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パレスチナ自治区について

パレスチナ自治区について 第一次中東戦争の後、ゴヤ地区とヨルダン川西岸地区がそれぞれエジプト、ヨルダンにより自治区になったと思うのですが、そのあとの状況が複雑でいまいちどうなっているのかわかりません。 そのあとは簡単にいうとどのような経緯で、現在どうなっているのでしょうか? また、イェルサレムについては今はどこの国に属していたりするのでしょうか?

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  • kusirosi
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回答No.1

ゴヤ地区 印象派的な名称ですね\(^^;) 自治区とは違います、現在のイスラエル程度にも エジプト、ヨルダンは自治を認めていませんでした 1948年10月1日 アラブ連盟の後押しで、イスラエル建国に対抗し ガサで、全パレスチナ政府樹立、エルサレムを首都とするパレスチナ独立を宣言 。 しかし、第一次中東戦争でアラブ軍敗北、停戦ラインを基本に、 旧パレスチナは、エルサレム新市街を含むイスラエル、エルサレム旧市街含むヨルダン川西岸地区、ガザ地区に分かれます。  ガザ地区は、エジプト軍占領下に置かれましたが、エジプトはパレスチナ政府に権力を渡さず(1952年パレスチナ政府消滅)、しかし積極的な民生経済開発をせず、ガザは自国領土でなく軍事占領してるにすぎないと、 百万以上のガザ住民は無国籍状態に、おかれ、委任統治時代を同じ英国法が適用されていました。エジプトとの出入りも厳重に規制され、エジプト占領下のガザは、既に巨大な難民キャンプと化してしまいました。  1967年の第三次中東戦争でイスラエル占領後は、大半の住民がイスラエルにに通勤するようになりました。  1994年には、イスラエルとPLOの合意に基づきアラファトPLO議長が、ガザに帰還。パレスチナ自治政府成立に先立ち、ガザ住民による先行自治が、開始されました。  2005年には、治安責任がイスラエル軍から自治区政府に委譲、イスラエル軍はガザから撤退。  ところが、自爆テロ、ロケット弾攻撃などテロ活動を繰り返したハマスが 自治区政府に反乱、ガザを占領支配したのに脅威を覚えたイスラエル軍は ガザを再占領、ハマスとの焦土作戦で、ガザは戦乱で破壊され、再建に国際支援を求めています。  一方、ヨルダン川西岸地区は、ヨルダン川を渡河して進撃したヨルダン軍に占領、アブドラ王は嘆きの壁など、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地であるエルサレム旧市街を含む西岸地区のヨルダン併合を宣言。 パレスチナ独立を主張するパレスチナ市民軍は、ヨルダン軍に虐殺、国名をトランス・ヨルダン国からヨルダン・ハシミテ王国に改称。アブドラ王はアラブとイスラムの盟主を自負した。ヨルダン国籍の七割が、パレスチナ人となったが、アブドラ王は、1951年、東エルサレム巡礼時に、パレスチナ人に暗殺される。  1967年、第三次中東戦争で、イスラエルとエジプトの戦乱に乗じ、ヨルダン軍はエルサレム新市街を攻撃、エルサレムの軍事統一、さらなる領土拡大を企んだが、火事場泥棒に失敗、イスラエル軍の反撃で、西岸地区を失ってしまう。  イスラエルは西岸地区併合は意図せずとして、ヨルダンが、西岸住民をパスポート交付したり、民事訴訟をヨルダン法の宗教裁判所で行うことを黙認したが、ヨルダンは、西岸から移動したPLOに国を乗っ取られそうになり、PLOを殲滅・追放し、1988年には西岸放棄を宣言してしまう。(現在でもヨルダンの人口の6割以上がパレスチナ人)  1995年、パレスチナ暫定自治政府の統治下に西岸地区が入るが、ユダヤ人入植地が残り、頑強な「壁」を建設してパレスチナ人地区との隔絶が進行中だ。西岸はA、B、Cの3つの地区に区分され、A地区はパレスチナ暫定自治政府が行政と防衛の両方を担当、B地区は行政は自治政府が行うが防衛はイスラエル軍が担当、C地区はイスラエル軍が支配、このほか東エルサレムはイスラエルが併合している。イスラエルは段階的に自治政府の権限が及ぶA地区とB地区を増やしているが、それでも合わせて西岸の4割に過ぎず、その領域も細かな飛び地状に分割されている。  エルサレムを実効支配しているのはイスラエルだが、パレスチナ自治政府も、名目上の首都・独立後の恒久首都をエルサレムと宣言。  アメリカ始め、多くの国がエルサレムをイスラエルが実効支配するのは当然とするが、その全域を完全に領有するには懸念が残るとして、大使館をテルアビブに置き、総領事などをエルサレムに派遣している。 ※日本は、パレスチナ暫定自治区政府のある西岸のラマラに日本政府代表事務所を置いている。