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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:親孝行に関して)

親孝行とは?親孝行の重要性とは何か

このQ&Aのポイント
  • 親孝行に関する文章を要約すると、親孝行は他人を測る大きな物差しの一つであり、自分がいい歳になるとその重要性を理解するようになると述べられています。
  • 浅野拓磨選手は貧乏で子だくさんの家庭で育ち、親兄弟のためにサッカーで金を稼ぎたいと胸を張っています。このエピソードから、親孝行をする人を応援しようと思う気持ちが生まれると述べられています。
  • 親孝行についての質問への答えを期待しているということが文章の最後に述べられています。

質問者が選んだベストアンサー

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  • citytombi
  • ベストアンサー率19% (1721/8628)
回答No.1

両親はとっくに亡くなっていますが、これといった親孝行はできなかったですね。 そもそも、何が親孝行だったのか分からない時期がありました。 社会人になって落ち着いた頃に、両親に5万円を渡して、“これで好きなものを買うなり、どこか旅行に行くなり、好きに使って・・・”と言って渡したことがありましたが、その直後に母親に乳ガンが見つかって入院することになりました。 母親が、申し訳なさそうにお金を返してきた時の顔は忘れられません。 その後10年以上経ってから父親もガンになったのですが、亡くなるまでの3ヶ月は病院に泊り込んで看病しました。 やがてトイレに行くのが大変になってベッドの脇に簡易トイレ設置されましたが、ある日排便後の処置をしていた時に父親が、“臭くないのか?”と聞いてきたことがありました。 私が、“家族だもん、臭くないよ”と言った時に、父親の目から涙がツーッと流れたのを覚えています。 その時に、あー、ちょっとは親孝行が出来たのかな・・・と思いましたね。 母親が亡くなって約30年、父親が亡くなって15年が経ちますが、機会ある毎にせっせと墓参りに行っています。

isoken
質問者

お礼

citytombi さん、おはようございます。 >そもそも、何が親孝行だったのか分からない時期がありました。 それはそうなんでしょう・・きっと、私だって若い頃は親孝行の 「 お 」 の字も考えた事が無い。 >その後10年以上経ってから父親もガンになったのですが、亡くなるまでの3ヶ月は病院に泊り込んで看病しました。 口で言うのは簡単ですが中々出来る事じゃない、ましてや仕事があり家庭があれば尚の事そうでしょう。 私を含め世の多くの人々は、それを免罪符に親孝行というものを怠っているのかも知れません、恥ずべき事です。 >私が、“家族だもん、臭くないよ”と言った時に、父親の目から涙がツーッと流れたのを覚えています。 男同士だからこそ分かり合える事、逆に弱った自分を見せたくはないという想いがおありだったのかも知れませんが、そうですか、ぐっと来て何も言えません。 私だったら恐らく号泣していたろうと思います。 >母親が亡くなって約30年、父親が亡くなって15年が経ちますが、機会ある毎にせっせと墓参りに行っています。 これまで両親の老いや死というものから、意図的に目を背けて参りました、ただ80を過ぎた父母を抱えそうは行かない現実がある。 citytombi さんは確か私と同年代であったと記憶しておりますが、随分早くに悲しい思いをしておられたのですね。 両親の墓前に花を手向ける自分・・、一刻でも先であって欲しいと願うばかりです。 いい話をありがとうございました。

その他の回答 (11)

  • kamejrou
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回答No.12

こんばんはisoken さん こんばんはと言う時間でもありませんが 熱っぽいものですから日中ソフアに横になりうとうとしておりましたら さあもう眠れない目がさえていけない 補足をいただいたようです ありがとうございました 少しお話しましょうか? 一般にこの「マフイア」といわゆる「コーサ・ノストラ」は同じ意味で使われる ただこれは本来明確に区別されるべきものでしょう 話しが煩雑になりますので「マフイア」にしますが この「マフイア」の歴史と言うのは実に面白い 起こりと言うのは日本の武士の起こりに似ていなくもない これが時代の変遷と共にアメリカへ渡るのですね Isoken さんご存知のように「ゴッド・フアザーPART II」、での 幼いコルレオーネが貨物船に乗ってニューヨークの港に着くあのシーンです 先日、私はマフイア映画には長い歴史があると言いましたが やはり1930年代の「禁酒法時代」の「アンタッチャブル」、 これは後年ケビン・コスナーとデ・ニーロでリメイクされましたからisoken さんもご存知 昔は同名でTV ドラマでやっておりましてね エリオット・ネスにはロバート・スタック、私が小学か中学生の頃でしょうかねえ 当時はアメリカのドラマとは多いものでしたね 「西部劇」「ホームドラマ」とまあ色々でしたがアメリカと言う国への憧れもあったでしょう 幼いコルレオーネと似ておりますねアハハハハ ついでですから少しこのTVの「西部劇」の話しをしてみましょうか? 多かったですねえ 今思いつくだけでも「ララミー牧場」「ライフルマン」「拳銃無宿」「ローハイド」、 「ローハイド」などは毎週観ておりましたが あのクリント・イーストウッドがよもやここまでの名優、名監督になろうとは 人と言うものは分からないのです 話しが横道にそれましたが頭がまだ正常ではないのでご勘弁、 まあ私はあまり変わりませんがね この映画とマフイアとも密接な繋がりが出来る ジョージ・ラフトと言う俳優さんがおりましたが この人はジェームズ・ギャグニー、E ・G ・ロビンソンと並ぶ往年のギャングスター この人などはランスキー、シーゲルなどとは幼馴染みであったと言う Isoken さんはご存知でしょうがビリー・ワイルダー監督で「お熱いのがお好き」、 この映画には晩年のラフトも出ておりますが、 「聖バレンタインの虐殺」を目撃するところからこの映画は始まる このように映画はマフイアとは繋がりが深いのでしょう 「ゴッド・フアザー」でもジョニーのモデルはフランク・シナトラでしょうし 何やら山口組の神戸芸能社と芸能界との関係に良く似ておりますね 長くなりましたのでそろそろ強引にまとめに入らねば 私が1930年代からのあの世界が面白いと思うのは 日本の戦国時代、あるいは幕末、あるいは終戦直後の混乱期と似ていなくもない 日本のヤクザ社会もまた同じようなものであったからでしょう さて、もうこの時間もう少しすれば新聞もくる 今日までお休みですか?

