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神社で神罰はある?
知人でとある神社に参拝した数日後からストレスの病で数ヶ月寝込んでいた人がいます。神社で何らかの神罰のようなものがくだることはあるのでしょうか?
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慈悲心というのは人の人情で、神様相手だと許してもらえるだろうと、無作法を働くと祟りはあるよ。 仏教の作法が、神に対する無作法になりうるんだ。 それからね、神社が発端の霊症に関して以前にも診断したことがあるけど、神様が直接バチをあてたんじゃなくて、それ以前の参拝客が神社に残した怨念をその知人は吸い込んだんだ。 神様にとっては、霊症でぶっ倒れた知人は、人の怨念を清めてくれた功労者だから、病後は何かと神様が認める幸運が舞い込むよ。 だから何ら問題がない。 まあ、このような成り行きだと了解してくれれば、命を取るほどの人の怨念を、神様が直々に浄化してくれるだろう。 神様は人を生かそうとしていて、直々の救いの後、浄化してくれた褒章として幸運だ。 なぜ人の怨念を吸い取ったかといえば、その知人が常識外れの悪党代表だったんだけどね。 それは名誉なことだからあまりくよくよしないでくれ。
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- izumi044
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お参りしただけで神罰が下るという話は聞いたことがありません。 他の方も書かれているように、神仏にお参りする方の中には強い野心を抱いている人や、人を蹴落としてでもといった人がおられ、そういった人の悪い気のせいで気分が悪くなったりすることはあるようです。 また、守護されている神のいる神社に行くと、とても晴れやかな気持ちになることもあるように、その逆で、相性の悪い神様の近くを通ると、体調に変化を感じるとおっしゃっている方はおられました。 しかし、その方は数か月寝込んだりはしていません。 人の気だったり、人からエネルギーを奪われたりと、「人」からの影響で数日寝込むことはあるそうですが。 それから、これは先日バスツアーに参加した時にガイドさんがお話してくれたことですが。 これからお参りをするぞという時に、神様のおられるほうから風が吹いてきたり、雨が降ってきた場合などは歓迎されている印なのだそうです。 お参りをされた時に、特にそういったことがなかったのであれば、神様が原因とは考えないほうがいいだろうと思います。 仮に神様からの影響だと考えるならば。 縁切寺に行き、体調を崩したことで縁を切りたい人や物事との距離が出来て無事に縁が切れ、結果万々歳ということはありえるかもしれませんが。 お参りしただけで神から神罰がくだるということは、まずないと考えていいんじゃないでしょうか。
お礼
ありがとうございます 悪縁断ちの試練だったのか、単なる病気だったのか、少し気になりますね(笑)
- meido2010
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その方に問題はありません。 先祖の因縁で敵対する神の神社にお参りするとそうなる場合もあります。 元会津藩士の家系の人が明治神宮に参拝すると体調を崩すとか。 織田信長に通じる家系の人が石山本願寺や比叡山延暦寺に参拝すると 体の具合が悪くなり二週間ほど寝込むとかはあります。 しかし、それほど深刻に考えることもありません。 一度、八幡神社に参拝して先祖の因縁を払ってみてはどうでしょうか。
お礼
ありがとうございます 敵対神社というのもあるのですね。
- fujic-1990
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神様が罰を下すことは(ほとんど)ありません。神罰という言葉がないわけではないのですが、ほとんど使われません。 罰と言えば、「天罰」「仏罰」のほうがもっと有名で、江戸時代のお寺は、人々の仏罰への恐怖を利用して金貸しをしていたそうです(仏罰が怖くて全員必ず返済した)。 さて神様ですが、罰は与えませんが、「たたり」ます。 祟りますが、たたりは日本の神様は自分に対して悪意をむけた人や地域に対してむけられます。罰というのは、ルール違反に対するものです。神道には経典がないので、経典に反した行為をしたから罰するということはありません。 例えば、「汝殺すなかれ」と教えてあるのに殺すと、罰せられま。が、日本の神様はそういう教えが無いので、人を殺したとしても神様がたたる・罰することはありません。そちらは仏罰の担当です。 また、祟る神サマも、祀ると祟らなくなり、威力が強い祟り神ほど、祀ると強い力をもって人々を守ってくれるようになります。 太宰府天満宮の「天神様」がその典型で、菅原道真を圧迫して太宰府に左遷しついには死なせてしまった藤原氏は雷神となった道真のたたりを恐れ、雷がなると「くわばらくわばら(道真の領地の名前:おまえの領地なんだから雷を落としてくれるな)」とおまじない言葉を唱え、ついには天満宮を建立して祀りました。 以後、天神様が学問の神様となって人々を助ける側に回った・・・ ことからわかるとおり、神社にお詣りした人に対して神社に祀られている神様がたたることはありません(お賽銭を盗む、社殿にいたずら書きする、境内で立ち小便するなど、悪意をその神様にむけた場合は別)。罰することもありません。 したがって、その知人さんの病気は、神様とは無関係、えん罪です。
