※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:当事者ではない【偽善】というイベント。)
当事者ではない【偽善】というイベント
このQ&Aのポイント
当事者ではない【偽善】というイベントが行われる日本の社会現象について考えます。
アフリカの飢餓や原爆投下の日といった出来事に関連して行われる式典や黙祷について疑問を抱く声があります。
これらのイベントは本当に意味を持つのか、それとも視聴者の自己満足のためのものなのか考えてみましょう。
アフリカの飢餓に飢える子供たちの写真
原爆投下の日に行われる式典
そして
昨日の阪神淡路大震災での黙祷
当事者ではない垢の他人が悲しんでる【フリ】するのはやっぱ【偽善】ですよね?
対岸の火事でしかない
アフリカの難民の写真を見たところで彼等の食生活、インフラが西洋並みに改善されたとは到底思えず
原爆投下によって日本が終戦をし日本の他の地域が救われ
そして
竹の中にロウソクを入れイルミネーション化したところで手を合わせる・・・ある種元旦の初詣やクリスマスにも似たようなその光景が昨日のニュースの一面を飾った。
これらはカレンダーの日めくり的イベントという事で(アフリカの難民は違うかも知れないが)これらのイベントは捕らえていいんでしょうか?
それとも
当事者ではないテレビで見てる視聴者の【やっぱ自分って良い人なんだ】確認のためのイベントと考えていいんでしょうか?
お礼
hekiyuさん、またアンチに好かれてますねww 回答ありがとうございました。
補足
>一体感醸成 これいい言葉ですね。 >靖国参拝も同じです ある一部は頂けるんだろうけど、何のために始めた戦争かわからないモノに命を捧げた人物たちを奉り上げるのは私は理解出来ないな。