的にはMSX2+までリリースしていたから、MSX参入会社の中ではまあ成功した方かと 松下は、RX-78とかJRシリーズとかリリースしていましたが、売れ行きが芳しくなく 後にMSX事業に参入 MSXの最終機種であるTurboRまでリリースしたのは松下だけですので MSX参入会社の中ではもっとも成功した会社ですね ヤマハもMSX事業に参入していましたが、どちらかと言えば 音源チップのイメージが強いですね (X68Kの音源チップYM21511はヤマハ製です) 一応、各社独自のパソコンを出していましたが (日立のベーシックマスターとか、東芝のパソピア7とか色々ありましたね) NEC、SHARP、富士通のPC御三家に勝てず、撤退したか MSX事業に参入したかのどちらかですね 唯一の例外は、PC98互換機を作っていたエプソンくらいかな?

  • bardfish
  • ベストアンサー率28% (5029/17766)
回答No.6

MSXという規格のパソコンなら各社が作ってましたね。 Panasonicにヤマハも作ってたかな? 日立も8ビットパソコン黎明期にはベーシックマスターというシリーズを作ってたはずです。 東芝はパソピアだったかな? 他にも、今では信じられないようなメーカーからMSXパソコンが出ていたはずです。 NECのMSXパソコンは…記憶になぃなぁw ヤマハについてはパソコンだけでなくDXシリーズというシンセサイザーのほうが名が通っていたはずです。 MIDI規格を採用したDXシリーズとファミコンのゲームカセットみたいなMSX用のMIDI拡張ボックスみたいなものを使用して自動演奏が可能なものを出していたと思った。 ヤマハのDXシリーズは、今な「初音ミク」として知っている人のほうが多いのかな? ソニーはNEWSというシリーズのエンジニアリングワークステーション(UNIX)も出していましたね。 Panasonicは、パナファコムというシリーズのオフコンを出していて、富士通との合弁会社だったようです。 確かその頃にプリンターもブレイクスルーがあったはずです。 キヤノンとエプソンからインクジェットプリンターが初めて市場に出てきたのもその頃だったと思います。 それまでのプリンターといえば、インクリボン星要したドットインパクトタイプで10インチと15インチの連続用紙を使用したものが主流で、個人向けは殆どなかったはず。 エプソンはピエゾ素子を使用したインクジェットで、キヤノンはバブルジェット方式。 キヤノンからはA4用紙が使用できる持ち運び可能な小型サイズのBJ-10というポータブルプリンターがありましたよね。 ブラザーからは低価格(3万円程度?)の熱転写プリンターが登場し、それなりに売れたみたいです。 その頃の秋葉原は今のようなアニメの街ではなく、電子部品とパソコンパーツの街でした。 中古パソコンや中古ゲーム機のお店が立ち並び、ゲームセンターにあるようなゲーム機の基盤が売られていましたからね。

  • Dr_Hyper
  • ベストアンサー率41% (2483/6032)
回答No.4

NECのPC-9800シリーズが一般的になってきたころには,すでに多くの会社が敗退していた感じです。PC-80からPC-88がではじめたときに,家庭向けPCといいながら他社がすこしちゃちな感じのものを出し始めましたが,同時期にファミコンが出始めてしまい,パソコンを欲しがる子供と,ゲーム機が欲しい子供に別れ,その結果仕事にも使えないパソコンは次々に敗退していきました。

  • VIDEOFAN
  • ベストアンサー率20% (31/154)
回答No.3

初期にはシャープも作っていましたよ