お礼
ありがとうございます 神罰ではなかったみたいですね
- Michael-M-Peter
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参拝して神バツはないですね。唯一神罰は「死」だけだからです。 しかし「死」も実は人間にとっては「任務完了」の死も「救い」の死もあるので、死を賜ったからバツとは言えないのです。つまりわからないと考えるべきです。罰はバツともバチとも読めます。 「アタる」というのがあります。普通の人にとっては大した刺激でなくても特定の人には強すぎて健康を害する刺激があります。私は「人アタり」とします。大勢の人がいると具合悪くなって逃げだします。そこまでいかなくても家に帰ると暫く寝込みます。湯あたりは普通は気持ちいお風呂でも時間や成分などによって短時間でのぼせることを言いますね。「あたり」は普段はなんともなくても体調などで起こる人も居ます。いつもなら良く効く薬でも状態によっては副作用が出てひどい目に遭います。 「神あたり」というのは正常な空気や神様の気に対し「アタル」ことを言います。 もう一つ「バチ」があります。 バチは昔三味線のお師匠さんがお弟子さんに対し、間違えるとバチで手の甲を叩くことからこう言われました。さて、そんな厳しい修行をされるのはどんなお弟子さんでしょうか? お弟子さんには大きく分けで三通りいます。一人は金づる。三味線よりお師匠さん目当てでやってきていろいろ資金提供や貢物をします。もう一人は三味線で身を立てようとしている見込み有るお弟子さん。もう一人は志はあってもどうにも素養のないお弟子さんです。 金づるのお弟子さんにバチなどで叩いてへそを曲げられたら辞めちまいますから、こういう人には誉めそやしていい気にさせて金を引き出す。またどうにもならないお弟子さんはバチなど当てずにほかの生きる道を探した方がいいと説得するでしょ。バチを当てるのは素養があり見込みがあるお弟子さんだけです。 神様も見込みがある、将来があればバチ(撥)は当てるでしょうね。だから神社で不都合なことが起きて、その原因が自分のソソウだと思ったら喜んで神様に感謝すべきなのですよ。 まぁ、これもバチなのか偶然なのかは誰にもわからないのですけどね。
お礼
ありがとうございます とても興味深いお話でした
- 藤岡 弘(@takirahja)
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神仏は普段から長く信仰心厚い信者が 煩悩や悪意我欲に惑わされて 本来の善行を行う精進の道から外れそうな時に「そうではありませんよ正しくしなさい」と 諭す! 為にちょっとした容易に解消出来る軽い厄介事で警告を与えます。 この方どの程度の頻度や丁寧なる拝礼やお願いしたかは分かりませんが、ちょいと一度出向いた程度でお導き下さる事は稀でしょう。 この参拝に関わらず、別の由来の因縁により病気へ至った。数ヶ月寝込んだという被害?実績から外の憑き物を拾った可能性もありますが、今は回復して居るならば何ら心配は要りません。 繰り返しますが神祇参拝とこの方の病気は無関係。神罰はあるもののこの様な当て方はしない。信仰者が深く反省し正しい善行精進へ戻る御諭し御導き警告であると明確に分かる重大でない軽い内容です。
お礼
>憑き物を拾った可能性 こういうものものあるのですね。たしかの夜の神社はそういうものがいると聞いたことがあります
- torje
- ベストアンサー率9% (23/231)
ないでしょう。むしろ参拝したから数ヶ月で治ったのでは? 神仏は大難を中難、中難を小難、小難を無難にしてくれるそうです
お礼
ありがとうございます
- walnut1111
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神は 人間に罰も徳も与えません・・ 神は 人間に対し 何も しません・・・ すれば 人間は 神以下の存在にしか ならない・・ 神は 人間を「神の子」として 創造しました・・ 親が子に願うのは 親より立派な人に なって貰いたいって事・・ 神が手を貸さないと 出来ない人間に 神を超える事は不可能・・ だから 神は 何も しません・・
お礼
ありがとうございます
- 177019
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「神罰?」そんなものは一切ありません。ストレス病で寝込んだ人は元々すでに参拝の前に何らかの兆候があったはずですので、神社に参拝と病気とは一切因果関係が成立しません。「お守り」にしてもこのサイトに「買ったけどご利益が無い」とした相談が沢山寄せられています。あらゆる神々は正しい仏様の臣下にあり、その仏様を信じる衆生を護り助ける事が神々の役目であります。王(主)である仏法をないがしろにして家臣である神々を崇める事は謀反であり、従としての神のみを信仰する事は本末転倒であり何の利益にもなりません。
お礼
ありがとうございます
お礼
ありがとうございます たしかに個人的な欲を願う人が多いので、そういうものがたまっている場合があるそうですね