isoken
質問者

お礼

kamejrou さん、おはようございます。 朝晩は少しばかり涼し過ぎる気もしますが、いい季節といっていいのでしょう、・・と同時に関東以北が紅葉シーズンに差し掛かりましてね、どこかに連れてけ・・とまあ家内が煩い事。 私は日光や五色沼の大渋滞で喰らった地獄絵図でほとほと懲りておりまして、正直どこにも行きたくないのですが・・、 kamejrou さんの奥様は言われませんか? >一般にこの「マフイア」といわゆる「コーサ・ノストラ」は同じ意味で使われるただこれは本来明確に区別されるべきものでしょう 御指摘の通り本来この両者は明確に違います、それにも増して kamejrou さんが 「 コーサ・ノストラ 」 と書かれたのが興味深い、一般には 「 コーザ・ノストラ 」 と言いますね、前者はイタリア語であり後者はシシリー訛り。 >この「マフイア」の歴史と言うのは実に面白い >起こりと言うのは日本の武士の起こりに似ていなくもない 地中海の十字路に位置するシシリーは、イタリア本土・フランス・キリスト教騎士団・イスラム系勢力或いはその他から受ける侵略と略奪の歴史であった、故に遥か後年犯罪組織の代名詞として語られてしまうマフィアそもそもの成り立ちと本質とは、自警団であり武士の起源と似ている事、全く以って仰る通りであろうと思います。 >これが時代の変遷と共にアメリカへ渡るのですね >Isoken さんご存知のように「ゴッド・フアザーPART II」、での >幼いコルレオーネが貨物船に乗ってニューヨークの港に着くあのシーンです 新天地アメリカ・・いつ見てもあのシーンは、グッとくるものがありますねぇ、加えて ニーノ・ロータ が奏で地中海をイメージさせるあのメロディ・・、あれがまた罪作りでありまして。 >先日、私はマフイア映画には長い歴史があると言いましたが >やはり1930年代の「禁酒法時代」の「アンタッチャブル」、 >これは後年ケビン・コスナーとデ・ニーロでリメイクされましたからisoken さんもご存知昔は同名でTV ドラマでやっておりましてね 知識としては知っておりますが、残念ながら記憶にないんです、この辺り我が家では親父の独り舞台でありました。 さて派手な性格とパブリシティの巧みさに依り、犯罪界の超大物として喧伝された アル・カポネ ですが、kamejrou さんが触れられた通りシシリーの血が入っていなかった彼は、遂にマフィアの本流にはなれなかった、まあ オメルタの掟 が為せる業といっていいのでしょう。 >この人などはランスキー、シーゲルなどとは幼馴染みであったと言う >Isoken さんはご存知でしょうがビリー・ワイルダー監督で「お熱いのがお好き」、この映画には晩年のラフトも出ておりますが、 >「聖バレンタインの虐殺」を目撃するところからこの映画は始まる このように映画はマフイアとは繋がりが深いのでしょう あの マリリン・モンロー の出演作ですから、遥か昔に観た記憶はありますが、はっきりと覚えてないんです。 ところで『 ゴッド・ファーザー 』のラスト・シーンで見られる大虐殺は、フランシス・コッポラーが 「 聖バレンタインの虐殺 」をヒントにしたものではないでしょうか。 >「ゴッド・フアザー」でもジョニーのモデルはフランク・シナトラでしょうし何やら山口組の神戸芸能社と芸能界との関係に良く似ておりますね その辺りの事情はアメリカも日本もそう変わりはありませんね、ショー・ビジネスとは本来そういうものでしょう、我が国で言えばそもそも興行界の大立者そして主要小屋主が、やくざでありその周辺居住者ですから・・。 それとマフィアとの繋がりそしてカムバックに至るストーリーを見る限る、間違いなく シナトラ ですね、彼以外に考えられません。 ところで世上 ヴィトー・ジェノヴェーゼが 『 ゴッド・ファーザー 』 のモデルという説が強いようですが、私は腑に落ちない、恐らく kamejrou さんもそう感じておられるでしょうが。 ジェノヴェーゼ の資金源は麻薬と売春です、映画の ドン・コルレオーネ が固く戒めているその2点、それと ジェノヴェーゼ には ドン・コルレオーネ が醸し出す重厚感が無い、個人的には サム・ジアンカーナ そして カルロ・ガンビーノ 辺りの複合形であろうと思っております。 >私が1930年代からのあの世界が面白いと思うのは 日本の戦国時代、あるいは幕末、あるいは終戦直後の混乱期と似ていなくもない日本のヤクザ社会もまた同じようなものであったからでしょう マフィア・やくざに関しては恐らく一晩語っても話が尽きない、それほど興味深い世界ですが、それにしても『 ゴッド・ファーザー I&II 』・・、どうしてこんなにも面白いのか、私にとってはいつまでも色褪せないハリウッド映画の金字塔であります。 回答ありがとうございました。

