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食品ロス運動の利点欠点限界盲点とは?
食品ロス運動の利点欠点限界盲点とは? 下記の食品ロス運動の現状の認識と 食品ロス運動を展開するための方法としての 文章について、皆さんはどのように思われますか? 食品ロス運動、 食べられるが捨てられていく 食糧を減らしていく運動。 日本が海外に対して、 支援している食糧以上の量を 日本は国内で捨てられている その理由は、 1. デパート、コンビニでは、 賞味期限切れの食費を そのまま、捨ててしまう フランスでは、 賞味期限切れの食品を 福祉団体に寄付しないと 高い罰金が課せられる、 その輸送費用までも デパート、コンビニ側が 払う。 日本でそれが実現しないのは 1.企業のコストになるため、 企業側が嫌がるため、 2.福祉、ロハス運動をたいした ことではないと思っている 3.貧困.、食べられないのは 自己責任で、 社会的構造的な問題との 認識がないため、 4.日本でたくさん 食品が捨てるられる理由4は たくさん安価な食品が 出回っているので、 人々が必要ないのにたくさんの たくさんの食品を買い、 冷蔵庫で、眠らせている いつか使うと思ってしまって 使うときは腐ってしまうため。 我々がするべきこと、 1.貧困をバックグラウンドにした 政治家を輩出することが 重要? 2.ロハス運動に対しての 情報発信をたくさんして。 減らすことの意識を啓蒙する? 3.我々が、政治家、 有識者にあって、 重要性を語る? 4.新たな団体、 ネットワークを創る? 5.若い世代には食育を通して啓蒙する? 大量生産、大量消費時代の 宿痾かな? 大量消費大量生産時代において、 我々は食品、食べ物について どのように関わり合いをもつべきなのだろうか? 食品、政治カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております。
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- iwashi01
- ベストアンサー率17% (187/1051)
大量消費をやめるということは それで成り立っている産業を成り立たせなくするということなので 無駄は良くないといっても じゃあそれで景気が傾いて生活が苦しくなってもいいのかどうか そう考えると もったいないとか、ロハスとかが 倫理的に良いことだったとしても それに取り組む側が はたして 貧しくなってもやりとげるとまでいえるのかどうか もしくは 大量消費をやめても貧しくならない産業を実現しないなら それはしょせん 生活に困っていない人の趣味ではないのかと思います 農業なんて 農産物の価格を維持するために 豊作になったら収穫せずに畑で丸ごと腐らせたりしますしね 食品を廃棄せず利用に回すためのコストが その食品を調達するコストを越えてしまったら 何のためにやっているやらですし まあ、手段が目的にならない程度に どうしても食べ残すときはお持ち帰りにするとか 残すほど買わない、注文しないという 節度をもって生きていこうとは思いますがね
- bardfish
- ベストアンサー率28% (5029/17766)
改行位置が不適切で読みにくい文章。 というのがパット見ての印象。 そういう文章は最初の数行で読むのをやめてしまいます。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
- doraneko66
- ベストアンサー率11% (535/4742)
究極は、食品を配給にするしかなくなりますよね。 人体にカロリー計算されるチップを埋め込み、それ以上のカロリーは取れない、頼めない、買えないようにする。とか そうすりゃたくさん食べたい人は、たくさん運動するしかなくなるし、食べ過ぎはなくなる。とか 食品も余計な量は買えなくなる。とか
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
お礼
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