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精神障がい者(統合失調症)の理解度について、など。

私は、40代前半の精神障がい(統合失調症)の男性です。 ・幼少の頃から、明るく、温和な性格で、ツアーコンダクターや外資系航空会社の男性客室乗務員などの、海外に定期的に行くことが出来るうえ、自分の好きな『人に対して、サービスをする仕事』を、ずっと、夢見ていました。 ・小学5・6年の担任が、生徒・父兄からも支持されている人で、私も、勉強への『やる気』がむくむく出てきて、この成績だと、地元にある私立の中高一貫教育の進学校に入れるぞ!というところまで、がんばりことが出来ていたのですが。 中学は、家庭の経済的な事情により、そのまま、公立の中学校へ行き、高校を公立の進学校に行くことにしよう、ということになりました。 しかし、物心ついたころから、ものすごい運動音痴だったのですが。中学1年の担任が、体育大学卒の20代半ばくらいの男性教師で、『やる気』が急降下していき、中学2年の3学期くらいの、担任からの進路指導の際、「〇〇(私です。)が、入れそうな高校は、〇〇高校普通科か、〇〇高校機械科だな、」と言われたのですが、2校とも、『不良の多い印象の高校』であり、「僕は、落ちるところまで落ちてしまった!」と感じ、高校は、普通科のほうの男子高へ行き、大学は県外の三流大学に入りました。 高校・大学時代は、『勉強』という言葉が分からない!と言ってしまいそうなくらい、授業中、教科書とノートを開いた記憶がないほど、「何をしに、学校へ通っているんだろう・・・。」状態の7年間でした。  大学2年頃から、引きこもりに近い状態になり(大学へは、ちゃんと通うのですが、週に1回だけ、アパート近くのスーパーで、1週間分の買い物をまとめ買いし、アパートに早足で帰宅、という日々を過ごしていました。 自律神経失調症・過換気症候群・過敏性腸症候群・パニック障害などのメンタルヘルス系の症状が、次々と現れ、今、考えましたら、「よく、中退・留年することなく、4年間で卒業できたなあ・・・。」と、思うほど、ぼろぼろのキャンパスライフでした。  卒業後、地元に戻り、新卒で某・小売り業の企業に入社。  しかし、症状は、ますます、悪化していき、新入社員研修が終わると同時に退社致しました。 それからは、現在まで、短期のアルバイト・パート&精神障がい者のための『精神保健福祉センター』『精神障がい者就労支援センター』への通所&自宅療養の繰り返し人生です。 24歳から『心療内科』『精神科』への通院をするようになりました。 28歳の時、保健センターで精神保健福祉手帳(精神障がい者手帳)を、手にしました。 3回、転院しましたが、5年前から現在の『内科か・神経科・心療内科クリニック』に通うようになってから、ようやく、ひどかった症状から、安定した状態へ向かっていることを自分で分かるほど、になってきたのです。 (※20代半ばから、30代いっぱいまでは、かなり、重症な自分と闘う日々を送っていました。)   以前は、精神障がいであることを隠しながらのアルバイト探しをしていたのですが、働き始めて、数ヵ月経ってくると、症状が現れ、勤務中に体調を崩し、職場の上司から、暴言や心無い言葉を浴びる、ということを数え切れないほど経験してきましたので、臨床心理士の先生から、『人から、暴言などを浴びた時の回復法』などを教わり、そのおかげで、精神的ショックを受け、自宅で寝込む、と言うことは無くなりました。 ・現在は、最初にもお伝えしましたように、元々は、明るい性格なので、『障がい者人生を悲観的に考えたりせずに、『障害者職業センター』の担当カウンセラーさん・約15年間くらい、お世話になっている『ハローワークの専門相談部門(障がい者窓口)』担当の相談員さんと話し合いをしながら、焦らず、自分に合った(適した)、『障がい者採用枠』のアルバイトを探しているところです。(※障がいをクローズにしての職探しはやめ、障がいをオープンにしての職探しをしています。) 私は、障がい者のための就労施設で働いていく道は選ばず、面接希望の一般事業所があれば、人事部・採用担当の社員の方へ、障がい者であることを伝え、障がい者に対し、理解のある職場に再就職する道を選ぶことに、以前から決めておりました。 健常者の上司・同僚と一緒に働くことが、嬉しいし、『社会人として生きている』という思いが、全身に満ち溢れている感覚がするのです。 ・『明るく、温和な性格』で、幼い頃から、心の中で「人前に立つことをやってみたい!」という、目立ちたがり屋な面を持っている人間のようです。 ・この8月くらいまでに、アルバイト先を見つけ、働いていき、毎月の給料の中から、『定期積立』をしていき、目標の金額の貯金が貯まりましたら、地元を離れ、給料の中から、大きな負担に感じない範囲内のアパートかマンションで、一人暮らしを、大学生時代以来、20年ぶりくらいですが、開始します。(※3・4年後に、地元を離れる計画です。ここでも、『焦らずに…。』) ・一歩一歩、安定状態が長続きするよう、心と体に言い聞かせながら、『自分のやってみたかったこと』を実現出来るよう、ポジティブに考えながら・・・。 ・主治医と母からは、応援してもらっています。 『悲劇のヒーロー』になるのではなく、『一陽来復』の気持ちで、これからも、生きていきます。 「精神的にしんどいんだ!」という、同じ障がいを抱えた友人知人に向かって、「ポジティブに考えるんだ!」というような、強制をすることはせず、その人・その人に負担をかけない接し方をしていこう、と思っています。 ・私の、これまでの人生、これからの人生の考え方、同じ障がいを抱える友人知人への接し方など、自分に適した考え方でしょうか?  その他、ご意見・アドバイスなど、ありましたら、どうぞ、よろしくお願い致します。

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回答No.2

元精神科病院事務員です。この病気を理解・認識して非常に積極的に治療方針を決めていかれている事に感銘を受けました。このサイトの「精神科」にのコーナーにも患者さんの様々な悩みの相談が寄せられていますが、やはり働いて一番ネックになるのは、「対人関係」です。普通の企業に入社して、周りの人たちは貴方の病気を理解する人は極稀と認識して下さい。そうしますと貴方を取り巻く職場の同僚から貴方は阻害される恐れが充分にあります。そうなりますと、貴方にとっては「誰かが僕の噂をしている」とか、そのような妄想観念が芽生えて、また過去のように引きこもりのような生活に戻らなくてはなりません。そうしますと、せっかくここまで順調に回復された事が、また逆戻りのようになりますので、私はこれまでと同様に「障害者枠」での仕事の方が、安して働けると思います。それだけ「一般の人たちはこの病気に理解は無い」、世の中ってそんなものです。

noname#223543
noname#223543
回答No.1

こんにちは(^ω^) とても前向きでいいと思います 友人、知人には押し付けない考えも素晴らしいですよ。 ただ、精神科も 統合失調症だけでなく 躁鬱、パーソナリティーなどいろんなタイプの病気があるから 深入りし過ぎすると 巻き添えをくらう場合があるので注意してください。 人によって捉え方が多種多様だと思うので。 仲間は大事にしてください(^∇^)

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