isoken
質問者

補足

全くの余談ですが、今週は例の 東急セブンハンドレッド で、女子ゴルフのトーナメントが開催されておりましたね、富士通レディース・・。 珍しく日本勢が上位を独占しまして、見ている方としても楽しかったのですが、戦略性といいいグリーンの状態といい、やっぱりいいコースですねぇ、私がセブンハンドレッドに行ったのはもう随分前の事になりますが・・。 元々法人ニーズの高い高級コースでありましたが、18ホール換算の正会員数はあの超名門 小金井 C C よりも少ないんです、つまり首都圏では予約が取りやすい屈指の名門コース、久し振りに行ってみたいと思いました。

回答No.11

こんにちは。 ご無沙汰してます。 私の場合は、ちょっと家庭環境の問題で親孝行と言うより祖父孝行です。 両親とも健在ですがそれぞれの家庭が有りますので、前夫前妻との間の私と、どう接して良いのか難しいのでしょうね。 異父妹だけは飲食業に興味が有り良く来るので、長期お休みは家でバイトしてます。妙なバイトをするより母も安心でしょうから、間接的な親孝行ですかね。 妹は帰国子女なので英語はペラペラで、スペイン語が日常会話程度な物ですから、外国人のお友達も多く、バルの立ち上げにも助かりましたが、これは又の機会にします。 isokenさんには祖父のお話を致しますと、それはお爺さんも良かったと仰って下さるので、何時も嬉しく、ありがたく思っています。 以前お話しましたが、祖父は親分肌なので起業して会社社長の肩書きも、大いに気に入ってる様子ですし、昔から商売をしたかったみたいで良かったです。 母や叔父にしても、私が同居は安心ですし大賛成です。 祖父がお寿司が食べたいと言えば、夕食に用意します。出前ならまだしも、そんな家庭無いよと、妹に言われましたが、貴女に美味しい物食べさせようと、爺ちゃんは考えてくれてるんだから感謝しなさいと言いましたら、なんちゅうポジティブだと笑われました。 私としては世間体も有りますから、レズビアンの相方まで全てを受け入れてくれてる、理解者でも有る祖父には感謝しています。一大決心だったと思います。 祖父のやりたい事、好きな物や美味しい物は健康を考え何でも作ります。 ご近所の方にも、若い子と同居で若返ったんじゃないと言われてます。 お話する機会がなかったのですが、祖父の提案で相方と2人で祖父の養子に入りました。税制上は1人なようですが、民法上は制限が無いそうで、これで相方とは姉妹になれました。より絆が深まった気持ちで嬉しいです。遅れ馳せながらご報告致します。

isoken
質問者

お礼

yuria さん、こんばんは。 こちらこそ御無沙汰しております。 >私の場合は、ちょっと家庭環境の問題で親孝行と言うより祖父孝行です。 >両親とも健在ですがそれぞれの家庭が有りますので、前夫前妻との間の私と、どう接して良いのか難しいのでしょうね。 これはですね、私如きが口を挟める事じゃありませんが、やっぱり yuria さんがお取りになった道が正解でしょう。 仰る通り、お爺様や妹さんとの円滑な関係は、お母様への間接的な親孝行でもありましょうし・・。 >妹は帰国子女なので英語はペラペラで、スペイン語が日常会話程度な物ですから、外国人のお友達も多く、バルの立ち上げにも助かりましたが、これは又の機会にします。 英語にスペイン語ですか・・そいつは凄い、それにしても妹さんとは戦略的互恵関係というやつですね。 >isokenさんには祖父のお話を致しますと、それはお爺さんも良かったと仰って下さるので、何時も嬉しく、ありがたく思っています。 >母や叔父にしても、私が同居は安心ですし大賛成です。 何にせよ、身内ってのは事情が許す限り寄り添うのが一番だろうと思う、それに血の繋がりがあれば互いに楽でありますしね、余計な説明を必要としませんから。 >お話する機会がなかったのですが、祖父の提案で相方と2人で祖父の養子に入りました。税制上は1人なようですが、民法上は制限が無いそうで、これで相方とは姉妹になれました。より絆が深まった気持ちで嬉しいです。遅れ馳せながらご報告致します。 おめでとう! 法の整備はいつの世もその実態から2~3歩遅れるものです、それまでは各人が工夫を凝らして凌がねばならない、それにしてお爺様はフレキシビリティがある知恵者ですねぇ、そりゃ良かった。 回答ありがとうございます。

