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この世はモテても地獄モテないのも地獄か

異性経験がないと悩みになったりしますが、逆に既婚者・パートナーがいてもいるからこその悩みがあるわけですよね。 結局はどちらも地獄なんでしょうか?

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  • eroero4649
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回答No.3

お金持ちやモテる人にはそういう人たちならではの悩みも当然ありますが、さりとて貧乏やモテない悩みに比べればやっぱりぜいたくな悩みであって、お金持ちやモテるといいことや楽しいことが割と多くあることに比べると貧乏やモテない楽しみなんてショボいものばかりですから、貧乏やモテないのは地獄でも、お金持ちやモテることは原則的に極楽だと思いますよ。 私の昔の知り合いで、反町隆史似のイケメン俳優さんがいたんですよ。一時期結構仲が良くてよく一緒に飲みに行ってたのですが、彼と一緒にいると他の席のOLさんとかがチラチラ見てくるんですよ。いや当然彼女たちが見ているのは彼であって私ではないのですが、しかし自分も一緒にモテているような気持ちになりましてね、あのとき「ああ、美人にはブスが寄生虫のようにいつも一緒なのはこういうことだったのか」と美人と一緒にいるブスの気持ちがよく分かったのです・笑。 私も人生数回モテキが来たことがありましたが、非常に幸せでしたね。女にチヤホヤされて地獄なわけがないじゃないですか。孔子先生も「金持ちでいばらないのは易しい。貧乏でひがまないのは難しい」とおっしゃっています。

noname#212916
質問者

お礼

しかし、前にハンサム男性が同棲女性にころされるという事件もありましたし、モテて執着されるのもデメリットがあると思うのですが、 もちろん、モテる日常は爽快でしょうね

その他の回答 (17)

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7257)
回答No.8

【結局はどちらも地獄なんでしょうか?】 どうして、いきなり地獄と極端に走るんでしょうか? 所詮は好きな人から好かれるかどうかのことだけのこと。 余分な人に好かれても困るのは当然だし、好きな人がいなりゃ、何の問題もないわけで。 需要として1人と供給一人ですが、あたりまえのことに、1:1の対応がマナーであり、 ルールであり、基本というより、それしかないのでは? その時その時という意味合いです。 あっちこっちの異性が全部好きでじゃんじゃんと相手してもらいたい、 好きになってほしい、 それがかなわないから地獄というなら、 それはそれで、かなり好きのレベルもいい加減ということではないでしょうか? 地獄もなにも、その程度なら、相手にもされないというだけ。

noname#212916
質問者

お礼

地獄ってのは何ですけど、 どっちも悩みことがあるよねってことなんですよね

noname#232913
noname#232913
回答No.7

つまり中間が丁度いいってことじゃないかな。

noname#212916
質問者

お礼

フツーが一番難しい そんな名言を聞いたことがあります

  • ta_kuchan
  • ベストアンサー率24% (1287/5163)
回答No.6

どちらが地獄かと言えば モテない方なんじゃないのかな? モテる経験が無いからね。 モテる人は恋人・結婚をあえて作らない・しない という 事も出来るけど、モテない人は 選択肢が無い訳だから。。。

noname#212916
質問者

お礼

たしかに、 大卒と中卒みたいなもんですね

  • ks5518
  • ベストアンサー率27% (469/1678)
回答No.5

>結局はどちらも地獄なんでしょうか? ・そうではありません。 異性⇒これは、表面的な問題で、そう深刻な事ではないのです。 問題は、それらの事に振り回される、もしくは、それらの事で悩んでしまう“境涯”にあると言えるでしょう。 異性の問題だけではなく、人(人間)が生きていれば身の回りには様々なことが起きてきます。それらの事象全てにおいて、振り回されてしまうのか、現況を良く理解して行動するかによって、同じ現象についても、違った状態(気持ち)になります。 ですから、そうした色々な悩み(問題)について、どう考えどう対処するべきなのかという事です。それによっては、地獄にもなり、天国にもなるという事です。 また、人間の“心”というものは、“地獄”や“天国”だけではありません。 これは、ある仏教の概念になりますが、『一念三千』というものがあります。人の心を三千種に分けて考えたものですが、三千もあると説明も理解もし難い事なので、その概念のベースとなる『十界論』をお話ししたいと思います。何かの参考にしていただければと思います。 『十界論』・・・これは下記の十種の境涯が、人(人間)の心(一念)に備わることを説いています。そして、それらの境涯は何かの縁に触れ、瞬間瞬間変化していくというものです。 ・地獄界⇒苦しみの境涯 ・餓鬼界⇒貪りの境涯 ・畜生界⇒本能に支配され、理性のない境涯 ・修羅界⇒他人を見下し、争いを好む境涯 ・人 界⇒平均的(一般的)な“人”の境涯 ・天 界⇒喜びの境涯(※絶対的ではない) ・声聞界⇒悟り(真理)を求める人の境涯 ・縁覚界⇒自ら外縁により悟り(真理)を得る境涯。辟支仏とも言います。 ・菩薩界⇒人を利益する事を目的として生きる境涯 ・仏 界⇒根源の法を悟り、一切衆生を救う事を目的として生きる境涯 以上の十種の境涯が、全ての人(人間)の心(一念)に備わっているのですが、これは一つの境涯が人によって備わっているのではなくて、十種の境涯全てが人(人間)の心(一念)に備わっているということです。 その境涯が、様々な縁に触れることによって変化し、その心の状態により顔の表情や言葉や行動に現れ、そういった事が原因で、自らの様々な喜びや苦しみを作っていくのです。例えば、対人関係や環境などに至る身の回りの事です。 言いかえれば、あらゆる問題は人自ら良くも悪くもできるという事です。

noname#212916
質問者

お礼

創価学会か日蓮宗の考え方ですね 以前、ちょろっと創価学会やってたときに似たような話をしていました。

noname#211048
noname#211048
回答No.4

結局はどちらも自分こころの映し鏡です。

noname#212916
質問者

お礼

悟りの世界っぽいですね

回答No.2

悩みはつきないですからね。。 何事にもメリット・デメリットがあると思います。 受け止めようによってはそうなってしまうかもしれません。

noname#212916
質問者

お礼

ほんまっすよね 尽きませんなー 恋愛・人間関係だけじゃなく、例えば風呂に入る・便所に行く もっと行ってしまえば、歩く・息をする 行動のすべてに両者があるのかもしれません

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.1

 僕はモテても極楽、モテないのも極楽と思っています。

noname#212916
質問者

お礼

さんまイズムですね 「生きてるだけでまる儲け」