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人生は苦しい出来事のほうが多い。楽しいことが少ない、そんなもんだよ
- 人生は、苦労と苦難のほうが多く、幸せや楽しみはごく少ないということです。しかし、その言葉が自動的に思い起こされ、考え事をする時などに頻繁に思い出される理由について皆さんの意見を聞きたいです。
- ある60前後の男性から言葉をいただいたことがあります。その言葉は人生は苦しい出来事のほうが多く、楽しいことは少ないというものでした。私はその言葉に感動したわけではないですが、たまに考え事をする時などに思い出されます。皆さんはその言葉が当てはまると思いますか?
- ある60前後の男性から言葉をいただいたことがあります。「人生は、苦労とか、苦難のほうが多く、幸せだとか、うれしいこと、楽しいことなんてごく少ない、人生は苦しい出来事のほうが、多い。楽しいことが少ない、そんなもんだよ」というものでした。私はその助言に感動したわけではありませんが、たまに考え事をする時などに思い出されます。皆さんはその言葉に共感しますか?
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こんにちは。それは仏教的な教えです。 言葉にとらわれて、意味をまちがては変な解釈になります。 「人生は思い通りにならない」=「一切皆苦」 http://www.tees.ne.jp/~shouen/ohanasi/osie/ku.html 「人生はむなしい」 http://www.j-theravada.net/kogi/kogi155.html 「がんばるな、あきらめよう」 だいたい、そういう意味でおっしゃったのではないでしょうか。
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- tlc_me
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「人生経験」が豊富な人を求めるというのはどういうふうな期待なのでしょう。 職業遍歴が多い。 女性遍歴が多い。 事業で波瀾万丈の果てに乗り切った。 社会の動乱にさまざまな見聞をした。 こういうようなニュアンスがあるのならば、私はたいした経験もなく真面目に組織に奉職して功績をあげたことも ないのでとても人生経験の豊富さはないのです。ですが、そういう人間でも思い返すと海山川のり越えてきたのかもしれないという気がするのはなぜでしょうか。 私は、肉体の数だけ個性があると言っておられた脳解剖学者の養老孟司氏の言うのはなんとなく当たっていると思う人間なのですが、この地上にいる数だけ個性があってその個性ごとに生涯設計がてんでバラバラなのです。 まして取り巻く状況がそれぞれ違います。 ここに人生模様のような大雑把な見取り図がつくれるのかどうか、、、 かなり難しいと思いますよ。 理系のかたならば複雑系というわけです。 とおりいっぺんの絵図にはおさまらないのが人間の生涯だと思います。 そこで苦労と困難にたいして幸福感が対比されているのは私は間違いだと思います。 苦労と困難の体感は意欲との関数です。 やるきがないまま取り組めば苦労と困難の山積にしかみえません。 しかしロシア文学ででてくる乙女たちはまともな履物もはかずに酷寒のシベリアを幾千里でも恋人を追い求めてゆくというような話が多い。当事者には沸々と沸騰している燃えたぎったものがあるので逆境というのはエネルギーの噴出が持続するためのセッティングにすらなりえます。 一方、幸福感についてはノーベル経済学賞を受賞したカーネマン博士らがある程度解明した事実を踏みましょう。 つまりなにが言いたいかというと実はそれらは心の仕組みで生じる心理的な事象にすぎないそうなんです。 総量でいま100の痛みを与えずに、分割して10の痛みを9回与えた人たちのグループと痛みを与えずに最後の最後に15の痛みを与えたグループとを比較すると累計で90の痛みを与えられた人たちよりも痛みを9回与えられずに最後の10回目に15の痛みだけ与えられた人たちのほうが痛みの記憶が長く尾を引いて(つまり不幸だとくりかえし反芻する効果が生じる)その結果心理的に落ち込むという可能性が人間にはかなり高い傾向で生じる傾向があるのだそうです。 つまり、あなたの話ではそういう主観が客観的な状況を歪めるという機制Mechanismについて言及されていません。 だから正しい答えには向かえない問い方なのだと思います。冷静に客観視する人間からみれば個人の主観はかなりいかがわしいまねをそれぞれの心理内部で悪さをするもののようです。 あなたに説教したオヤジは、自分の心理の中に浮遊しているおさまだりの固着した世間相場に付託して自分語り している可能性もありますよ。そういうしたり顔のオヤジはこの世にはいくらでもいます。 大切なことはいかなる個性にも普遍的なこと。質のたかい入力を持続して自分自身の意欲が湧き上がるのをじっくり 仕上がるまで養うことです。自分をしっかりと養った人だけが自分に迷いなく判断が出来るようになる。 苦労とか不幸とかを考えるのは、そのあとの仕事です。
