• 締切済み

公立高校で講師をしていて評定の付け方に迷ってます

教育関係者の方に答えていただけると幸いです。  指定副教材:「チャート式」の問題を数題選びゴールデンウィークの課題として生徒に提出させました。一人一人の生徒が提出したノートに目を通し添削指導をしていたところ、ある特定の生徒のノートに「塾の先生に教わった」とするコメントが、生徒が解いた問題の横に何題も添えてありました。教わっただけのことがあって、定石通りのきれいな解法を示していて、ノート自体は大変よくまとめてありました。そして、当該の生徒はとても真面目に授業に取り組み授業態度もよいのです。  ただし、数学科のポリシーは「<生徒自身>に取り組ませる課題」なので,ノートの評定自体はABC段階で「C」にすべきなのか、提出さえしていれば全員同じ評定をつけるべきなのか迷っています。周りの教師に聞いても明確な答えは得られず、強いてつけるなら「B」ぐらいが「妥当ではないか」とやんわりいわれました。  補足ですが、本年度4月から勤務中の公立高校の学力は中位(公表されている偏差値:56程度)と言われていますが、学力の格差が広いのであります。当該ノートを提出させた学級は入学当初から数学が苦手な生徒が多く、授業態度は真面目に取り組み落ち着いているものの、数学の試験の点数が全体的に低いという有様です。

みんなの回答

  • moritaroh
  • ベストアンサー率56% (658/1172)
回答No.3

>数学科のポリシーは「<生徒自身>に取り組ませる課題」 この部分を重要視したとき、細かく言えば、問題への取り組み方が自主的であったのか、それとも課題そのものに自主的に取り組んだのか…など、どの部分を自主性として判断するのか、ということでポリシーの在り方も変わってしまうでしょう。 本来の学問や勉強の見地から言えば、問題ひとつひとつ、自分で考えて(たとえ間違っていても)答えを導き出す、という姿勢の生徒を評価すべきで、おそらく質問者さまのポリシーもそのような感覚なのだと思います。 ただ、課題そのものをやる、やらない、という部分にも実際には自主性があり、高校は義務教育ではないので、休み中の課題を提出するのももはや生徒の自主性の範疇とも言えます。 ですので、件の生徒の、わからないところはわかる人(塾の先生)に解き方を聞いた、というのも、自分自身で課題に取り組む方法としてそれなりに自主性はある、と考えることもできます。 まずは、課題をちゃんと行い提出した生徒をちゃんと評価してあげるのが一番です。 テストとなれば正答率が評価として重要になりますが、あくまでも自宅での自主学習としての課題なので、正答率や解答を導き出す方法といった点よりも、課題に取り組む姿勢を評価として優先した方が、生徒自身もそれなりにやる気に結びついていくと思います。 学力の格差の大きい学校だと、どうしても、そのような課題への取り組み姿勢の違いが格差を助長してしまいがちなので、願わくば、学力が低い生徒でもしっかりと課題に取り組む姿勢を持てれば、自然と学力の向上にも結びつくような仕組みを課題を通じてつくりあげていけると理想的ですね。

  • copemaru
  • ベストアンサー率29% (895/2998)
回答No.2

「学ぶ」とは本来「まねぶ」であって,定石を「真似る」ことから始めます。 質問者様の担当教科「数学」などはその最たるものではないでしょうか。 例えば三平方の定理にしてもピタゴラスが発見したもので,今の数学のセンセイ達が見出したものではありませんよね。学問とは先人たちの知識の上に成り立っているものです。 その意味で「特定の生徒」は他者の知識を活用したものであって,学問の本質に適ったものだと思います。 と,まあ詭弁を弄して質問者様を困らせることは本意ではないので,以下に私なりの回答を致します。 「君(特定の生徒)の答案は『数学的には』定石通りの実に素晴らしい答案である。しかしながら本校数学科のポリシーは『<生徒自身>に取り組ませる課題』としている事は君も承知しているはずだ。教科担任として君の課題を『数学的観点からA』とするか『数学科の方針に従ってC』とするべきなのか大変苦慮している。そこで1つの解決策として類題を準備したので今度は『君自身の力で』解いてみて欲しい。それを以て評価することにしようと思う。もちろん再び塾の先生に教えてもらってそれを記載しなかったとしたら,私にはそのことを知るすべは無い。しかしこれまで正直に『塾の先生に教わった』と書いてきた君のことだ。私の信頼を裏切るようなことはしないと確信している。仮に最後まで解けなかったとしたら,途中まででも構わない。君の今の数学の力を示して欲しい」 などと生徒のノートにコメントを入れるか,個別に呼んで直接話をするでしょう。 課題にしても評価にしても,それ自体が「目的」なのではなく,生徒の学ぶ意欲を引き出すための「手段」です。生徒が正直に告白したこと,baumnlinhault4先生が苦悩されたこと,塾の先生の解法も全て生徒の学力向上の糧にしてしまいましょう。 あ。これは私なりの答案ですから,出題者(質問者)の意図に即して0点を付けられても構いませんよ。

baumnlinhault4
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。未熟者の私に大変素晴らしい案を提供してくださりありがとうございます。自分の中でも葛藤があり迷った末、ノートは提出していれば加点するという方針に大幅にシフトしました。<生徒の学ぶ意欲を引き出すための「手段」>とはなにか再検討しました。その結果、指定教材:チャート式に関する評定は評価者の「主観」が入りやすく評価者の裁量に大いにゆだねられるため、「主観」によって左右されてはならないとの結論に至りました。 「鮮やかできれいな解法を教わって満足するだけじゃなくて、再度解きなおして自分のものにしよう」程度にコメントを残し、ノートを返却しました。

noname#232424
noname#232424
回答No.1

ぼくは大学教員(=ヤクザな教育者)なので,回答はなんら参考になりません。納得できなければ読み捨ててください。 まず「成績評価」は,教育者が有する絶対的で責任の重い「職務権限」です。正規職員であろうとパートタイマーであろうと,駆け出しであろうとベテランであろうと,あなたが信じるところを実行すればいいと思います。 もちろん,あとで間違っていたと気づくこともあります。おおむかし,小学校でぼくの担任だったベテラン教師が,ずいぶん後年になってからぼくに,「あのときの処置は間違っていた。ずっと気に病んでいた」と告げたことがあります。信頼していた先生でしたから,その処置に不満はありませんでしたが,そこまで考えていてくれたことに改めて感謝しました。 本件の成績評価をどうするかについて直接的には回答しませんが,(1)正直に塾で習ったと告白したことは認めるべきかもしれません。「ズルをしてもうかった」と考えて終わりにする生徒よりも,今後の改善が期待できると思います。 (2)解法を独力でみつけるというステップは失敗しましたが,最終的にその解法が身についている(記憶のみでその解答を再現できる)ならば,次善の結果かと思います。大学受験あたりまでの数学は,「解法をたくさん覚えていることで初見の問題でも解ける」(演習量と記憶力で勝負できる)場面も少なくありませんから 笑。

baumnlinhault4
質問者

補足

大学の先生からご回答をいただけて光栄に思います。 大学受験あたりまでの数学は,「解法をたくさん覚えていることで初見の問題でも解ける」(演習量と記憶力で勝負できる)場面も少なくないことから、指導も未熟な自分がいちいちノートで煩いことをいっても仕方ないとの結論に至りました。あくまでも生徒が「やる気」になる「関心・意欲・態度」の評定をつけるべきなので提出していれば全員加点するという方式に大幅に変えました。

関連するQ&A