イスラエルとパレスチナの間には一度停戦合意がなされています。1993年のオスロ合意で、PLOのアラファト議長や当時のイスラエルのラビン首相らはこの年のノーベル平和賞を貰いました。しかし、ラビン首相は国内の不満分子に暗殺され、パレスチナの自治と国家としての相互承認は棚上げされてしまいました。アラファト氏も後年暗殺されて、それぞれまとめ役を失った結果、PLOのあとを継いだファタハはハマースなどのイスラーム急進派のテロを押さえられず、また、イスラエルも一枚岩ではなくヨーロッパから移住した世俗派と中東やロシアからの宗教色の強いユダヤ土着派とに分かれて、彼ら強硬派が非妥協的になり、右派のネタニエフ首相の台頭を許しています。
結局お互いに世俗派、民族主義という人間中心の話し合いを離れて宗教色の強い(妥協が出来ない)異なった神の下での感情論からの暴力の応酬に成っているようで、このままではやはり相互に闘える人間が全滅するまでこの戦いは終わらないのではないかとも思われます。アメリカが弱くなったからだというひともいますが、それはあまり関係はないと思いますよ。
>ヨルダン川西岸地区:はファタハが優勢ですが、ハマスはガザ地区を牛耳っているようです。
お礼
詳しくありがとうございます。 参考にさせていただきます。