• 締切済み

人間は

"おめでたい'事があると祝います。 今年も誕生日を祝われました。今年の誕生日は、何も嬉しくありませんでした。寧ろ不快に思ったくらいです。 プレゼントが気に入らないだとか、歳をとるのが嫌だからだとか、そういった理由からではありません。突然祝う理由がわからなくなりました。 人間は、おめでたい事があると祝います。 その時に祝いの言葉を投げ掛けたり、品物を贈ったりします。誕生日なんて、ただの年齢の変わり目なのに、何が"おめでたい"のかがわかりません。今年もたくさんお祝いの言葉を貰いましたが、全く喜べず、不機嫌な態度をとってしまいました。お祝いの言葉も、プレゼントも、自分が欲しいから言ってるだけ、あげてるだけなのだろうとしか思えず、こう思っている自分はおかしいとわかっていても現在もその考えのままです。 去年までは楽しく嬉しく祝われ、また私も祝っていました。 それがどうして急にこんな考えになってしまったのか、少し怖さを感じています。 男女の関係にも疑問を持っており、自分が人間から離れていっているように感じます。(相方がいるのが当たり前、という考え方が理解できない) 私は虐められた経験も陰口を言われた経験もありません。家庭環境が悪いわけでもありません。 この心理が知りたいです。

みんなの回答

  • HeyXey
  • ベストアンサー率26% (134/498)
回答No.11

 初めての社交辞令の時、言わなくて済むように考え方を持っていくのです。おめでとうと言われればありがとうと返事をし、プレゼントをもらえば嬉しくなくても感謝を表さなければなりません。そういううっとうしい気持ちにならずに済むように、考え方を持っていくのです。  もっと大人になれば、平気で口から社交辞令が出るようになります。本音を語らないことに罪悪感を持つような青臭さも無くなるでしょう。あなたは、その途上なので少し引っかかっているのです。  こうくればこう言う、という自由の無さ、それが嫌なのです。期待を掛けられるのは、自由を奪われることです。喜んでくれるだろうという期待を感じて、心が縛られるのです。  抜け出すには、主体性を意識することです。意識的に社交辞令を言う。本音を隠す。そして、それ以外の分野で思う存分に主体性を発揮すればいいのです。そうすれば、社交辞令に縛られる割合は、気にならない程度に抑えられるでしょう。  そうやって、大人は本音と建前を使い分けるようになります。

  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (952/8906)
回答No.10

大昔のように何かあると生死に直結なんて事がなくなったからでしょうかね? ある程度の年齢でなければ周囲も生きていて当たり前だし・・ >自分が欲しいから言ってるだけ、あげてるだけなのだろうとしか思えず、 自分がそうだからじゃないですか? しかも同じメンバーで定例化してしまってつまらなくさえ感じている可能性も・・ その場限りの見返りのない優しさはお持ちでしょうか? まぁ陰口は聞こえないだけだと思いますけどね。

  • sparkle719
  • ベストアンサー率12% (370/2998)
回答No.9

子供の頃はうれしかったけど、歳を取ることに対して、成長したと思わなくなったときから 私もうれしくなく、またひとつ年齢が上がってしまったと思うようになりました。 誕生日が来てもべつにうれしくもなんともないし、 おめでとうと言われてもあまりうれしくないので、 人の誕生日も以前はFacebookとかでおめでとうとわざわざいろんな人に書き込みにいってましたが、 この人も誕生日がうれしいと思ってないかもしれないしと思うようになってしまい、昨年ごろからは徐々に人におめでとうをいうのも減らしてます。

  • manmanmann
  • ベストアンサー率12% (535/4296)
回答No.8

あなたは幸せだからだとおもいます。 たとえば病気のときに、健康の大切さを知るように、もしあなたのまわりから、あなたを祝ってくれるような人がいなくなったら、あのお祝いがとても大切なものだったとおもうようになるかもしれません。 それを実感できるようになるまで、あまり祝われないよう静かにすごすのもありだとはおもいますが、そうやってみんなから離れていくのは、いつか後悔する可能性も大きいんじゃないかなあ。

noname#246942
noname#246942
回答No.7

だって、世の中に「当たり前」の事なんか、何一つ無いんだもん(笑 誕生日だからって、めでたいと祝う事が当たり前なんて法則、どこにも無いんだし、世の中には、男女二組しかいないんだから、必ず相方がいたり出来るなんて決まりも、どこにも無いんだよね。 むしろ、「そっちの方が当たり前」なのかも知れないのに、なぜみんな、そういう事が当たり前だと思ったり、その考えを押し付けてきたりするのだろう? でもさ、少し考えたら分かる事なんだけど、君自身が、自分の誕生日を祝ってもらう事を、素直に喜んだり受け入れたりする事が出来ないから、だから、他の人もきっと、君と同じように、本当は嬉しくないんじゃないか?本当は、喜んでいないんじゃないか?って思えて、そもそもなぜ、人がそんな事をするのか?って事まで、分からなくなるんじゃないかな。 >自分が人間から離れていっているように感じます 君は、少し「人間」を誤解しているな(笑 君に取って、「人間」とはどんな生き物なんだ? 自分や他人が、この世に誕生した事を、何の疑問も抱かず、素直に喜んだり、素直に祝ったりする生き物が、人間だと思っているのだろうか? 男女問題でも、何の迷いも持たず、好きな人が出来たり、恋人を求めたりする生き物が、人間であると、そう思っているのだろうか? 自分から見れば、君は、実に「人間らしい人間」だと、そう思うけどね(笑 君が、本当に人間から離れている生き物だったなら、きっと、最初から何も感じたりしない。 分からないと思う事にも、理解出来ないと思う事にも、それがなぜなのか知りたいと思う事にも、きっと、何も感じないと思うよ(笑 なぜ、去年までは普通だったのに、今になって、何もかもが分からなくなったのか? それは、子供にひらがなを教えるより、ずっと簡単な事。 「その意味を知りたいと思ったのが今だから」だろ? ただ、そういう疑問は、「今だから分かる事」と「今だからこそ分からない事」とに分かれる時がある。 だから、その答えが分かるまで、長く、辛抱強く生きて行かなければならない事なんだよね。 自分は、自分の子供が生まれた時、その意味が分かった気がした。 その時に、自分が生まれた日を、なぜそこまで家族が祝ってくれていたのかも、同時に分かった気がした。 でも、だからと言って、その時の気持ちが、いつまでも変わらず、ずっと維持出来ているとは限らない。 人間、日々色んな事があったり、色んな事を考えて生きている生き物なんだからね(笑 時には惰性に委ねてしまったり、時には義務的なものになってしまったり、そんな時も、少なからずあるんだと思う。 でも、その時の気持ちが本物なら、いつかまた、必ずどこかでそれを思い出す時がくるだろう。 それは君だって、君の家族だって、同じ事なんじゃないかな。 だから今は、その答えが分かるまで、今の気持ちを否定せず、大事にして欲しいと思う。 回答になっていなかったかも知れないが、参考程度まで。

