• 締切済み

鬱と強迫性障害(縁起恐怖)で20年以上悩んでます。

5歳の頃から22年ずっと鬱と強迫性障害(縁起恐怖)と戦っています。 

長文ですが、まずは今までの鬱と強迫性障害と戦って来た人生を書かせてください。 

私は物心がついた4歳くらいの頃鬱、対人恐怖症と不安障害に悩まされていました。親には何も言わなかったのですが子供なりに克服しようとした結果、毎晩就 寝前に、明日はいい事があるようにと食器棚の前で棚を触るという言わばゲン担ぎようなものをやりました。自分の中ではこれをおまじないと呼んでおり、それ をしないと明日友達にいじめられるなどと神経質に思い込み毎晩のようにやっていました。幼稚園の時の障害はそれほど重度ではなく、小学生になった頃始めて 自分は他人と違うんだなあと思うようになりました。ここで注目して欲しい事は、おまじないを行っている時また行ったあとには鬱、対人恐怖や不安がなくな り、気分はとても晴れていたということです。これは今でもかわりません。おまじないは日々悪化していき最終的には24時間普通に生活している時にランダム に24時間脳が◯◯をしないとイヤな事(イヤな事の内容は具体的には今現在自分のなやみごとによって異なる)が起こると指令してくるようにまでなりまし た。結局、小学校の4年の終わりまで悩まされていました。 

主な指令は、 

-テストでワザと違う答えを書く。 
-会話する時にもワザと違う言葉を言う。
 -道を歩いている時に白線の前で4回足踏みする。
 -テストの時に消しゴムをつかわない。 
-同じ所を4回触る 
-人の顔を首を4回動かしながら見る。
 -目的地までわざと長い道のりを使っていく。
 -シャンプーをしない。
 -髪の毛を抜く。
 -わざと財布を道に落とす。
 -授業中、ノートを取る時に本来写さなければいけない黒板に書いてある内容とは違う事を書く、またノートに写した後、写したページを破き捨てる。

 など書けばキリがありません。 この指令を無視した場合イヤな事が起こると脳が訴えます。

ちなみに、この文章を書いている時も強迫的な行動はやっています。上の「テストの時に消しゴムをつかわない。」と書いた文章も本当は「つかわない」を漢字に変換したいのですが脳に漢字に変換したらダメという指令があり変換していません。

小学校5年生にあがると勉強も難しくなり、ちゃんとしなければ授業について行けなくなったので障害を治そうと決心し、頭に語りかけてくる幻覚を無視する事 にしました。ノートもちゃんと奇麗に取るようになり、強迫的な行動をするのをすべて止めてみました。するとどうでしょう、学校の成績もうなぎ上りで、塾の 先生からも褒められるようになりました。自分の意思通りに行動できるとはこんなに素晴しいものなのかと実感していました。

 しかし本当の地獄はここからでした。強迫的な行動をしなくていいので自由になり強迫性障害にたいするストレスは消えましたが、幼稚園の年長から約5年間 ずっと物を何回も触るなどの強迫的な行動をしていたせいか、また突然意思表示が自由になったことに対して脳が慣れていなかったのか、普段の自分のとる行動 に対して自信がなくなり、友達の前では挙動不審になりどもって喋ったりするようになりました。強迫的な行動をしていた小学校4年までは、僕の事を好きでい てくれる女子も2人いましたし、友達も普通に自分の事をリスペクトしてくれていましたが、幻覚の言う事を無視して生活をしていくうちに、クラスの中でも嫌 われクラスメイトからのリスペクトはなくなりました。幸いな事に友達は数人いましたが非常にイヤな時期だった事を覚えています。特に女子からは嫌われてい ました。考えすぎではないのと思われる方もいらっしゃるでしょうが、嫌われていたのは目に見えて分かりました。たくさん醜い事も言われてきました。自分が 近くにいるだけで違うクラスメイトからゴミを見るような目でこっちを見て来たり無視されたり色々といじめられていました。なにより、精神的に鬱になり、と ても不安になり挙動不審になりました。結局、強迫的な行動をしろという脳からの指令を無視して生活していたのは中学校1年の終わりくらいまでで、その間、 クラスメイトから嫌われ、いじめられ(内容はあまり書きたくはありませんが蹴られたり、物を盗まれたり、言葉による暴力などです)家に帰って一人で部屋で 泣いていました。