- bakuage
- ベストアンサー率25% (3/12)
味わう快楽の「耐性」によるんじゃないですか? 酒や麻薬を喰らい続ければ、耐性ができてあまり効かなくなり、禁断症状が現れる。 それと同じで、楽しさとかうれしさの種類によると思います。 個人的に、他人とうれしさや喜びを共感し共有する類のものは 耐性ができにくく本当の幸福感だと思います。 それとは別に自己愛を満たす類:金とか学歴、物、肩書き、名誉などは まあ人をジャンキーにする類の快楽ではないでしょうか だから、 前者を満たせず、後者に固執し禁断症状でくるって不幸を嘆くのは自閉症とかアスペの傾向がある人間が多くなるわけです。 なぜなら、他者との思いの共有・共感が難しい障害ですからね 質問の趣旨と外れたかもしれませんが、ありきたりなことを回答してもおもしろくないのでね、ごめんなさいね。
お礼
ありがとうございます。
人生観は人それぞれではないでしょうか。
補足
そのくらいは、わかるのですが
- mimie9
- ベストアンサー率12% (15/125)
『苦』がなければ『楽』は来ません。 私は33歳ですが、今までの人生を語ると『波乱万丈な人生だね~』と言われます。 私としては『ん~そうかな?そこまでではないかと、、』って思ってしまいます。自分が選んで来た人生ですし、視野を広げて見てみれば、私より沢山の方々が『苦』の人生を送ってると感じます。日本人は除きます。 なのでいつも『まだまだ甘ったれ』と答えます。苦労して来たからなのか、周りから助けられる事が多いです。とても有り難い事です。それに甘んじず、自分に厳しくしてます。 何事にも、辛く苦しい人生を味わい、乗り越えた人では無いと、あなたが言う『苦』『楽』の意味が理解出来ないと思います。 『そうでもないですよ。』と答える方は、人生において、そう言う事から逃げて『楽』な道しか歩んで来なかった。甘ったれと言えるでしょう。 『苦』の人生を歩んで来た方々は『目』や『顔つき』が違います。
- toujrou5
- ベストアンサー率0% (0/1)
質問者さまが、ちょいちょい思い出してしまうのは、正しいと思います。 「苦」がなければ「楽」は感じられないからです。 水戸黄門の歌ではありませんが、これは真実だと思います。 全てが整った環境が元からある人がいたとして、楽しいとも思えません。 我慢して、手に入れることのできた瞬間「楽しい」と感じることが出来る気がします!
- 参考URL:
- http://damezettai.x.fc2.com/
お礼
ありがとうございました。
- manmanmann
- ベストアンサー率12% (535/4296)
私はそうでもないとおもいます。楽しいことのほうが多いですよ。 人生の後半で一気につらいことがきてバランスとらされたらちょっと困っちゃいますけど(笑)
お礼
見つけるのが上手い人がいますもんね
- izumi044
- ベストアンサー率36% (1333/3622)
毎日楽しいですし、大笑いして生きていますし、小さなことでも幸せを噛みしめて生きています。 ですが、これはそういう意味の言葉ではないと思います。 若い者に対して、人生お先真っ暗だという意地悪な方はそうそういらっしゃらないと思いますよ。 (お父様のご友人なのでしょう?) 楽しいだけで生きていられるのは若いうちだけ。 年齢を重ねていくにしたがって「酸いも甘いも噛分けて」行く必要があります。 それは、毎日が楽しいと感じられなくなるわけではないですし、幸せを噛みしめることが出来ないというわけでもありません。 ・楽しいことばかりに目を向けず、きちんと辛いことにも向き合い受け入れていくこと。 それが出来るだけの大人になったと認められたか、それを考える時期がきたのだと、そういう意味でお話しされたのではないでしょうか。 それからもう一つの可能性として。 もし、その方が職人か何かでしたら、これはとても深い言葉だと思います。 一つの道を目指していると、楽しいよりも苦しく辛いと感じることがとても多いです。 「あー、楽しかった」「この世界に携われて幸せだなあ」なんて思っていられる時なんて、そうそうないです。 むしろ、自分はまだまだだと思い知らされることが多く、打ちのめされることばかりです。 ほんの一瞬報われたと思っても、次の瞬間にはまた新たな試練に立ち向かわなければならない。 「なんでこんなに苦しいのに、続けてるんだろう」 何度自分に問いかけても答えなんて出やしませんし、そんなことで悩んでいる時間があるなら、目の前の問題を解決する方が大切です。 そうやって、苦しんで苦しんで苦しんで、気が付けばいつの間にか「こんなところまでたどり着いていた」となっているものでしょう。 何かを究めるということはこういうことだと思いますし、人が憧れてやまない人ほど、毎日気楽に楽しくなんてことから無縁の世界に身を置いているものでしょう。 そういう立場の人からすれば、至極もっともな言葉だと思います。 どちらにせよ、大人として、人として、深みを増すために大切なことを伝えたかったのではないかと、私には思えました。