回答No.10

isoken先生、こんばんは。 私が小学生の頃に離婚した両親、私は母親に引き取られ女手一つで小中高と面倒見て貰いました。 当時、母は昼夜と仕事をし、ろくでもない私を養ってくれてましたが、 アホな私はセオリー通り?グレましたねぇw 当時は思いませんでしたが、今思えば寂しかったのかもですww で、そんな私も親の立場になり、 当時の母ちゃんの苦労がほんの少しかもですが分かるようになり、 今のうちに孝行してぇな~って思うようになりました。 まぁ、ちょっと前まで小遣いが足りない時に 「母ちゃんスマン!来月返すから嫁に内緒で一万貸してくれ!!」なんてほざいてましたけどw ここ一年は、ひと月に一度は近所の焼き鳥屋に飲みに行き、色々話をしてます。 高校時代から20代後半くらいまで、会話なんてほとんどなかったから、その期間を埋めるように色々会話してます。 こんなの親孝行の内に入らないでしょうけどね~(笑) 恥ずいけど、生きてるうちに少しでも一緒に入れたらいいなぁ~。

isoken
質問者

お礼

chacha 師匠、おはようございます。 >当時、母は昼夜と仕事をし、ろくでもない私を養ってくれてましたが、 >アホな私はセオリー通り?グレましたねぇw >当時は思いませんでしたが、今思えば寂しかったのかもですww 両親の離婚でグレちゃうのがセオリーであれば、やんちゃだった息子が長じて親思いになって行くのもまたセオリー、家庭環境に恵まれいい子だった奴ら以上にです、お母様を大切にしてあげて下さい。 >で、そんな私も親の立場になり、 >当時の母ちゃんの苦労がほんの少しかもですが分かるようになり、 >今のうちに孝行してぇな~って思うようになりました。 昔の親ってのは偉いもんで、安易に行政に頼ろうとはしなかった、師匠のお母様もそりゃ御苦労されたと思います。 >まぁ、ちょっと前まで小遣いが足りない時に >「母ちゃんスマン!来月返すから嫁に内緒で一万貸してくれ!!」なんてほざいてましたけどw あっ、それね!、私もよくやってました。 結婚当初多額の借金を家内に肩代わりしてもらっていた私は、結婚して3~4年の間ずっと小遣い制だったんです、それも月5万円也・・。 そんなもの昼飯とタバコ代で消えちゃって博奕も女遊びも出来ない、カードも管理されておりましたからその手も使えない、海よりも深い母の愛に縋ったのはそんな時です。 まさかその金が競走馬のまぐさ代やホテル代に消えていたとは、お袋も思わなかったでしょうが・・。 >ここ一年は、ひと月に一度は近所の焼き鳥屋に飲みに行き、色々話をしてます。 >高校時代から20代後半くらいまで、会話なんてほとんどなかったから、その期間を埋めるように色々会話してます。 いい話です、お袋さんも喜んでおられるでしょう、まさかあの chacha とこういう時間を持てるとは ( ごめんなさい ) ・・と、続けて欲しいですねぇ。 でも不思議ですよね、昨夜喰ったものを思い出せない両親が、私がガキだった頃の話はよく覚えている・・、ありがたいものです。 回答ありがとうございました。

noname#231734
noname#231734
回答No.9

こんにちは(^-^) 親孝行ですか・・ あまり出来ていると思えませんけど・・。 時々食事や旅行に連れ出したりするくらいですね。 月に二度ほどは実家に帰って掃除その他家事をしたり・・。 家が近ければ、もっと頻繁に帰れるのでしょうけど。 実家に行くと、帰る時両親とも 「ありがとう」と言ってくれます。 そんなに大したことしてないんですけどね。

isoken
質問者

お礼

coffee-bean さん、おはようございます。 >親孝行ですか・・ >あまり出来ていると思えませんけど・・。 まあ coffee-bean さんの場合は御謙遜でしょう、親孝行に限っては幾らしてもし過ぎるという高見がない為、そう思われるに違いないと・・。 >時々食事や旅行に連れ出したりするくらいですね。 >月に二度ほどは実家に帰って掃除その他家事をしたり・・。 いやいや、充分だと思います。 思うに今の世の中、息子を持つより娘を持った方が幸せなんでしょうかねぇ、私を含め倅ってその気持ちがあっても中々実践に移せない事が多い。 うちも妹が実家に度々顔を出しましてね、色々としてくれているようです。 回答ありがとうございました。

