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昔の中国は本当に進んだ国だったのでしょうか?

中国五千年の歴史と言われてますが、昔の中国は本当に進んだ国だったのでしょうか?

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回答No.3

中国五千年の歴史は、明らかに間違いですよ。 あの辺で、ちゃんと整合性のある歴史が遡れるのは、二千年強くらいで、日本とほとんど変わらないそうです。 チャイナ=中国とみるのは、中華民国以降の間だけです。 中国の歴史は、百年くらい。 それ以前の中国を中国と呼んだ歴史は無いです。 最初の皇帝が出た、秦を支配していたのはペルシャ系。 最後の清王朝は満州人とモンゴル人が支配した国です。 今、チャイナ服と言われてる服は、モンゴル服がルーツですよ。 中国って、時代によって、支配民族も文化も違うし、継続性のある一国として見るべきじゃないですね。 今、中国人と呼ばれてる人々と、秦に暮らしてた人々と、民族的、人種的、文化的にどれだけ共通点があるのか疑問です。 進んでたのは確かだと思います。 でも、中国人が築いた文化や技術だけで進んでたわけじゃ無く、シルクロードの交易のおかげで、西方の技術や文化が入って来たからじゃないでしょうか? 立地が恵まれていたのだと思います。 日本人が学びたかったのは、西方から伝わった技術や文化だったんじゃないでしょうか? 仏教だって、発祥はインドですから。 しかし、遣隋使や遣唐使を派遣していた期間は、三百年にも満たないです。

noneya7
質問者

お礼

中国は二千年の歴史。中国という場所は漢民族だけが支配をしてたわけではない。日本が中国に使者を派遣したのは300年にも満たず、西洋から東洋に伝わった技術や文化を学びたかった訳で、中国の技術や文化を学びに行っていたわけではないというご意見ですね。

その他の回答 (2)

  • catpow
  • ベストアンサー率24% (620/2527)
回答No.2

すでに回答がありますけど、中国は、新しい支配者がでると「過去の文化を破壊する、捨て去る」ということをします。 簡単に言えば、前支配者の関係者は「皆殺し」にするってことです。 これは中国古来の政治思想である「易姓革命」によるそうです。 中国の支配原理であるこの「易姓革命」は、「天は徳の高い者を天子として万人を治めさせ、子孫相継ぐが、もしその家(=姓)に不徳の者が出た場合は、その(命)をあらためて(=革)別の家の者に変える(=易)」というもので、これは孟子らの儒教に基づく理論です。 自分たちの支配が「正当なものである」という根拠は「天に選ばれた」ということです。 そして、「前支配者は”徳”を失い、”天”から見離された」ことを明確にするため、前支配者の歴史を破棄し、関係者を皆殺しとするのです。 ですので、中国の支配者は自分が「天に選ばれた徳あるもの」ということを民衆に証明し続ける必要があるのです。 そして、朝鮮半島は、日本が統治するまで、長らく中国の属国として存在しました。そのため、中国の「易姓革命」の思想(=儒教思想)を持っています。 北朝鮮のTV放送を見ると、国のトップをもの凄くすばらしい人物という「修飾語」をつけて紹介し、もし彼が死ねば国民すべてが「泣きわめく」様子が放送されます。 国のトップに対して、尊敬を示して紹介するっていうのは日本人でも分る感覚ですけど、それにしても大げさ過ぎるという気がします。 でも、「易姓革命」の理論からすれば、「我が国のトップは、政治能力も優れ、人格も素晴らしい、徳のある人物である!」ということを常に証明し、国民にそう思わせておく必要があると考えれば納得です。 ですから北朝鮮の国民は、トップに対し、単なる儀礼的なものではなく、本当に支配者を「自分の父であり、尊敬すべき素晴らしき指導者!」として信じ、洗脳されているわけです。 自由主義の影響を受けてない北朝鮮は、その思想が大げさな「放送内容」に現れているってことでしょう。 (なので、日本のように国のトップをマスコミや国民がバカにする言動は、彼らには信じられないといいます) ちなみに、中華思想からすれば、清の支配民族であった「女真族」は、辺境の地である満州に住んでいた「蛮族」とみなされる人々です。 その「蛮族」に中国という国を乗っ取られて「清」が生まれたわけです。 朝鮮半島の人々からみると、「我が国は、長いあいだ中国の属国で、その中華思想を受け継いできた。尊敬すべき中国が蛮人が支配する清国に成り下がったのだから、正当に中華思想を受け継いだ国家は、わが国だけである!」という考え方が広まったようです。 朝鮮半島の人々は、国力としては、清が上なので、属国として清の支配を受け入れながらも、「我が国のほうが正当な中華思想の継承国である」として、外面的には、清に敬意を示しながらも、精神的には清を見下し「小中華思想」を拡大していったといいます。

noneya7
質問者

お礼

過去の文化は否定する歴史があるんですね。

  • WhatisLOVE
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回答No.1

かなり進んだ国だったみたいですよ。ただし大昔の話です。 有名な思想家、孔子が紀元前552年頃の生まれ。 同じく有名な思想家のソクラテスは紀元前469年頃の生まれです。 中国の方が学問という分野の基礎の部分で100年近く早く固められていたと考えられます。 こんな話も聞きます。「ヨーロッパ人が洞窟で生活していた頃、中国ではまともな家に住んでいた」なんて。 また三国志の時代(2世紀頃)を中世と考えるなら、中国はかなり早い時期だったと考えられます。 確かに進んだ国ではあったのですが、中国の慣習として過去の文化を破壊するというか捨てる事をするので、過去に使われていた漢字なんかも王朝が変われば新しいものを使ったりします。 結果安定した王朝ができたり滅んだりを繰り返して、政治的にも文化的にも同じような事を繰り返していたので、近代化はかなり遅れてしまいました。 背景として、中国という国土が広く穏やかな自然環境だった為に文化レベルを必要以上に上げる事をしなくて良かったからかもしれません。 なにわともあれ、中国はウサギとカメのウサギのように、最初は速かったが途中で休む、停滞する時期が長かったということでしょう。

noneya7
質問者

お礼

繁栄と滅亡の繰り返しだったということですね。

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