補足
私が暗く、悩んでいるかのような顔をしていたから、そのように助言して励ましてくれた感じだったと思います。 と書いたように、励ましで、助言されましたし、そう思ってますが 苦言だとは、感じませんでした
- KGS
- ベストアンサー率24% (1324/5321)
長い時間人間をやっているといろんな経験をするもので、その中には楽しいことも苦しいこともあってしかるべきです。 人間の記憶というものは、いい加減なようですが人から言われたことが頭の片隅には残っているようで突然、昔の偉人が言った言葉の意味が自分なりに理解できるようになることもあり得ます。 また、おみくじの文言や占いの文言のように具体的ではなく誰にでも起こりえるようなことを年配の人から言われると人は勝手に納得してしまうことがあって、よく騙される人もいます。 また心理的にも、落ち込んでいるときに上から目線であーだこーだ説教されるより自分と同じ立場で一緒に泣いてくれる人の方に影響されることはよくあることです。 「人生は~~」のようなアドバイス的な言葉はいつの時代も繰り返し言われていることで、「最近の若いもんは~~」と同じようなことです。 こういうアドバイスが間違いとは言えませんし、それで自分の人生と比較して納得できるのであればそれでいいのではないのでしょうか。 ただ、私は「人生は、苦労とか、苦難のほうが多く・・・」とは思いません。 大変な経験もありますが、いつも勉強だと思っていますのでそれを苦労とか苦難などと思ったことはありません、今のところ。 人の助言が思い出されるということは、質問者さんも年を重ねたからか少し余裕が出てきたからと捉えるのが自然ではないでしょうか。
お礼
ありがとうございました。
- 177019
- ベストアンサー率30% (1039/3444)
68歳男性です。私はここまで生きて来て、その通りだと思います。その人それぞれの捉え方にもよるでしょうが、「あの時は楽しかったのに何で今?」とか「自分が悪い事もしていないのに何で自分だけ?」と思う事も何度かありました。何だかんだと言っても生き抜いてこそ今の幸せにたどりつけるのであって、実は私は28歳の頃、自殺を考えて電車に乗り、気が付いたら岡山でした。 その夜岡山で宿泊して、あくる日、私は広島行きの電車に乗っていました。そこに娘と母親らしき人が乗ってきて世間話を始めたのです。そして、母親らしき女性が何気なく言った言葉、「因縁は自覚せんといかんわ、」、私はその場で両手を顔に当てて泣いていました。これが自分の因縁、業、宿命かと思いました。広島で原爆記念館を見学して、残酷な姿で亡くなった方の事を思うと「こんな自分の小さな悩みなんて、」と思って帰って来たのでありました。やはりどんなに苦しくても乗り越えて行く事が大事なのです。
- eroero4649
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私は若い頃、何かの本を読んだときに「人生、八勝七敗でいい」という言葉に出会いました。それはまだ若かった私にとって、「まだ七敗できるのだ」と大変勇気づけられる言葉でありました。 しかしもう若いとはいえない年齢になったある日、自分がもう八敗してしまったことに気づきました。これは大変ショックでしたね・笑。 そしてそれからいろいろあったある年齢のとき、「人生、一勝十四敗でも、千秋楽が勝ちなら悪いもんじゃない」と思えるようになりました。 人生楽しいことのほうが少ないこともままあるでしょうが、だからといってそれが損だというわけでもありません。その中の数少ない楽しいことでも、思い出深いことならいいじゃないですか。
お礼
なるほど、わかりました。
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お礼
urlも読ませていただきました。勉強になります。その方もこういう事を伝えたかったので、私に話をしたのですかね。 さすが、okwave 質問して、よかったです。 その男性は、仏教関係の信者さんだったので、このご回答を読み、合点いきました。 自分が学んだことを、私に伝えてくれたのですね。その方の真意がわかりましたので、本当に質問してよかったです。 男性が何を言いたかったのか、探していたのかなと思えました。ありがとうございます。