回答No.6

>誕生日なんて、ただの年齢の変わり目なのに、何が"おめでたい"のかがわかりません。 貴方を産み育てたご両親にしてみれば、よくぞここまで死なずに育った、ということで1年の節目に祝うのです。 死亡率の高い年代を通過して、成人すれば、それほど目出度い事とは思わなくなります。 でも、齢90歳をすぎたころには、ふたたび「よくぞ死なずに一年生きたね」ってことで、また誕生日を祝う意味も出てきます。 それまでの間、自分の誕生日は放っておいて良いですから、他人様の誕生日を祝ってあげましょう。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.5

人生は、過酷なときもあります、苦しい時も 退屈なときもあります。 そういう人生を、少しでも潤いのあるものにする、 楽しいモノにしたい。 誕生日を祝うのは、人生を少しでも楽しくする 為の技術なのです。 お正月、クリスマスを祝う、てのも同じです。 人間は、楽しいから笑うのではない、笑うから 楽しいのだ、と主張した学者がおります。 誕生日はめでたいから祝うのではなく、祝うから めでたいのです。 何事も技術です。 ”この心理が知りたいです。”    ↑ 人間が、ステップアップしたのだと思います。 当たり前のことを、どうして? と考えるようになったのですから、それだけ 人間の深みが増したのでしょう。

  • mojya2012
  • ベストアンサー率42% (64/150)
回答No.4

私は男ですが女性を好きになりますし、 裸が見たいと思います。 しかし、たまに、美女のヌードを見ても、 なんでこんなもの見たいんだ?と、 わけわからなくなることがあります。 それとちょっと似ている気がしますね。 好奇心とか欲とかがなくなっちゃう感じといいますかね。 たぶん軽いウツ状態に入ってるのかもしれません。 ウツの説明とかに、欲がなくなる という事が書いてあります。 参考まで。

  • disaster
  • ベストアンサー率9% (16/163)
回答No.3

 ゲシュタルト崩壊ですかね。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%88%E5%B4%A9%E5%A3%8A  誕生日を祝うというのは、周期ですよ。  曜日だってそうです。一秒、一分、一時間、一日、一週間、一か月、一年。  どれも、おめでたいのです。    いきものというのは周期がないと何もできない。  周期が生命を生み出したのです。  ありがたいものなのです。  エッチする時だってそうでしょう?同じことを延々と繰り返すでしょう。  周期なんです。動くことです。繰り返す事なんです。  この世界が全く動かないところだったら、生命は産まれないんです。   相方がいなければならないのは、なぜなんでしょうねえ?  (;´∀`)  自分だけだと、バリエーションが少なくなってしまうからでしょうかね。  だから繰り返しにエッセンスを追加したいという事で、相方が必要になってきたのでしょうね。  うむ。 

noname#208915
noname#208915
回答No.2

言われていること、 なんとなく、わかるような気がします。 ひねくれて、いるかもしれないけど 誕生日だったり、クリスマスだったりに 何か送りあうことに、 あまり意味はなく、何かを売りつける 機会として、認識してもらうために プレゼントのイメージをCMなどで ずっと刷り込まれてきた可能性がとてもあります。 私はバブル世代だから それはとても感じますが じゃあ、自分が儀礼的ではあっても 吟味してプレゼントを差し上げたのにも 関わらずに、 誕生日を聞かれることもなく ことごとくスルーされたときは 誕生日なのに、とても孤独に陥りました。 あと、まあ、これも考え方ですが 産んでくれた親に感謝しろとか そういう考え方もありますね。 相方がいるのは当たり前なのが おかしく感じることは、あり得ることでは ないでしょうか? 私はいま思いついた側面しか言えませんが 相方がいれば、記念日に高価な指輪が 欲しくなるように、 仕向けてくる世の中だってあるかも知れないし 頃合いになれば、子供産みましょう とか、それが一番です。スタンダードな幸せですとか、言い切られても 必ずしも、そんなことはないと思います。 そういう感覚は消せるものではないですが 世の中がもともと、とてもおかしく 経済に都合よく、生活スタイルやら アピールしてきても、もうのっかりたくない ひとが沢山いるから、 みんなあまり、こだわらないで生きていく スタイルの人も増えたような気がします。

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