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人と丁寧に接するということ

私は人見知りが激しいのですが、慣れると馴れ馴れしくなってしまいます。 直そうとしても人との距離感の計り方が苦手で、すぐに馴れ合いになってしまいます。 自分でもダメだなと思っていたのですが、先日、歳も近く立場の似た方に指摘を受けました。 「丁寧に接すればもっと現状が変わる」と教えていただいたのですが、 その場では「なるほど!」と思ったものの、丁寧に接するということがわからず、 馴れ合いになってはいけないと思っていても同じ会社の同年代の人が気軽に声をかけてくると やはりどうしても馴れ合いみたいな感じになってしまいます。 実際に丁寧に接するということはどのようなことなのでしょうか?

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  • blazin
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回答No.9

人見知り≒決め付けの壁を作ってしまう。 必要以上に相手から距離を置いてしまう状態。 馴れ馴れしい=親しさの適量を弁えずに、 必要以上に相手に近づき過ぎてしまう状態。 どちらも丁寧じゃないんだよ。 丁寧さとは、 相手から見た自分、という目線も大切にしていく事から始まる。 人見知りって、 一見すると相手からの見方(見え方)、 それを気にしているように見えるんだよ。 でも、 人見知りの人は、 今の、目の前の相手を確かめる「前」に、 遠くから相手の事を勝手に決め付けてしまう。 きっとこういう人に違いにない。 こうだったらどうしよう? こう思われていたらどうしよう? 勝手に相手を自分の中で決め付けて(見知って)、 それを相手そのもののように思い込んで、 思い込みを壁のように挟んだ状態で向き合う事が多い。 でも、 その壁は貴方個人が創り上げた想像(不安)上の壁。 おそるおそる壁越しに向き合ってみたら・・・ 意外にシンプルに向き合ってくれる人もいる。 遠くから見た、 感じた範囲ではとっつき難い。 そんな印象でも。 いざ向き合って、 少しずつお互いを知っていく中で、 良くも悪くも貴方自身が最初に用意した、 心の(決め付けの壁)は要らないんだ・・・! そう感じさせる人もいるんだよ。 貴方は、 そう感じる(!)と、 その(!)に頼り過ぎて、 今度は必要「以上」に近づいてしまう。 最初は必要以上に距離を置いていた(人見知りの壁越しの)分、 その壁が必要無いと感じると、 一気に壁を越えて、相手の方に強く進んでいこうとする。 極端な人=丁寧じゃない人。 馴染んだ分、 相手の方に進んでいこうとする姿勢、 それ自体は決して悪いものじゃない。 でも、 受け止める相手あってこそ活きた親しさ。 貴方の気持ちの(!)と同じように、 相手も貴方を受け入れて、そして慣れてくれているとは限らない。 人一倍相手を警戒しているくせに。 いざ壁が取り払われると・・・ 貴方はその身軽な感覚に身を任せやすくなる。 人見知りの壁があるなら、 相手への慣れ度合い(歩み寄り)だって、 ある種の警戒や慎重さがあっても良いのに・・・ 貴方は、 最初に自分を抑制してしまう分、 一旦慣れると必要「以上」に自分を解き放ってしまう。 慣れた相手には、警戒よりも「軽快」になってしまう。 そんな貴方の軽さが、 相手からすれば凄く違和感を感じる(時がある) 最初の印象(見知り度合い)も含めて、 何でそこまで馴れ馴れしく出来ちゃうの?と。 アンバランスな印象を与えやすい。 それは貴方の傾向なんだと思う。 貴方はどう思う? こうして自分の癖や傾向を丁寧に考える事も、 実は大事な「丁寧さ」なんだよ。 なんとな~くで対応してしまわないようにする事。 それも大事な「丁寧さ」なんだよ。 こうして書き込んでみたからこそ。 貴方は、 自分が陥りやすい角度を自覚して、 これからの接し方に活かしていく事が大事。 それが、今の貴方に一番必要な「丁寧さ」なんだからね☆

その他の回答 (9)

noname#212854
noname#212854
回答No.10

直接の回答ではないかもしれませんが. ある著名企業の役員だった人の、人との応対に感心しています。 ずいぶん格下の部下や下請けなどにも、必ず丁寧な返答をします。 もちろん、上役や顧客への接し方は、抜群に丁寧です。 だから、上役や顧客はいつも彼を頼りにするし、部下や下請けも相談事はまず彼にしています。 たいへん忙しい人なのですが、全てにきちんと対応しています。 ですから彼は、その企業内ばかりでなく、業界全体からも一目置かれています。 競合している企業の役員たちからは、一目どころか二目も三目もおかれています。 人見知りなんて、小中学生の言い訳です。恥ずかしくありませんか?

