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中国の抗日関係の施設について

ネットを見てると中国では抗日関係の施設も結構あるのではないかと思います。抗日関係の施設は昔からこんなにあったのでしょうか?いつごろから増えたのでしょうか? 日本人でも観光がてら見に行くことはできるのでしょうか?

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回答No.1

 施設自体は昔からありました。  自分は1978年に初めて中国を訪問しましたが、その際に遼寧省撫順市近郊の「万人坑」を見学しました。日本軍に村人が集められて二百数十人虐殺されて埋められた穴のうえに建物を建てて、掘り返された穴の様子(折り重なる本物の人骨が沢山みえている)をそのまま展示していました。当時、そこは特別にお願いしないと日本人には見せてくれない場所(共産党内部向け反日教育の教材)でした。同行者にどうしても見たいと熱望する人がいて、見学が実現したものです。  北京郊外盧溝橋の傍にある抗日戦争紀念館も20年近く前に見学しました。盧溝橋事件は日本軍の謀略だという中国の見解に基づく、事件当時の状況を示すジオラマとかがありました。日本の残虐行為の証拠という写真が沢山展示されてましたが、明らかにこれは日本人じゃないだろ、と突っ込める写真も散見されました。連れて行った当時小学校低学年の私の子供が見ていて、子供の目には明らかに違和感があったらしく、「こんなのおかしい!」と憤っていました。こちらは普通の博物館等に入るのと同様、予約も何もなく、誰でも普通に入って見学することができました。そのとき、日本人は私たち親子だけでしたが、特に変な目で見られることもなく、普通に見学してきました。(ほぼ二昔前なので、当時日本人はそのファッション等で明らかに周囲の中国人からは浮いてみえたと思います。)  抗日は中国共産党が中国大陸を支配することの正当性を示すキーワードとなっています。抗日戦争で共産党が勝利し、更に腐敗し人民を搾取する国民党を台湾に追い出して(国内革命戦争とか呼ぶらしいです)人民共和国を打ち立てた偉大なる中国共産党であるという史観です。(日本軍はほとんど共産党軍と戦ったという意識はなかったと思うので、共産党が抗日戦争に勝利したと主張することは、ピンと来ないのですが、国共合作で中国軍の一部に組み込まれて、編成上、八路軍、新四軍と呼ばれていたのが、共産党の軍隊です。)   中国共産党の指導者も、毛沢東、周恩来、そして、鄧小平までは、抗日戦争・国内革命戦争の勇者、生けるレジェンドだったので、その正当性、カリスマ性には圧倒的なものがありました。ところが、江沢民の時代(1993年に国家主席就任)になると、最初は鄧小平の後ろ盾がありましたが、1997年に鄧小平が逝去すると、それもなくなり、中国共産党はその正当性を単純明快に示す何かが必要になりました。それが抗日です。  今のような激しい抗日は、江沢民の時代に始まっています。’78年当時の「万人坑」は共産党内部向けの施設でした。まだ、貧しかった中国は経済を立ち上げるために日本のサポートが重要と考えて、抗日は党内教育程度にとどめ、余りおおっぴらにはしませんでした。その後の経済発展もあり、共産党統治の正当性を示す必要も有り、'90年代の抗日戦争紀念館は既に人民大衆に抗日を広く宣伝するためのものになっていました。抗日関係施設が増えているとしたら、この江沢民の時代になってからでしょう。  抗日関係の施設を日本人が観光することはできます。但し、反日気運が盛り上がっている時期(国際ニュースにご注目下さい)や、抗日戦争や共産党、人民解放軍関連の行事・記念日が多い時期(夏場がそうですね、7月1日は中国共産党の誕生日、7月7日は盧溝橋事件の日、8月1日は解放軍の誕生日、8月15日は日本の終戦記念日、9月3日は抗日戦争勝利記念日など目白押し)は十分気をつけることが必要です。「愛国無罪」(動機が愛国であれば、罪を犯しても無罪だ)というむちゃくちゃな理屈で、日本人や日系企業に暴行、暴動を働く輩が巷には多くいて、中国の治安当局もその連中の行為を黙認したりしますから。

noname#248380
質問者

お礼

抗日と言う概念は建国以来ずっとあった概念なんですね。1993年~江沢民の時代、1997年鄧小平が逝去後に特に強まったんですね。

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