  • kamejrou
  • ベストアンサー率17% (191/1107)
回答No.8

こんにちはisoken さん 少し熱があるのですがそうも言っておられない Isoken さんとmikasa さんの会話に口を挟むようでまことに申し訳ないのですが 〉孝行とは何をすれば良い? 「孝経」に言う 「身体髪膚これ父母に受く  敢えて殷傷せざるはこれ孝の始めなり」、 私はそう言うことかなと?思いますね 親は物見遊山の親孝行を望んでいるだろうか? ただただ、子供が無事に平穏に生活してくれる事が嬉しいに違いない 私は親とはそんなものだと思う 自分の生活もおぼつかない人間に親孝行など考えられるものか Mikasa さんが今、親孝行を考える生活が落ち着いているのでしょう それが何にも勝る親孝行です 最後に「親孝行したい時に親はなし」、仰るとうりなのですが 親孝行出来るときには親がいない 人生とはまことに皮肉なものです

isoken
質問者

お礼

kamejrou さん、おはようございます。 その後お加減如何でしょうか?、あまり無理はなさらぬよう御自愛頂きたいものです。 >「身体髪膚これ父母に受く  敢えて殷傷せざるはこれ孝の始めなり」、 私はそう言うことかなと?思いますね 親孝行のいろはの 「 い 」 なんでしょうね、ケガ・病気はもとより親より先に逝くなんて以ての外という事。 朝鮮半島にも似た諺があります、 「 血は母より受け継ぎ、骨は父より受け継ぐ 」 、それこそ 梁石日氏著 『 血と骨 』 のタイトルも恐らくここから引用されているのでしょう。 >ただただ、子供が無事に平穏に生活してくれる事が嬉しいに違いない 私は親とはそんなものだと思う 自分の生活もおぼつかない人間に親孝行など考えられるものか それはそうでしょう、ただその逆は必ずしも真ならず・・、つまり経済的に豊かな人間その全てが、決して親孝行ではないという事でありまして、そんな罰当たりな話はそこいら中に転がっている。 さて私事で恐縮ですが先日母方のお墓参りに行きました、母は3姉妹の末子なんですが、久し振りで顔を合わせた母の直ぐ上の姉には2人の倅がおります。 つまり私のいとこに当たるのですが、私と同い年の長男はとある一流大学を出て長年都庁に勤務後、今はさる外郭団体の理事というまあそこそこ恵まれた環境にある、ところが肝心の伯母の面倒は、幼い頃より小児麻痺を患い、後遺症も残って将来を危ぶまれていた弟が見ているんです、その一切合財を・・。 まあこの兄貴というのがデコスケもいいところでして、金持ちの家からもらったブサイクな嫁さんの尻に敷かれて、旦那に先立たれた80代の母親の面倒を一切見ようとしない、・・どころか孫の顔さえ見せたがらないという。 祖父の遺産相続で揉めて以来、我が家は父方の親戚とほぼ絶縁状態にありましたから、私が語る事が出来る親戚の思い出は母方が全てなんですが、私はこの伯母と亡くなったその連れ合いには殊の外可愛がってもらいました、そりゃもう実の子のようにです。 私は伯母と久し振りに会い、この10年で一気に老いたその姿に涙が出る思いでした、しかも涙ながらにその一部始終を聞かされた私は怒り心頭で、すぐさまいとこに電話して怒鳴り散らした 「 直ぐ行くから、嫁と二人で正座して待ってろ !」 ・・と。 私の剣幕に驚いた彼が恐らく嫁さんを逃がしたんでしょう、私の利かん気は 無論幼い頃から知っておりますから、何を言い出すか分かったもんじゃない、もっとも私としては嫁さんにあたる筋合いはない、責められるべきは実の母親を蔑ろにするこのいとこの方です。 「 一体全体お前さんは、誰のお陰でいっぱしになれたんだ 」 ・・と、ただまあ駄目な奴は幾ら言っても駄目です、その後もさして変わりないみたいで。 >Mikasa さんが今、親孝行を考える生活が落ち着いているのでしょう それが何にも勝る親孝行です 思うに、 mikasa さんの御家庭は私が思い描く理想に近い、可愛い子供達と御両親が揃って御健在とは羨ましい限りです、故にその文章に垣間見える彼の安定感もそこにあるのでしょう。 >最後に「親孝行したい時に親はなし」、仰るとうりなのですが >親孝行出来るときには親がいない >人生とはまことに皮肉なものです 私としても、心せねばと思っております。 回答ありがとうございました。

isoken
質問者

補足

言い忘れましたが、マイケルがハイマンの伝手で革命直前のキューバに投資し、表の顔である企業コングロマリットの代表者として、大統領との晩餐会に招かれたシーンがありますよね。 ところでマフィア粛清の嵐が吹き荒れた1950年代初頭、マイヤー・ランスキーはフロリダに拠点を移しましてね、軍事クーデターを起こしたキューバのバティスタ政権を財政面から支援し、カジノ利権を一手に握りハバナに莫大な資産を築いた。 ところがキューバ革命が起こって全てパー、カストロの首に多額の懸賞金を掛けたと言います。 御参考まで・・。