  • sakura-333
  • ベストアンサー率10% (952/8905)
回答No.8

普通と言えば普通のような気もしますが、どのような支障が出ているのでしょう? 言葉とかでなく気持ちの問題でしょうか? 他人が立ち入ってはならない領域と言うか、細かいたとえ話にでもしないと距離感を言葉で表すのは困難なのですが・・

  • ootemon
  • ベストアンサー率13% (558/4273)
回答No.7

喋る時にくだけすぎない、プライベートを話しすぎない、相手との距離感などを考えるっていうことですかね。

回答No.6

適切な距離感が大事ってことではないかなと思いした。 たとえば同年代でもありがとう!ではなく、ありがとうございます。 と丁寧に締めるところはしめたり。

noname#208282
noname#208282
回答No.5

私もその人の言ってる意味はわかんないです。 むしろ粗末に扱うぐらいがいい。 嫌われることを恐れず、言いたいことはすべて言い、縁が切れてもいいやくらいの気持ちで接する。 ひとりの時間を優先する。 そうすれば、馴れ合いにはならない。

  • chiychiy
  • ベストアンサー率60% (18537/30887)
回答No.4

こんにちは 人には入ってほしくない領域があります。 あなたもそうではないですか? 根掘り葉掘り尋ねたり、何か聞くときにも敬語を使わなかったり 当たり前の言葉が出なかったり(ありがとうとか・・・) 様々な理由があると思います。 行動でも、モノを渡すときに、片手で渡すのと きちんと渡すのでは相手へ対する経緯も違ったものになります。 まず親しき仲にも礼儀ありを忘れてしまっているのかも知れません。 本来なら、親しい友達ですから優しく接するのが普通で ちょっとぞんざいになっていませんか? 初心を心がければ、きっと変われると思います。

  • trytobe
  • ベストアンサー率36% (3457/9591)
回答No.3

単純に、男女が人前でいちゃつくにも程度がある、というのと同じことで、 第三者を不快にさせない、とか、仕事とプライベートの境目は区切る、とかいう、「周囲の人への気配り」があれば、 お互いの失敗や仕事を妨げる「なれ合い」ではなく、潤滑な職場の人間関係のための「コミュニケーション」として受け取ってもらえるでしょう。 「第三者に見られている」という意識が常にあれば、それが自制になることを指摘いただいたのだと思いますよ。

noname#209756
noname#209756
回答No.2

なんともいえないですけど。「公共圏?」という意識が落ちているのでは。 「親密」など人って段階があります。 ダンバー数など。 礼儀って型にあてはめるといいますけど。儒教の荀子の性悪説からやはり一つの考えとして大事かと思います。 犯罪がゼロになった時代なんてなく。悪いことをする人はするのです。 友人は大事ですけど、礼儀をなくすのは社会として無理なだけです。 気分的に丁寧といっても何もわかりませんよね。丁寧には土台のあるものかと思うので。

回答No.1

その答えご自身が仰ってらっしゃいますよ。 馴れ馴れしくならない距離感を保つことが丁寧な接し方だと私は思います。 あまりに付き合いが濃くなると見えない部分が見えて来たりもしますし、 見透かされてしまう部分もあるのです。 それ故に客観的に判断出来なくなったり自我が出て来たりするのです。 丁寧に接するという事は自分に隙を作らないことと同時に 常に相手を思いやる気持ちを同時に持ち合わせてないと行けません。 まずは言葉使いから相手を敬うよう、心がけされたらどうでしょう。 ポジティブに考えれば「慣れ」という習慣です。 ネガティブに考えれば「馴れ」なんだと思います。 丁寧に接するには日頃から丁寧にする「慣れ」を身につけた方がよろしいかと思います。

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