  いじめもピークに達し、もうこれ以上イヤな思いをするのはもう御免だと思い悩んでいた時、学校からの帰り道ふと過去の自分を思い出しました。自分にも友 達がいて、普通にみんなが接してくれた時期があったじゃないかと。気づくと小学校4年までの自分の事を考えるようになっていました。当時の自分にとって小 学校4年の頃の生活はお花畑で非常に居心地がいいものに思えました。自分がいじめられていた原因、自分が嫌われる前と比べて何が変わったかと色々考えまし たが、この強迫的な行動の事以外には考えつかず、またこの行動を取り入れた生活をもう1度やってみる事にしました。中学校1年の終わり頃からまた脳に話し かけてくる、幻覚の言う通りに強迫性的な行動を取りました。するといじめはピタリと止み、精神的な悩みは解決しました。気分がとてもよかったのを覚えてい ます。脳からの指令は、上記に示した行動のどれかをやらないといじめられるというものが主でした。

 高校、大学、大学院時代も同じように、いじめられた時とか友達が欲しい時には脳からの指令を聴き、大学の試験や人生を左右してしまうような重要な状況の時 は脳からの指令を辞めたり鬱になった時は脳からの指令に従ったり色々試行錯誤してきました。試験の時も本当の答えが分かっているのにわざと脳の指令に従い 違う答えを書いてしまったり大変でした。しかし大学時代は強迫的な行為を行っていたため友達は沢山出来ました。ただノートに字が書けなかったりしたので成 績はボロボロでしたけど。強迫性な行為を行っていない時(脳からの指令を無視している時)は、挙動不審になるからでしょうか人から嫌われているのが目に見 えていました。大学院の時は勉強が難しいので、脳からの指令を無視した結果鬱になりましたが無事に卒業する事が出来ました。

 長くなりましたがここからが質問です。

自分なりにまとめると、脳からの指令(強迫的な行動)にわざと従う事によって不安を和らげられ、鬱、不安障害、対人恐怖症などを克服できるようになったと いう結論に達しました。脳の指令に全神経を集中させているため周りの事が気にならず鬱や不安がなくなると言う事です。小さい頃からずっと強迫的な行為を 行って来て脳が慣れてしまったのか脳からの指令を無視していると、本来の自分でいられないような気がします。また脳からの指令に従った場合、自信がつき人 前でも堂々といられる為、強迫的な行為を行っている時は人から嫌われないのだと思います。

現在27歳で海外で就職活動中です。いまでも強迫的な行動をやってない時は鬱が激しいです。 
今日この質問をするきっかけとなったのは、ここ3年の間脳からの指令を無視して生活して来たため、鬱になり精神的にもう限界が来たからです。24時間脳の 指令に従い、自分の本心に反する強迫的な行動を取らなければいけないのですが鬱に悩まされるくらいなら、自分の思った通りに行動できなくても、自分の脳に 話しかけて来る声に従い強迫行為を行って生きていこうと決心しました。抗鬱剤などの薬は副作用が怖いので服用する気はありません。数時間前からまた脳の指 令に従っていますが、今は気分がとてもいいです。鬱は吹っ飛んだみたいです。

 果たしてこれでいいのでしょうか?長文失礼致しました。みなさんのご意見を聞きたいです。

みんなの回答

noname#207821
noname#207821
回答No.7

No.6です。 すみませんが、No.6の初めの方にタイプミスがあったので再投稿です。 誤:棚を触るという“あまじない” 正:棚を触るという“おまじない” 誤:「明日も無事、元気に過ごせますように」ってお祈りしまうよね? 正:「明日も無事、元気に過ごせますように」ってお祈りしますよね?   訂正は以上です。   お手数をお掛けしますが、よろしくお願いします。