回答No.7

イソケンさんこんにちは! 私は可愛い孫をじじばばに押し付けるのが親孝行と勘違いしております。実家から徒歩10分の距離に家を建てたので、何かと便利に使わせてもらってきました。毎週土曜日の夜は夕飯とお風呂頂きに行ってますし。 中2娘もいまだにじーちゃんとお風呂に入ります。(私は最近拒否!)最近エロい事に興味津々で色々質問してくるのを私らが全て受け流していたせいで、エロ知識はすべてお風呂でじーちゃんから仕入れているという始末。「あたしの胸触ってくれるのじーちゃんしかいない」と言われた時は、色々どうしたもんかと思いましたが・・・ 小3息子も自転車で時々一人で実家に行きますし、暇を持て余す老夫婦にとっては、可愛い孫との楽しいひとときになっていると思います。 しかし両親ともに70ともなると、体も衰えてきて疲れやすくなってきたようです。そろそろ甘えてばかりじゃなく、ちゃんとした親孝行しなきゃなぁと思ってはいるんですが、自分で親に何かするのは何か照れくさくて。 イソケンさん、親孝行って一体何すればいいんですかねぇ?

isoken
質問者

お礼

mikasa さん、こんばんは。 >私は可愛い孫をじじばばに押し付けるのが親孝行と勘違いしております。実家から徒歩10分の距離に家を建てたので、何かと便利に使わせてもらってきました。毎週土曜日の夜は夕飯とお風呂頂きに行ってますし。 mikasa さんほどの親孝行はそうはいませんよ、孫と一緒に風呂に入れるなんて、恐らくそれ以上の法楽は無いでしょうから。 私は恵まれた人生を送って来たと自負しております、女性にはモテたし本当の部分で金に困った事も無い、ただ一つ心残りであったのが子供を授からなかった事、そしてそれ以上に申し訳なく思うのは、遂に両親に孫を抱かせてやれなかった事です。 私には妹がおりましてね二人兄妹・・、ところが妹夫婦にも子供がいない、だからうちの両親は世間並みに孫を持つ爺さん婆さんになれず仕舞い、その点が倅の私としては大きな引け目でありましてね、口には出しませんがいつも心の中で手を合わせて、 「 ごめん 」 ・・と。 >中2娘もいまだにじーちゃんとお風呂に入ります。(私は最近拒否!)最近エロい事に興味津々で色々質問してくるのを私らが全て受け流していたせいで、エロ知識はすべてお風呂でじーちゃんから仕入れているという始末。 そりゃ是非 OKWAVE に登録させるといい、エロ方面でパパがどれだけ活躍しているか分かるはずです。 >小3息子も自転車で時々一人で実家に行きますし、暇を持て余す老夫婦にとっては、可愛い孫との楽しいひとときになっていると思います。 私はもう泣けて来ちゃう、 mikasa さんの御両親はどれだけ恵まれているのか。 >イソケンさん、親孝行って一体何すればいいんですかねぇ? それを私に聞きますか、ただ一言 「 分かりません ! 」 回答ありがとうございました。

noname#224992
noname#224992
回答No.6

isokenさん、こんにちは 本日は、噺家口調でご機嫌をうかがいます。 「えー、昔から『親の心子知らず』と申しますが、私なんざ その見本のようなものでして、 『おい、勉強していい大学にはいらないと将来幸せになれないよ』 親がそういう度に心の中で 『てやんでぇ、苦労して北大を卒業しても安月給の公務員になって たんじゃ、悪い見本みてえなもんだな』 と、悪態ついてました。 その私が、現役で田舎の旧帝大に合格したのは数少ない親孝行 だったんでしょうな。 親父もおふくろもこれ以上にない喜びようで、きっと自分の息子の 頭脳を軽んじていたんだと思います。 『俺らの息子が、そんなに頭がいいはずがない。それをカバーする には努力しかない。』そう考えていた。 しかし、17歳の青少年のモチベーションはスケベ心一点でございまして 一流大学の学生になればモテるにちがいない。 楽して合格するには・・・と考え行き着いたのが『神頼み』でござい ました。 母が持っていた新興宗教の教典を読んだら、「人間みな神の子、 この世は自分が考えたことが現実になる」と書いてあったんですな。 そこには、今流行の『引き寄せの法則』の内容がそのまま書かれていて わたしは、人の2割程度の努力で合格を引き寄せました。 とにかく、努力した記憶がなくても卒業証書が手元にある。 こりゃ間違いないですね。 浪人して東京の予備校に通ったらまあ、今の金で300万円くらいは かかっていたでしょう。 あと、一流企業に就職したのも親孝行でしょうか。まぁこれは 田舎の名家の末娘だった母が国会議員の奥さんになった友人に 頼んだコネ入社なんですけど。 そのあと調子づいて先のカミサンと若くして結婚。これが夫婦仲が 悪くて孫の顔も十分にみせてあげられなかったのは、痛恨の極み。 まあ、親の思惑の路線にそって20世紀の幸福な人生モデルを実践 してきた私でした。20年悩んだ不仲のすえ妻と別れを決めたとたんに 父は旅立ち、その後再婚相手を母に紹介してまもなく母が亡くなった。 まるで講談ばなしのようななりゆきでして。 父が元気だったころ父に「ほんとうにいろいろ今までありがとう 何も親孝行らしいことできなかったねぇ」 そういうと 「自分の子供に返してやれ」 そう言いました。 私が、給与の大半を養育費にあてていたのも父の言葉があたまの なかにあったんでしょうね。 両親は亡くなっておもいがけない額の遺産を残しました。 「親孝行、したいときには親はなし」 その言葉が浮かんで、私は墓の前でいつまでも一人で泣いていました。 神はあなたの心のなかにある。昔受験でお世話になった「教典」に 書かれていました。おそらく両親も私の心の中にいるのでしょう。 ピンチになると助けてくれていると感じます。 心の中の親を喜ばすこと、 それは、伸び伸び生きること 夫婦仲がいつまでも円満で、仏壇を飾ったリビングが 明るい笑いでつつまれることでしょうか。

