母を数年前に亡くしました。
最初の1週間はとにかく忙しくて、通夜、告別式はもちろん税務署、銀行、保険会社、年金事務所など普段行かないような場所に行って、死亡の手続きに追われて大変な目に合いました。
ある程度の相続の手続きをして、残った遺品の整理が一番つらいというか今まで忙しくて悲しいとか喪失感という感情まで出ていなかった自分に幻滅していて、こんなに悲しくない自分は本当に冷たい人間だったのかという葛藤がありました。
その頃に自分が小さかったころの写真が出てきたり、高校生のころ勉強や部活に行き詰ってしまって悪いグループに入りかけたことがあったときの日記帳がでてきたりして・・・
読んでいたら、あれもして、これもして、あの人にこういうアドバイスを受けたとか・・・もう私のことが生活の100%でした。
あのころは、自分の思うようにならない初めての社会生活に反発して親が心配しているのが分かっていても、無理に距離を取っといたりとか、今から考えたら子供の行動そのものなんですが。
でも、そのころは親も親になってからの時間は子供と同じですから、本当に悩んていたのですよ。
よかれと思って子供にしたことを、すべて跳ね付けるわけですから今から考えれば、どうしてあのとき少しだけでも親のことを受け入れてあげられなかったのか。
辛かったのは想像して余りあります。
最愛の自分の子供から全否定されるわけですから。
今、実家は年老いた父親が一人になってしまいました。
いずれは2世帯で生活するために建てた住宅ですから、いつでも引っ越してきてかまわないんですけど踏ん切りがつかないんでしょうね。
ときどき実家に帰って父親とお酒を飲みます。
もちろん、母親を含めた先祖の仏壇に線香を添えて手を合わせてかえるんですけどもこの前一度火事になりかけたと父親から電話がありまして。
いきさつを聞いたら、私が線香立てに火の付いた線香を立て、チーンして帰ったんですけどそのあと線香がぶっ飛んだみたいで、仏壇の前の座布団に引火して煙がでていたそうです。
たまたまトイレに起きた父親が発見して、大事にならなかったんですけど、ひょっとして今でもあのときの恨みがあるのでしょうか?
もう反省しているので、なんとか許してほしいです。
お礼
そうですよね。もう話せないし会えないんですよね。 おいしいもの食べて欲しかった気持ちわかる。