noname#207821
noname#207821
回答No.6

No.4です。丁寧なお礼をありがとうございました。 回答になっていなくて申し訳ないのですが、質問者さんが幼い頃にしていた「明日はいい事があるようにと食器棚の前で棚を触るという“あまじない”」ですが、本当は、それってそんなに奇異なことではないと思います。 だって、誰にも迷惑は掛けていないし…。 受験生や高校野球の甲子園球児が合格や勝利を願って、お守りを握りしめたり、なでたりしても、誰も奇異とは思わないでしょう? 神棚があったり、仏壇があるようなご家庭なら、神様やご先祖様に「明日も無事、元気に過ごせますように」ってお祈りしまうよね? 質問者さんがしていたことは、それと本質的には変わらないことだと思います。 もし、ご家族が普段から仏壇や神棚に向かって日々の幸福を祈願していたのなら、あなたもそれに倣っていたと思います。 でも、子どもの頃に、そういうアイテムが身近になくて、他に方法を知らなかったのなら自分で作り出すよりないですからね。 >それをしないと明日友達にいじめられるなどと神経質に思い込み毎晩のようにやっていました。 というのも、当時は本当にいじめられたことがあって、ご両親や幼稚園の先生にも上手に助けを求められなくて、自分で何とかするよりなかったからでしょう? 何故なら、 >トラウマで思いましたが、3歳か4歳の頃近所のともだちから遊びで追いかけられ、死ぬかという思いで家に逃げ込んだ思い出があります。もしかしたら対人恐怖症はこれが原因の一つかもしれません。しかし小さい頃から元々人と話すのは苦手でした。 ということですから。 子どもの頃って、口が達者じゃない子や走るのが苦手な子には、怖いことが沢山あります。怖い目にあっても周囲に上手に助けを求められなかったら、しつこく絡む子を振り切って逃げるので精一杯だと思います。 だから、あなたがしていたこと「おまじない」が、おかしなことだったなんて思いません。小動物を殺して、自分で架空の守り神を作り出し、加護を求めて生贄を捧げていた…なんてことだったら、背筋がゾッとするし異常なことだけれど、助けを求めることが出来ない子どもが、自分でお守りのような存在やお祈りの対象を身近なものに求めてしまうのは、いじらしいことであっても奇妙なことだとは思いませんよ。 でも、その後の「おまじない」は、さながら苦行の様ですけれどね…。 >なんで脳の指令に従うと、鬱が軽減されるかは考えた事が無かったので一理あると思います。ただ、脳の指令は難しければ難しいほど従ったあとの鬱の軽減の度合いが大きいです。 例えばですけれど、絵を描くのが好きな子は絵を描いて気を紛らわせたり、同じ趣味を持つ仲間を持つことで交流を深めたり、自信を付けたりというのがあるけれど、あなたの場合は、「おまじないに没頭することが趣味のようになってしまっている」ので、爽快感と苦痛がセットになってしまっているんだと思います。 質問者さんに今の「おまじない」よりも大切に思える、ライフワークのようなものが見つかれば良いのになって思います。 前回の回答で発達障害の話をしたので、ここでも触れたいと思います。 発達障害がある人は、変人扱いされたり、友達が出来にくかったりとありますが、それでもライフワークがある人は、自分も他人も幸せにできる力がありますよね。 他人も幸せに…というのは理想で現実にするのは難しいことが多いけれど、少なくとも、自分自身が充実感を味わうことはできます。 ピカソはADHDでLDだったと言われていて、授業中は席を歩き回ったり、授業の内容も碌に分らず退屈だからと、自ら悪さをして反省室送りになるようにお膳立てをして、反省室で好きな絵を存分に描いていたという今で言えば問題児だったし、恋多き男で不幸にした女性も数知れずといたけれど…でも、一人の男として充実した人生を送ったと言えると思います。 視点を変えれば、彼にとっては、絵を描き続けることがライフワークで、自分を幸せにする「おまじない」だったと考えることもできますよね。 >最近ふと思ったのですが、脳からの指令に従う事で鬱が改善されると言うのは、質問本文に書いた通り神経が違う所に行くつまり瞑想のように脳を空っぽにできる(不安症状がなくなる)からだと思います。これはある意味投薬と似ている気がしています。 確かに、そんなところがあるのでしょうね。 なぜ、この直前にピカソの話をしたのかというと、私自身が子どもの頃は人とコミュニケーションを取るのが下手で、変人扱いされたり、友達が出来にくかったりとあったけれど、趣味の絵に没頭することで辛いことも忘れられたし、絵を描くことで自信が付けられたし、絵を通して友達が作れたからなんです。 私は漫画を描くのも好きでしたが、漫画だとストーリーを考えるのに行き詰ったり、途中で描くのをやめてしまったりなんてざらにありましたが、絵を描くことは別でした。だって、対象をとっくりと観察して再現して行くという、極々シンプルな作業の繰り返しでしたから。特に木炭デッサンをしているときは、感覚が研ぎ澄まされて行くような、心の中まで澄んで行くような充足感があって、それこそ瞑想に近い感覚や達成感を味わえました。 私にとっては絵を描くことが、質問者さんのおまじないと同じことだったんだと思います。 *** 前回の回答で自閉症スペクトラムの話をしたので、参考リンクをご紹介します。 資料としては少し古いですが、どういった概念がもとになっているのか分りやすいと思います。 1)【ペンギンくらぶホームページ】 http://www2u.biglobe.ne.jp/~pengin-c/index.htm 上記のホームページから次の記事のリンクをピックアップさせていただきます。 2)【最新の自閉症診断基準と自閉症スペクトル障害】http://www2u.biglobe.ne.jp/~pengin-c/autistic.htm 3)【アスペルガー症候群とその家族についてのFAQ。】 http://www2u.biglobe.ne.jp/~pengin-c/ASfamily.htm 質問者さんが診断を受けたわけではないし、ネット上でのやり取りですので、あくまでも参考程度に捉えていただけたらと思うのですが、3件目のリンクの末尾にある言葉、 “ポイントを切り替えながら、たくさんのレールを乗り継いで移動していく電車の運転手を目指そう! 経験を積む事で柔軟性が高まっていくことを期待するよりも、知識と選択肢を増やしていくと考えて接していただければと思います。 ” これが質問者さんがこちらで出された答え >最近では数字の指令にシフトしつつあります。数字の指令の方がかなり楽なので嬉しいです。このまま数字の指令はそれほどきつくないので従って生きていこうと思っています。 と重なる部分があるように思えたので感慨深かったです。 指令を上手く切り替えて行くことで、ライフワークに活かせるのなら、苦痛は軽減できるのではないかなと。 プロになれ、至高を目指せと言うことではなくて、生きる喜びに結び付けられたらなと思うのです。 リンク3では、ソーシャルスキルトレーニングについて触れられている箇所がありますが、認知行動療法やソーシャルスキルトレーニングを受けることで、脳の指令の質を質問者さんにとって受け入れられやすい形に変えることは可能なんじゃないかと、そんなことも思いました。私にはセラピストの力はないですが、質問者さんは一人で悩んでいないで、専門家の力を借りても良いのではないかなと…。 最後に、こちらをご紹介します。孤独な人ほどライフワークが必要なんじゃないかと思えたので。 青空文庫( http://www.aozora.gr.jp/ )からのリンクになります。 4)【萩原朔太郎 僕の孤独癖について】http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/1792_18418.html 提案やヒントのようなことしか書けず、具体的なことは何も言えなくて申し訳ないですが、この返答の中に質問者さんにとって役立つ情報があれば幸いです。