isoken
質問者

お礼

ex さん、こんばんは。 >その私が、現役で田舎の旧帝大に合格したのは数少ない親孝行 だったんでしょうな。 ex さんの頃とは相違し、出来る奴らが遮二無二国立大学を目指さなくなりましたね、あの悪名高い共通一次そしてそれに続くセンター試験の悪しき影響でしょう。 旧帝大・都会の国公立そして一部の特殊な学部はともかく、田舎の駅弁大学でギャルならぬ自然と戯れ、誘惑の欠片も無い健全な生活に明け暮れる数年に、価値を見出さなくなったのだろうと思います。 故に旧帝大を除いた地方国公立大学に大幅な地盤低下を齎せ、それが就職活動にまで反映されまして、田舎の国公立に進学した学生の多くは、敢えて東京の大企業の門を叩くという野望を捨て去り、地方の隠れたエクセレント・カンパニーを希望するケースが増えているようです。 名よりも実を取る、そして激しい競争・可能性が高い牛後の境遇よりも、慎ましくも安定した生活・容易に辿り着けるであろう鶏口の道を目指す・・、昨今の若者気質の現われでありましょうか。 そもそも旧一期校 ( 古い単語を引っ張り出して恐縮ですが ) を受験出来る程度にそこそこ優秀な若者は、手っ取り早く早慶を目指しちゃう、その方が潰しが利くんですね、少なくとも東京に於いては・・。 >しかし、17歳の青少年のモチベーションはスケベ心一点でございまして 一流大学の学生になればモテるにちがいない。 それはそうでしょう、最も多感な何年かを勉強に明け暮れたその延長線上にある一流大学そして大企業も、突き詰めてみれば女性にモテたいが為であるはず、若者にとって快適な生活・豊かな老後のプライオリティはずっと後でしょう、それと本当に勉学が好きな人ってのは、俗物の私から見れば単なる変わり者に過ぎず魅力に乏しい事夥しい。 もっとも手を延ばせば届くギャルの肉体に目が眩んでしまい、早々に戦線離脱した私に語る資格はありませんが・。 >まあ、親の思惑の路線にそって20世紀の幸福な人生モデルを実践 してきた私でした。 まさにそうでしょう、 ex さんの前半生は絵に描いたような順風満帆なエリート街道、ところが人生とは筋書きが無いドラマだった、反面だから面白いとも言えるのでしょうが・・、お気に障ったらすみません。 ex さんの前半生に比べて波乱万丈であったはずの私の方が、余程波風が無い通り一遍の人生でありまして、それこそ語るべき何のドラマも無い、女っ気も最早カミさん以外ありませんし。 あの世に行く前に人生という放物線を均してみれば、結局皆ほぼ均等という事でしょうかねぇ、山高ければ谷深し・・逆もまた真なり。 >父が元気だったころ父に「ほんとうにいろいろ今までありがとう >何も親孝行らしいことできなかったねぇ」 >そういうと >「自分の子供に返してやれ」 >そう言いました。 父親とはそういうものかも知れませんねぇ、男が本当に自由でいれるのは結婚するまでなのかも・・、特に子供が独り立ちするまでは、家長という名の牛車に過ぎない気がします。 >両親は亡くなっておもいがけない額の遺産を残しました。 >「親孝行、したいときには親はなし」 >その言葉が浮かんで、私は墓の前でいつまでも一人で泣いていました。 いい子になるつもりはありませんが、50代のこの年齢になれば、もう親の遺産なんてどうでもいいというのが正直なところです、それよりも1日でもいいから長生きして欲しい。 一番当てにしていたのは20代・30代の頃でした、お父さん・お母さんごめんなさい。 回答ありがとうございました。

