• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:当事者ではない【偽善】というイベント。)

当事者ではない【偽善】というイベント

このQ&Aのポイント
  • 当事者ではない【偽善】というイベントが行われる日本の社会現象について考えます。
  • アフリカの飢餓や原爆投下の日といった出来事に関連して行われる式典や黙祷について疑問を抱く声があります。
  • これらのイベントは本当に意味を持つのか、それとも視聴者の自己満足のためのものなのか考えてみましょう。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.1

御指摘のように偽善もあるでしょう。 自分は良い人なんだ、と確認したい、という こともあるでしょう。 しかし、それだけではありません。 こういうイベントを実施することにより、 例えば国民としての意識が醸成される という効果があるのです。 オリンピックや国体を、税金で実施するのは 何の為だと思いますか。 それは、国民に国民である、という意識を 持たせるためにやられているのです。 国家というのは頭の中にあるだけです。 だから、国家を常日頃意識させておかないと 人は国民になれないのです。 日本人は、そういうことを指摘してもよく理解 できません。 それは日本人は国民という意識があまりにも 当たり前になっているからです。 当たり前になっていない国も多いのです。 イラク、アフガンなどはその典型です。 中国だって、つい最近までは国民意識などは 非常に希薄だったと言われております。 ”アフリカの飢餓に飢える子供たちの写真”     ↑ これは、同じ人類なんだ、という一体感醸成の 為です。 ”原爆投下の日に行われる式典、昨日の阪神淡路大震災での黙祷”      ↑ これは、日本国民としての一体感醸成のためです。 そもそも歴史を学ぶ意義ですが、色々ありますが この一体感醸成が最重要なのです。 途上国がどうして途上国なのか。 それは国民という意識が希薄で、政治的に不安定だから 経済も発達しない、という関係にあるからです。 靖国参拝も同じです。 ある中国人の学者が指摘していました。 「中国は靖国を批判するのではなく見習うべきである。  日本人の団結力はああいうところから醸成されるのである。  それに比較して中国はどうだ。  戦死した同胞を祀るなんて誰もやらないではないか。  だから、中国人はバラバラで、日本に負けてばかり  いるのだ」

noname#213996
質問者

お礼

hekiyuさん、またアンチに好かれてますねww 回答ありがとうございました。

noname#213996
質問者

補足

>一体感醸成 これいい言葉ですね。 >靖国参拝も同じです ある一部は頂けるんだろうけど、何のために始めた戦争かわからないモノに命を捧げた人物たちを奉り上げるのは私は理解出来ないな。

その他の回答 (2)

  • sun-zoo
  • ベストアンサー率28% (86/300)
回答No.3

「悲しんでる」ではないんだよなぁ…。 痛ましい出来事ではありますが。 なぜなら当事者ではないから。 アフリカの飢餓とかはイベントで得た収入が、 ユネスコに送られてくれたらいいですが、 それ以外は教訓的な意味合いを持ちますよね。

noname#213996
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • alfahk1
  • ベストアンサー率45% (62/135)
回答No.2

かつてYMCAの外郭団体に在籍していた事があります。 YMCAも公募して寄付金を集めて、アフリカや貧困者に支援物資を送っています。 「なぜ、お金を送らないのか?」と質問したことがあります。担当者は「お金だと途中搾取されてほとんど現地には届かないので、公募したお金で品物を購入して送っている」と言っていました。品物でも「食品は高官や時の政権役人たちに搾取される(フセイン政権倉庫に山積み)可能性が高いので子供用の靴や衣服などの生活物資が多い」と言っていました。 募金も「本物か否か疑わしいものです」。一斉摘発した時には約7割が所属不明の私団出会ったと記憶しています。 現場で大声を張り上げている高校生や若者はそのことを知らされず純粋に時間給ももらわず街頭に立たされていた事実も存在します。 根本的に戦後の日本のように首脳が経済復興の指揮を執り国を挙げて取り組まなければいつまでたっても庶民の底辺層の生活は改善されません。 反面、権力争いのために常に指導者が変わる下克上の様な地域や国も存在します。 このようなところに平和は無く経済発展も望めません。一時のお金や物資が何になるのでしょうか? 募金光景を見るといつもこの思いが繰り返されます(T_T)

noname#213996
質問者

お礼

参考になりました、ありがとうございました。

noname#213996
質問者

補足

私がいつも思ってる 『アフリカの餓えに苦しんでいる写真』。 あの写真を見る時にいつも思うこと 【あ~この平和な国に生まれてよかった】。 写真家たちはいつでも 「この現実を知って欲しい」 みたいな事を言いますが 近代諸国の平和のバロメーターのため【だけ】の踏み台にしかなれないアフリカの難民は本当に写真を撮られるべき被写体なのかといつも思います。 もし彼等、彼女たちの貧相な写真を見て 「これではいかん」 と思い アフリカに飛び あるいは 志願し 動く人々がどれだけいたのだろう。 そしてなぜ未だに貧困なのか? 民主的ではない第三国なりの独裁政権によって搾取されていく現状というモノが回答者様の回答から読み取れます。 赤い羽共同募金だってこちらは 「なんかいいことしたな」 的現実社会での自分のブラック感からのささやかな逃避でしたりする事もあるかもしれないですが それが 巨悪の富の産物になってる現状というのは興味深いモノです。 慈善と偽善が本当の悪に搾取される瞬間ですね。

関連するQ&A