kiyoshi_takashi
質問者

お礼

ご回答有り難うございました。 「明日はいい事があるようにと食器棚の前で棚を触るという“おまじない”」は仰る通り自分なりに考えだした、お祈りのような物です。ただそのおまじないが脳からの指令になってどんどんエスカレートしていって、麻薬のように脳からの指令に従えば従う程、指令の難易度と回数共に上がっていき、最終的にはある程度の数の指令を聞かないと情緒不安定になってしまい普通の生活ができなくなるまでになってしまいました。今では回数の指令のみ聞いていますが。 熱中できるライフワークはあります。小さい頃から音楽をやっていて楽器の演奏をする事が唯一自分が人に認められた事です。野球の時にバッターボックスに立っただけで笑われたり、吃音だから喋るたびに笑われたり、からかわれたりして来た私ですが、楽器を奏でるという事に関しては人から馬鹿にされたという経験はありません。むしろ人から尊敬されたりします。ただ、私が脳からの指令に従うという行為は鬱や対人恐怖を改善するためであり、楽器を演奏していようが脳からの指令を無視したら、情緒不安定になってしまいます。楽器を演奏している時は脳からの指令は無視してもいいみたいですが。 本当に色々とアドバイス有り難う御座いました。感謝致します。

noname#207821
noname#207821
回答No.4

先の回答者の方が、ご経験から参考意見として仰っていたように、私がこれからここで書くことも診断ではなく参考意見です。 先の方が仰るように、質問者さんは自閉症なのかもしれません。 自閉症と言っても、通学や意思疎通が困難なタイプの従来型の自閉症から、知的障害を伴わないタイプの自閉症であるアスペルガー症候群や高機能自閉症と様々なタイプがあり、今ではそれらを総括して「自閉症スペクトラム」と呼ぶのが日本では一般的になっています。 「自閉症スペクトラム」とは広汎性発達障害とも呼ばれていて、発達障害の一種です。 大学院まで進んだ質問者さんの場合は、アスペルガー症候群や高機能自閉症が疑わしく思えます。質問者さんはここまで細かに自己分析なさっているので、診断名を求めている訳ではないでしょうけれど、あなたの強迫観念と強迫行為の根っこには「自閉症スペクトラム」があるように私には思えます。 ご質問にあるような、物心がついた4歳くらいの頃には鬱に対人恐怖症と不安障害に悩まされていて、それを解消するためにおまじない行為が欠かせなかったことや、この儀式を行っていれば情緒が安定していたという記述を読んでいると、質問者さんの拘りもコミュニケーションに関する不安も、根っこに「自閉症スペクトラム」があるからなのでははないかと、そう考えると腑に落ちるからです。 自閉症スペクトラムというのは生まれつきのものであり、そういう特徴のある脳を持って生れて来たのならば、その思考法と行動は自我と深く結びついてしまっています。 それが当人にとって安定した状態なのに、それを自分で激しく否定したり無理矢理矯正しようとすると、アイデンティティーが崩壊しそうになってしまうので、鬱や強迫が強まってしまうということは起こり得ます。 幼い頃の行動は、家族や周囲が仕向けたものではなく、あなたが、あなたの思うがままにやって来たことですよね。でも、それを奇異に感じたり、恥じたりすることで、あなたの中でストレスが溜まって行き、益々思いもよらない強迫観念と強迫行為が次々と生じてしまったのだと思います。質問者さんが本当のところ、自閉症スペクトラムであるかどうかは専門医にしか分りませんが、少なくとも幼少時には自閉症スペクトラムの子どもたちと同じような特徴があって、当人にとっては必要なことで奇異な行動ではなかったのに、あなたが奇異だと思い始めたことから、あなたのアイデンティティーに危機が訪れてしまったのではないでしょうか。 強迫性障害には「不完全恐怖」というものがありますが、質問者さんの場合はその逆で「完全恐怖」というものもあるように見受けられます。 強迫観念があなたに間違ったことをさせようとするので、それを振り払ってあなたは正解を出し、正しいと思う方へ進み続ける。