役者にとって エチュードとは
高校で演劇部に入りました。
稽古内容として、よくエチュード(即興演劇)をやります。
みんな、いかに面白い展開を自分が盛り込むかを考えて演じています。
そして、おもしろい展開を作れる人が、芝居が上手いということになっているようです。
しかし、私はこれをお芝居の練習と考えることが出来ません。
演技というのは、与えられた設定に自分自身を溶け込ませ、与えられた役として生きることで動いた感情が、動きや表情にでることだと思うからです。
頭の中で、どんな展開にしようか考えながら演じるのは、与えられた役として生きてる状態ではないと思うのです。役ではなく自分自身として生きて、とりあえず役の動きをしているだけ、という風に感じてしまいます。
だから、エチュードは、演出家や脚本家育成のためには、素晴らしい訓練法だと思いますが、役者のためになるのか、イマイチ納得がいきません。
ちゃんと設定が与えられ、セリフがあり、その中でどうやって実際に感情を動かすのか、またその感情を、どうやって動きや声色や表情や雰囲気によって表現していくのか、そういうことを訓練する方がひつようなのではないかと思ってしまいます。そして、それができることこそが、芝居がうまいということなのではないかと思うんです。
そうは思いますが、演劇部といえば、エチュードだし、スジナシという番組もあるぐらいですから、私の考えの方が間違っているのだというのはなんとなく分かります。
でも、ピンとこないんです。
私と同じ考えの方はいらっしゃいますか?:
教えてください。どうしてエチュードは役者に必要なんですか?
面白い展開を作れるということは、演出家や脚本家ではなく、役者にとっての強みになるんですか?
お礼
ありがとうございます! インプロの方が即興性が強いと理解しました。
補足
きょう参観したワークショップでのエチュードでは、インプロよりも即興性が強かったです。人により団体により、曖昧な定義で使っているケースもあるようです。