非常に難しい問題です。
お子様は何歳位でしょうか。
どのようなことがきっかけで阿弥陀仏やお地蔵さんに関心を持たれたのでしょうか。
それに応じて教える必要があります。
仏教の教義がどうのとか、阿弥陀仏とはなんぞやなどというのはず~と後の話です。
サンタクロースとの区別など考える必要はまったくありません。
平たく言えば、お地蔵さまは子供を守る仏様で、お弥陀様は亡くなった人を守る仏様です。
供養祭というのはクリスマスと同様にその仏様のお祭りです。
この「亡くなった人をまもる」という考え方を、大人の感覚で難しく理屈を付けて教えようとすると無理が生じます。
思春期になってからの死生観にも強い影響を及ぼしますので充分注意して下さい。
パソコンゲームで悪者をクリック一つで消すように人を殺す若者が後を絶たないのは、この幼児期での「死」の教え方がいい加減だったことが原因です。
下記のサイトにありますように、お子様の成長に合わせて教える必要があります。
参考
子どもの死生観と教育、子どもに死と命をどう教えるか(心理学総合案内 ...
www.n-seiryo.ac.jp/~usui/koneko/2005/siseikan.html
抜粋
幼児期の子どもは、アニミズム的な世界観を持っています。つまり、「すべてのものに命がある」と感じています。その段階からはじまって、成長に伴い、「動くものには命がある」と考えるようになります。その次には、「自分の力で動くものには命がある」と理解の仕方が変化していきます。そして最後に「生物だけに命がある」とわかるようになります。子ども達は、児童期になって、ようやく様々なものに命を感じてしまうアニミズム的な考えから離れていくことができます
中略
2歳児でも「生きてる」とか「死ぬ」とかいう言葉は使います。死を感じ取ることができます。ペットが死んで涙ぐむこともあるでしょう。しかし、そうだとしても、大人のように死を理解しているわけではありません。
この段階では、死と、単に「見えない」「動かない」こととの区別すら十分にできていません
中略
小学校中学年ごろになって、ようやく死の、不可逆性、不可避性(普遍性)、不動性を理解し、死は誰にとっても避けられないものと受け止められるようになります。
それでも、すべての子どもが完全にそれを理解するわけではなく、小学生になってもアニミズム的な感覚が残っていたり、死んでも生き返ることがあると考えることもあります。十分に死を理解するには、青年期までかかることになるのです
中略
死への理解が不十分な小学校低学年の時期に、死の現実を突きつけることは、子どもにとって辛い体験になってしまうこともあるでしょう。子どもが死の現実に直面しなければならないときには、子どもの心に不安がいっぱいにならないように、守ってあげることが必要です。
しかし、だからといって死の現実から子どもを遠ざけすぎるのは、せっかくの教育の機会を失うことになってしまいます。
中略
「天国」といったことは、信じていない人が気休めに語っても効果がありません。時には逆効果になることさえ考えられます。しかし、信じている人にとっては、大きな力になるでしょう。
もし高学年で阿弥陀仏の定義や地蔵尊の定義に関するご質問であれば、ネット上にいくらでも説明があります。
まず、質問者さんご自身が理解される方が先です。
参考
阿弥陀如来 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/阿弥陀如来
地蔵菩薩 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/地蔵菩薩
地蔵盆 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/地蔵盆
お地蔵様に関するお祭りの趣旨が概略説明されています。
何かあれば追加で補足質問をお願いします。
お礼
ありがとうございます。 地区に、お地蔵様・阿弥陀様が安置されていまして子供から聴かれて返答するのに困りましてお尋ねいたしました。 確かに、理屈を付けて教えようとすると無理があると分かりました、参考に教えることにいたします。