  • angelo77
  • ベストアンサー率15% (304/2021)
回答No.5

こんばんは。 親孝行ですか。 普通に家庭を持って親を安心させると言う意味では全くの親不孝ですが、頼りにされてその要望に答えられてるとは思うので、家庭もちの既婚者にはなかなか出来ない親孝行が出来てるとは思います。 先日も、再検査でビビる父が紹介されて初めて行った病院に抜き打ちで顔を出して来ました。 この病院も、私がサポートしやすい様にと言う事で私が控え目に提案したのですが、仲間達が勧めた病院だったみたいで結果オーライ。 病院大嫌いの父なので、相当不安で疲労困憊の1日だったハズなので、私の顔を見て急に元気になってました。 ま、ファザコン&単身なので出来る事ですが、他の兄弟達はそうそう出来ない事なので有り難がられてます。

isoken
質問者

お礼

angelo さん、おはようございます。 >普通に家庭を持って親を安心させると言う意味では全くの親不孝ですが、頼りにされてその要望に答えられてるとは思うので、家庭もちの既婚者にはなかなか出来ない親孝行が出来てるとは思います。 親孝行の形とは人それぞれでしょう、各々の立場で出来る事をやればいい、何はともあれ先ずはその気持ちが大切なんだろうと思います。 >病院大嫌いの父なので、相当不安で疲労困憊の1日だったハズなので、私の顔を見て急に元気になってました。 その辺りは明らかに子供さんの効能ですね、しかもお嬢さんであれば尚の事そうでしょう。 >ま、ファザコン&単身なので出来る事ですが、他の兄弟達はそうそう出来ない事なので有り難がられてます。 これは私も自戒せねばならないのですが、自分の家庭があるという言い訳で親孝行をお座なりにしては決してならない、そう思うんです。 まあ偉そうな事は言えませんが・・。 回答ありがとうございました。

noname#244657
noname#244657
回答No.4

『孝行のしたい時分に親はなし』 この言葉を、いつも念頭に置いています。 そして親に対し、今できることを、思いつけばすぐ実行しています。 これらは自分の為にしていることなのですね。 自分が後悔しない為にです。 どれだけしても、後悔はあることでしょう。 しかし、少しでも少なくするよう、親の喜ぶ顔がみられるようにと努めています。

isoken
質問者

お礼

MJ-spy さん、おはようございます。 >『孝行のしたい時分に親はなし』 >この言葉を、いつも念頭に置いています。 >そして親に対し、今できることを、思いつけばすぐ実行しています 『孝行のしたい時分に親はなし』・・この言葉は、母からいつも聞かされて育ちました。 ただ能天気な私には、ずっとそういった実感がありませんでね、やっとここ何年かです、それも親が年老い弱って来てから初めて・・、もっと早くから親孝行を心掛けていたらと悔やまれてならない。 >どれだけしても、後悔はあることでしょう。 >しかし、少しでも少なくするよう、親の喜ぶ顔がみられるようにと努めています。 私なんぞは能書きばかり垂れますが、肝心な事が何も出来てない、 MJ-spy さんの爪の垢を煎じて飲まねばならないクチです。 回答ありがとうございました。

回答No.3

 両親共に亡くなっておりますが、  親孝行したい時には親はなし  でもたった一つ私が心に決めていたことがあります。  一応23歳で人並みに結婚したのですが、  親には婚家の愚痴は一切言わない  お金の無心は絶対にしない  どんなに辛いことがあっても  自分の心にとどめて  親には言わない という事でした。  まぁ。いろいろありましたが、  親に泣きごとを言ったことは一度もありませんでした。  それでなくてもお人よしで馬鹿がつく程正直者の親でしたので  悲しい思いをさせたくないという気持ちが強くありました。      そんな私でしたが、息子はとっくにあの世に旅立ち、  娘はいまだに毎日電話をしてきては  あぁだこうだ いいたい放題  困った時の親頼みです。  父親を早く亡くしている娘ですので  仕方がないかなと思っていますが     どちらが親孝行なのでしょうかしらね?  

isoken
質問者

お礼

purimuro-zu さん、おはようございます。 >両親共に亡くなっておりますが、 そうでしたか・・。 >一応23歳で人並みに結婚したのですが、 >親には婚家の愚痴は一切言わない >お金の無心は絶対にしない >どんなに辛いことがあっても >自分の心にとどめて >親には言わないという事でした。 かつて当たり前の光景であった舅・姑・小姑への憤懣ですが、最近では嫁よりもむしろ、姑が吐く深刻な愚痴が多いと聞きます、息子が嫁の尻に敷かれて何もしてやらない、私の周囲にもおりますよ・・そんな大馬鹿者が。 さて親不孝な私は、若い頃金の無心を盛大にしたもんです、もっとも泣き言は両親に限らず家内にも言った事がありませんが。 >それでなくてもお人よしで馬鹿がつく程正直者の親でしたので >悲しい思いをさせたくないという気持ちが強くありました。 昔の人ってそうですよねぇ、うちの両親もそうです。 ・・であるからこそ、その息子や娘である我々には、親を心配させてはならないという気持ちが働いていたのでしょう。 >そんな私でしたが、息子はとっくにあの世に旅立ち、 そうでしたか、何にも増して悲しい事です、お掛けする言葉も見つかりません。 >娘はいまだに毎日電話をしてきては >あぁだこうだ いいたい放題 >困った時の親頼みです。 まあ平和なそして現在では当たり前の光景という事でしょう、嫁が持つ昔の不満と今の不満はレベルが違うようですから・・。 >父親を早く亡くしている娘ですので >仕方がないかなと思っていますが >どちらが親孝行なのでしょうかしらね? 親と娘・・、 purimuro-zu さんとしては当事者としての立場の違いなのでしょう、そして時代の違い。 まあ頼られているうちが花と思われては如何でしょうか。 回答ありがとうございました。