そうすると今度は情緒が不安定になってしまう。 …それって、完全であり続けることへの恐怖心と言えるのではないかと。 そして完全であり続けることの恐怖心とは、「いつか失敗をしでかすのではないかという不完全恐怖でもあります」。 物事には二面性というものがあります。 表裏一体という概念があるように、醜悪も愛憎も同じ人間の中に存在しています。 これを無理やり切り分けよう、引き離そうとするから、あなたの自我が崩壊しそうになって精神状態が悪くなってしまうんだと思います。 誰でも一人の人間の中には、自分にとって不都合で融通の利かない理解不能な人格が存在しているということを、先ずは受け入れてください。 人間の思考も行動もキメラみたいに入り組んでいて、綺麗に切り分けることなど出来ないんだと。 間違った答えをわざと書かせたり、わざわざ面倒な行動を取らせる、あなたの脳から発せられる指令というのは、実はあなたの失敗はあなたの所為ではないと、あなたの責任を一手に引き受ける役割をしているのではないでしょうか。 「僕がこんなことをしてしまうのは僕の所為ではなくて、僕の脳に棲みついている司令官のようなこの声の所為なんだ」と、そう思うことであなたは情緒の安定を無意識に図っていたのではないかと、そんな気がしてなりません。 司令官のようにあなたを翻弄する思考は、あなたにとって一卵性双生児のようなもので、二つの人格があるようでありながら、もともとは一つの受精卵から生じた一人の人間に備わった感覚で切り分けることなどできないんだと受け入れられたなら、あなたは指令や支配といった概念に囚われられなくなると思います。 無理矢理自分をコントロールしようとするから、その自分をコントロールしようとする指令がまた下されるというイタチごっこ。これは、あなたがあなたを否定することで起きています。 ここに書かれていることだけではよく分らないけれど、おそらく、あなたは自分で自分をコントロールしようとすればするほど、自閉傾向が強まって、あなたが恐れている周囲から浮いた人間になってしまうんだと思います。 律しようとすればするほど、傍から見ると無機質なイメージになって、近寄りがたい存在になってしまうんだと思います。 完全になれないから人なんだということ、完全じゃないから苦しみがあるのだということ、人は完全じゃないから、不完全な人に共感するし、完璧を目指して頑張る人を応援できても、不自然なまでに自分で自分を追い詰めている人は、避けてしまう生き物なんだと理解してください。 つまりは、強迫観念はあなたの一部なのに、あなたが別人を演じようとしたことで、あなたはあなたでなくなってしまったことが、傍からはバレバレだったんじゃないかということです。 極端な話、人命に関わることでなければ、間違えたってやり直しは利きます。 あなたが医者で間違った処方箋を書いたり、車で走行中のあなたがわざと反対車線を走ったのなら、惨事を招くトンデモナイことです。 誰かの心にトラウマを植え付けるような執拗な攻撃をしたのなら、それは罪です。 でも、そういうことでないのなら、脳の気まぐれな指令に付き合っても良いのではないですか。辛いでしょうけれど、迷惑な双子の弟が自分の中にいて、無視すると暴れて、ときには自分を鬱にまで追い込むけれど、社交的な面も持っている、あなたの分身なんだと。二人で一人なんだと。 *** いきなり結論だけを書いてもそっけないかと考え、色々と意見を述べましたが、ここでまとめたいと思います。 投薬が嫌だという質問者さん。 でしたら、「子どもの頃のことを人に話したら、自閉症スペクトラムなんじゃないか、強迫性障害も鬱も二次障害で起きたことじゃないかと言われたのですが…」と、自閉症などの発達障害に精通した専門医に掛かることを検討なさっては如何ですか。そして、詳しい検査やカウンセリングを受けてはどうでしょうか。 ここでは誰もカウンセリングは出来ないし、せいぜいが意見を言うか、背中を押すぐらいの事しかできませんので、あなたにきまぐれな指令を出す声が嫌でたまらないのなら、実生活で専門家を頼るという検討をしていただきたいと思います。

