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フィルムカメラにおけるニコンF4について
随分と昔に登場して以来、存在感を伴っていたニコンのF4はカメラの専門家の方からはどのようにお考えられていたんでしょうか?私的にはミノルタの自由なAF発想に比べ、かなり窮屈な設計思想だったと思いますが…
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開発秘話は今でなら色々聞くことが出来ると思います。 当時の話も覚えていますが、F4開発においてマウントをどうするかでかなり揉めたそうです。 ハッキリとは聞いてませんが、ブン屋さんの意見を尊重したと思います。 結論としてFマウントを継承し、新たにAFレンズを開発することになったのですがFマウントそのものが古いので制約が多く、かなり苦労したという話を聞きます。 F4時代のAFレンズは暗くてAFセンサーも余り性能が良くなく、MFレンズを使ったほうが便利な感じがしました。 F4が発売されてからもブン屋さんはF3を使い続ける方が多かったと聞いてました、なにせでかくて重かったので。 私は当時もともとニコンユーザーでF3がメイン機でしたが、F4が発表されてすぐキャノンに全て変更しました、NewF-1の方がはるかに使い勝手が良かったので。 その後EOSシステムが発表され、EOS-1が発売されてからEOSシステムに全て買い替えましたが満足な使い心地でした。 ミノルタのαシリーズはタイミングが絶妙で大ヒットしました、α7000は家庭でも普及するくらいの売れ行きでしたね。 当時AF一眼がまともに出揃って無かった頃の発売で、手頃な価格帯もあったかと思います。 ピント合わせにタイムラグがあっても、そこそこ不具合無くピントが合ったので使いやすかったと思います。 ところが耐久性には問題があり、プロユース位置的なα9000はまるで使い物になりませんでした。 商業写真レベルとしての評価は良くなくて、その方面では普及しなかったと思います。 その後キャノンEOSシステムが発表されて超音波モーターの評価も高く、プロにも受け入れられて今の地位があると思います。
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- hayasi456
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操作性だけでなく従来のマニュアルレンズも使用可能となると窮屈な設計思想になってしかたなかったのでしょう。 プロカメラマン、ヘビーユーザーへの配慮ですね。 F4の発売は1988年ですが1988年はソニーがVHSビデオデッキを発売した年のようです。 ソニーの1時間録画のビデオベーターマックスが後のベーターII、ベータIIIと互換性の無い新製品を出しトラブルとなり、VHSとの市場競争での敗因の一因になったこともニコンが互換性にこだわった要因の一つかもしれません。 ミノルタ α7000の発売は社会現象となりカメラとは無縁だった多くの人も購入し、一時期カメラ店の一眼レフコーナーのはミノルタ一色だった記憶しています。 その後、一眼レフのAF化へと大きな流れを作りましたね。ミノルタの判断は英断でしたね。 その後のαの花・風景・スポーツなど撮影目的に適した設定用カードは斬新でした。デジカメにシーンモードとして搭載されていますね。
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ご回答ありがとうございます。やはりですか。 ニコンやキャノンはとてもマニュアルカメラのハイユーザーやプロのカメラマンのユーザーが多くて、その人の意見がとても次のカメラの設計の思想に強い影響があったと思います。 例えば、日の丸写真(ピントがど真ん中の写真)は誰もが撮影できる技術がなくて実力が最低だ。もっと自分たちの技術を高く評価してほしいというような意見が主流でAF技術に批判的な人が多かったからだと私は考えます。 ミノルタはその点、アマチュアのカメラメーカー色が強かったと思います。 だから、撮影目的カードではなく、カメラ本体の設定で、可能にすべきだったと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 この時のAF技術は確かミノルタの方がよかったと思います。ニコンは最悪でしたね。レンズはマニュアル志向、頑丈に作ったのはいいが、重すぎて大きすぎる。キャノンはやっとイオスでプロのカメラマンが実用できるAFカメラを開発したんですね。