- 締切済み
今生の修業?
宗教によって死生観は違いますね。 僕は人(生き物)は死んだら森羅万象の中に溶け込むと考えていますが、今生が死後の魂の修業の場なんてとても思えません。 どう思われますか?
- みんなの回答 (9)
- 専門家の回答
みんなの回答
- pct10968
- ベストアンサー率21% (641/2971)
じじいです。 >僕は人(生き物)は死んだら森羅万象の中に溶け込むと考えていますが、今生が死後の魂の修業の場なんてとても思えません。 どう思われますか? 夏に一生懸命働くアリに聞いてみると良い。 どう思うかなど、糞の役にも立たない事をアリの方がよく知っている。 アリだって修業の場だなんてこれっぽっちも思っていないと思うよ。
- 130946
- ベストアンサー率18% (10/55)
魂は、今世で欲や悪によって小さくなり、悟りや善で大きくなると信じて生きてた方が、人生何倍も楽しくない?考え方で人生変わるならならもったいない。
- urbanite
- ベストアンサー率35% (18/51)
こんにちは。 「今生が死後の魂の修行の場」という言葉が意味する概念がいまいち掴めないのですが、過去世があって、過去世で死に、今生に生まれ変わって修行をしているという意味ですか? それとも、今の自分が未来に死ぬ訳ですが、その未来の死後の修行の場と言う事でしょうか。 私は輪廻転生の有無はしりませんが、時間の概念が全く異なる世界に足を踏み入れた経験がありまして、その経験から「今の自分が未来に死に、その未来の死後の修行を今ここでしている」というおかしな話しは抵抗なく聞く事が出来ます。 また、「森羅万象の中に溶け込む」というのも、死後、というよりは肉体の概念というかしがらみの様な物から解放されるとまるで全知の様な知性が備わります、というか目覚めるというか、とにかく全知のような知性を働かせる事ができますので、生前の自分の自我の境界などはあっさり消える。 だから「生前の意識としては消滅したような状態」つまり肉体の感覚としては「死んだ」ような事態になっているといえばなっている。 でも決して命が消えると言う事はなく、ただ単に自我が消えてなくなり、別の自我になっている。いや、自分のままなんですが、とにかく以前の自分というものの形成の仕方とはまるで違う存在になっている。かといって他の存在と融合して訳分からなくなるという事もなく、あくまで個として存在するが、個と全との区別もまた全くおかしな世界なので個と全の境界も分からない。でも決してぼんやりしているなどという事ではなく、はっきりしている。 ただ肉体の操れる知性では説明も認識もできないんです。 そういう経験をした事があります。 その経験は一時的な物で、今は完全に普通の人ですが、当時の経験を纏めて言うなら、「過去世も今世も未来世も今ここにあるので、今ここを精一杯生きる事が大切」ということになります。 大分変な事を言っていますがついてこれますか?(^^;) 「永遠」という時間は、気の遠くなる様な長い時間の事ではなく、今この瞬間に永遠が詰まっているとでも言いましょうか。 まあ上手く説明できないのは当たり前ですので、お気になさらず(笑)
- tmhya1225
- ベストアンサー率20% (12/58)
私は意識不明になって死にかけたことがあるんですけど、その時自分が現世で会いたい人を決めてもう一度生きなおすことを許されたみたいな説明と映像を見ました。 まぁ只の夢かもしれないんですけど… だから時々、自分は修業していろんな人の気持ち知ったりするために生まれてきたんだよなーとか考えます。 無宗教ですが、仏教の考えに近いのかなぁと思います。 だけど修業が辛すぎると、拝むだけで信じるだけで救われる夢のある宗教はねーのかよと思ってしまいます。 死にかけても煩悩が捨てられません。
- pupPeTeer119
- ベストアンサー率30% (633/2077)
世の中にはどうにも不思議な、輪廻転生が存在するという理由でもなければ説明できないくらい明確な過去世の記憶を持った人が存在します。 それも幾例も、そして世界中にです。 こういう事例があるからにはある種の人にはそういうことが起こり得る、起こっていると考えざるをえません。 しかしそれが果たして一般的に、そして自分にも起こることなのか、起こっているが記憶に無いだけなのかどうか、という疑問が出てきます。 いつの日にかこういった事も解明されるのかもしれませんが、もしかしたら解明されない方が人間良い人生を送れるかもしれません。 さておき、魂の修行の場かどうかは分かりませんが、ある種の人達は生き返りを経験しているのは間違いないと考えています。 そして自分はそういう人達とは異なり、死んだら無に帰する、ということにしておけば良いと思っています。 何しろ記憶も無く実感が湧かないので、自分にも同じことが起こる、起こっているとは思えませんから、取り敢えず現時点で納得できる結論に収まっておくのが良いと思うのです。
- hajime0309
- ベストアンサー率11% (33/300)
そうですね。死生観は違いますね。 「死」というものを深く考えていくと、結局どのように生きるのかという現実に戻されていきます。「死」はこの世に生きている限り、この人生では誰も体験したことのないことです。もしかしたら体験した人もいるのかもしれませんが、単なる噂にすぎないでしょう。なんのために、宗教があるのかというと、それはこの人生をよりよく生きるためだと思います。
- potatorooms
- ベストアンサー率28% (3506/12498)
ご質問者さんの考えは、原始宗教や神道の捉え方に近いです。 神道の神は、敬うものではなく、恐れ鎮めるものです。皇室や仏教が混ざったため、分かりにくくなっていますが、基本は古代の人たちが、自分たちに害なす自然を恐れ鎮めたところからです。 死は恐れるもので、死者は生きている人を仇なすものでした。恐れる死の側に行ったわけですから。 社会が進んで、支配者、非支配者に分かれるころになると、人に仇なすのは自然ではなく人や社会になりました。 支配者層ができるというのは、作物の生産性が上がり、余剰ができ、財産と収奪の構造ができ、狩猟や耕作をしなくてもいい人と、働き収奪される人に分かれることを意味します。飢えは自然の仇ではなく、人や社会の仇で生まれるようになります。 この不平等の理由を説明するために原罪が生まれ、今の状況を保ったまま抜け出す仕組みとして来世が生まれました。支配者の都合というより、非支配者の都合で生まれたものです。 今生で神(社会)の都合がいい生き方をすると来世で救われるという考えで、ごく普通の人が、日々を生きることもできるし、テロリストとして人を殺すこともできます。この思想って、大衆宗教って呼ばれることが多いですよね。 ご質問への回答としては、森羅万象になる。といっても穢れ神ですが、か、来世に救済があるか、ということかと。
- Osric
- ベストアンサー率17% (280/1580)
宗教によって死生観は違うと、ご自分でおっしゃっている通りです。 貴方が、今生が死後の魂の修業の場という宗教の帰依者であれば、その指導者にお聞きになればよいし、違う宗教か、無宗教であれば、考える必要はないのでは。 特に死後の世界の話しは、誰も見たことがないので。
あなたの思う様に・・ 机上の空論で納得する様な あなたでは無いでしょ・・?
補足
アリと人間!? 屁理屈はたくさんです!!