kiyoshi_takashi
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 自閉症スペクトラムですか、初めて聞きました。自閉症というのはどういう症状なのかは少ししか調べてないので分かりませんが、actonis921様がご回答なさってある通りwikipediaでも先天性とありました。 >自閉症スペクトラムというのは生まれつきのものであり、そういう特徴のある脳を持って生れて来たのなら >ば、その思考法と行動は自我と深く結びついてしまっています。 >それが当人にとって安定した状態なのに、それを自分で激しく否定したり無理矢理矯正しようとすると、アイ >デンティティーが崩壊しそうになってしまうので、鬱や強迫が強まってしまうということは起こり得ます。 そうです。周りが私の事を非難したり変人扱いするのです。しかし鬱や対人恐怖も煩ってしまい、他人を無視するだけでは生きていけません。その結果強迫的な行動をするようになったのです。 >強迫性障害には「不完全恐怖」というものがありますが、質問者さんの場合はその逆で「完全恐怖...略 私は不完全恐怖と完全恐怖の両方を兼ね備えているということでしょうか?ちなみにボクは脳の指令に従って無い時は完璧主義者です。 >物事には二面性というものがあります。 >表裏一体という概念があるように、醜悪も愛憎も同じ人間の中に存在しています。 >これを無理やり切り分けよう、引き離そうとするから、あなたの自我が崩壊しそうになって精神状態が悪くなっ>てしまうんだと思います。 なるほど、上に書いたように脳の指令に従って無い時は完璧主義者なので、醜悪をむりやり無くしていう傾向はあるかもしれません。 >間違った答えをわざと書かせたり、わざわざ面倒な行動を取らせる、あなたの脳から発せられる指令というの >は、実はあなたの失敗はあなたの所為ではないと、あなたの責任を一手に引き受ける役割をしているのではない>でしょうか。 >「僕がこんなことをしてしまうのは僕の所為ではなくて、僕の脳に棲みついている司令官のようなこの声の所為>なんだ」と、そう思うことであなたは情緒の安定を無意識に図っていたのではないかと、そんな気がしてなりま>せん。 なんで脳の指令に従うと、鬱が軽減されるかは考えた事が無かったので一理あると思います。ただ、脳の指令は難しければ難しいほど従ったあとの鬱の軽減の度合いが大きいです。 >完全になれないから人なんだということ、完全じゃないから苦しみがあるのだということ、人は完全じゃないか>ら、不完全な人に共感するし、完璧を目指して頑張る人を応援できても、不自然なまでに自分で自分を追い詰め>ている人は、避けてしまう生き物なんだと理解してください。 >つまりは、強迫観念はあなたの一部なのに、あなたが別人を演じようとしたことで、あなたはあなたでなくなっ>てしまったことが、傍からはバレバレだったんじゃないかということです。 一理あると思います。しかし、強迫行為は普通の人がする行為ではありません。完璧を目指そうとするのは間違っていますが、強迫行為をするのは明らかに完璧でなさすぎるような気もしています。ただ自閉症スペクトラムを持って生まれてきたのなら不完全のまま指令に従い、強迫行為をしてでも生きていくのもいいかなと思います。ただ人に行為を見られて完全な不審者扱いされるのもまた困ったものです。指令に従い、強迫行為をするのも指令に従わないのもどっちも人から避けられる結果を生むのなら、いっそ指令に従った方がいいような気もします。ただ、自分にはこの行為を認めて笑って受け入れてくれる友人もいます。 >誰かの心にトラウマを植え付けるような執拗な攻撃をしたのなら、それは罪です。 トラウマで思いましたが、3歳か4歳の頃近所のともだちから遊びで追いかけられ、死ぬかという思いで家に逃げ込んだ思い出があります。もしかしたら対人恐怖症はこれが原因の一つかもしれません。しかし小さい頃から元々人と話すのは苦手でした。 >>いきなり結論だけを書いてもそっけないかと考え、色々と意見を述べましたが、ここでまとめたいと思います。 色々意見を下さり誠に有り難う御座います。正直この事について真剣に考えてくださった方はactonis921さんが初めてでしょう。 最近ふと思ったのですが、脳からの指令に従う事で鬱が改善されると言うのは、質問本文に書いた通り神経が違う所に行くつまり瞑想のように脳を空っぽにできる(不安症状がなくなる)からだと思います。これはある意味投薬と似ている気がしています。 現在はきつくない程度に脳からの指令に従っています。ちなみに指令も2つあり、数字の指令(例:物を4回触るなど)と言葉の指令(例:◯◯をしないと◯◯が起こる)があり、最近では数字の指令にシフトしつつあります。数字の指令の方がかなり楽なので嬉しいです。このまま数字の指令はそれほどきつくないので従って生きていこうと思っています。しかし今の所カウンセリングを受けて、投薬をする予定は今はありません。問題はこの強迫行為はすればする程難しい物になっていく事です。今はすこし工夫をして難しい指令を受けないようにあまり捕われないように努力はしています。

