ほかの皆さんとダブらないように。
(1)相続税の存在や超累進課税制度による、収入の均等化現象。
テレビで見た「徳川宗家」さん、世が世なら将軍様ですが、たいしたところに住んでないらしいので驚きました。前景は分かりませんが、洋式の応接室が6~8畳?。それに対して、英国貴族はお城に住んでいます。
お城を手放したり、ホテルに改装したりしている英国貴族も最近は多いのですが、それは相続税が高いからではなく、維持・管理費が高いから。日本は、三代相続が続くと財産は無くなり(常識)、将軍様(公爵)でも、うらやましくないお宅に住まざるを得ないと拝察。
脱税したとかいうなら問題ないですが、きっちり稼いで、納税して、それをつつましく使って残すと、ガッツリと相続税がかかる。被相続人自身が相続税分を払って残りを相続させるのと、受け取った相続人が相続税を払うのと、「実質的に見て、どう違う?」。実質的二重課税。
他方、働かなくても、パチンコ代まで含めて生活費を保護してくれる。
このような収入の均等化こそ、社会主義の目指すところです。
(2)金銭では評価できない「労働意欲」
資本主義が発展して、独占資本主義になり、さらに「国家独占資本主義」に発展する過程で、ある精神革命が起きると予想されました。無償の勤労意欲です。
簡単に言うと、資本主義最終段階になると、報酬はなくても働きたいから働くという精神が誕生していて、それゆえ、無償で物がたくさん生産され、働かない人でも必要に応じて受け取れるだけの財物がある、という社会になっているはずで、共産主義国家はそのような精神(資本主義の残した遺産)の上に成り立つはずだったのです。
実際は、そのような遺産が形成されないうちに共産主義革命がおきてしまったから、全共産主義国が破綻しました。
無償で作る者がいないのに、(全然orとる物の価値ほどには)働かないで盗ろうとする人間ばかりになってしまったからです。
ところがところが、なぜか、その遺産的精神が日本にだけ存在したのです。日本語でいうと「匠の精神」とでもいうのが近いでしょうか。いいものを作ろう、人を喜ばせよう、人の役に立ちたいと、ひたすら働く精神です。
報酬が1万円だから、この程度でいいか。100万円だからもうちょっと良い物を、とか考えない精神です。
共産主義社会やその前段階的な社会主義社会に、この精神は必要不可欠であり、それゆえ、この精神が存在するということは社会主義的でありうるのです。
(3)社会的階級がない。
ヒトラーは平民の出で、第一次世界大戦では一介の伍長でした。それで、貴族出身の将軍たちは、第二次世界大戦になっても腹の底でヒトラーを軽蔑し、仲間内ではその気持ちをあらわにしていたのだそうです。
「貴族? 我が国にはいないわぁ、皆殺ししちゃったもの」と冗談を言うらしいフランスでも、大学に2つあって、その2つの大学出身者とそうでない大学の出身者は、立場が全然違うそうです。
ちなみに、現日産社長様もその1つご出身。大統領閣下は、たぶんもう1つのほう。
貴族とは、ドイツに限らず、そうなのです。その分、貴族には重い責任も伴いますが。
他方、信じられないでしょうが、日本は、天皇家以外は平等なのです。貴族などの地位も仮のもの。
だから、平民出身の伊藤博文でも、いったん貴族に「列せられれば」昔ながらの貴族と同様に扱われ、女好きの伊藤自身の正妻は誰だったか忘れましたが、下級郷士出身の成り上がり貴族でも、大昔からの貴族の娘と結婚できた(親から抵抗を受けなかった)のです。
また、中国人がよく褒めているのは、新幹線の掃除をする人たちの手際の良さですが、その掃除婦たちの仕事に対するプライドや、彼女たちを「掃除婦」としてバカにしない一般人の態度です。
職業に貴賎なし、というのは(おそらく)中国に発した言葉でしょうが、実践しているのは日本人。
こういう無階級制も、社会主義社会の有りようなのです。
書こうと思ったことはもっとあるのですが、書いている内に忘れました f(^_^;;
お礼
中央官庁の権力が強く、自由競争を規制・抑制していると言うご意見ですね。