回答No.3

興味深く質問を拝見しました。 もし欧米にお住まいなら、一度自閉症の検査をされてみたら如何ですか? 日本でもいいですが、欧米の方が研究が進んでるようなので。 質問者さんはとても知的で、ご自身のことを冷静に考えたり説明したりすることも出来ていますから、お困りの症状がもし自閉症のこだわりによるものであれば、自閉症者の良き説明者になれると思ったので、期待を込めて回答してみました。 自閉症は、知的障害のある人からいわゆる天才と呼ばれる人まで、様々な人に様々な程度で表れる脳の不具合と思ってください。 私の友人のお子さんは知的障害のある自閉症で、その父親(友人のご主人)は知的障害のない自閉症で所謂インテリと呼ばれる職業です。 私の夫もインテリで自閉症の診断は出ていますが、こだわりはさほど酷くありません。 友人のご主人とお子さんはこだわりが酷く、その話をいろいろ聞いている私には、質問者さんの強迫的行動も同じものと感じました。 私も友人も、家族として自閉症の勉強をしながら暮らしていますので、こだわり故の行動を、合理的でないからとやめさせれば、本人がおかしくなるとわかっています。知的障害のある子供は暴れだしたりします。 問題はやはり、本人も不自由や不利益で困っているということですよね。その解決法は残念ながら私にはないのですが、自閉症の書籍は実に沢山出版されていますし、英語ならもっと選択肢が増えますから、何か良いアイデアが見つかるかもしれません。 特に知的障害のない方の自伝は、生きやすくするための工夫など、参考になることがあると思います。 私の考えとしては、脳からの指令を全部聞くか全部聞かないかではなく、一旦全部聞くとして、一番困るものをひとつずつ無視できるようになるといいなと思いました。ひとつ無視して、それで問題なく暮らせると安心したら次と…そう上手くはいかないですかね? 新たな指令が出来たりもしますかね? 理解者はいたに越したことはないと思いますので、良い精神科医を探すこともされた方がいいと思います。 不自由で大変な暮らしだと思いますが、質問者さんの脳の指令の原因が何であっても、自閉症の理解者は、質問者さんのような人を特に変な人とは思いませんので、そのことだけでも覚えていてくださいね。

kiyoshi_takashi
質問者

お礼

ご回答有難うございます。 自閉症ですか、考えた事もありませんでした。自閉症の検査は時間があり次第やってみようと思います。ちなみに、現在はきつくない程度に脳からの指令に従っています。ちなみに指令も2つあり、数字の指令(例:物を4回触るなど)と言葉の指令(例:◯◯をしないと◯◯が起こる)があり、最近では数字の指令にシフトしつつあります。数字の指令の方がかなり楽なので嬉しいです。このまま数字の指令に従って生きていこうと思っています。カウンセリングを受けて、投薬をする予定は今はありません。

  • d194456
  • ベストアンサー率27% (423/1524)
回答No.2

脳は、あなたの心が喜ぶことを選んできたはずですが、違いますか? すべての行動は、あなたを幸せにする行動である筈です。 幸せでなかったのは、あなたの何処かで、勘違いや、思い違いがあったのでしょう。 もう一度、何をするのが、自分にとって幸せなのかを考えて下さい。 今現在の問題なら、過去とは関係なく生じています。 過去の話など、治療には関係しませんので、今考えてしまうことの説明なら、医者も耳を貸してくれるはずですよ。

kiyoshi_takashi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 たしかにその通りです。脳は自分が幸せに感じる為に行動を促していると思います。ただ自分の好きなように行動すると、挙動不審、鬱、対人恐怖や吃音が出てしまい人から変人扱いされてしまうのです。

回答No.1

率直な感想「麻薬患者みたいですね」 脳の指令とか言う麻薬に溺れています。 だから従えば気分が良くなり、逆らうと「麻薬を経つ時の禁断症状」と同じように弊害が出ているのだと思う。 いいとは思わないけど「その方がマシ」なんじゃないかな?とは思う。

kiyoshi_takashi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 問題はこの脳からの指令は従えば従う程効果が薄れてしまい、気がつくと自然に指令の回数が増えていて指令の内容もかなりハードなものになっていたりします。その証拠に先週久しぶりに脳の指令に少し従っただけでかなり鬱が改善されました。現在はきつくない程度に脳からの指令に従っています。ちなみに指令も2つあり、数字の指令(例:物を4回触るなど)と言葉の指令(例:◯◯をしないと◯◯が起こる)があり、最近では数字の指令にシフトしつつあります。数字の指令の方がかなり楽なので嬉しいです。

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