奈良と京都
794年の平安京遷都から、平安時代に移行したのだと思いますが、以後、「奈良」が日本史の表舞台に立ったということを、私は知りません。それに対して、「京都」は、戦国時代も幕末・維新の時代も中心的な舞台だったように思います。
ふと、「何故、奈良は、平安京遷都以降、歴史の表舞台に出ることがなかったのだろうか?」という疑問が湧いてきました。すぐに、思い浮かぶのは、「朝廷」とか「天皇」ということなのですが、はたして、それだけなのだろうか、「奈良には京都とは異なる何かがあるのでは」という疑問が湧いてきました。日本史に、「奈良時代」という1時代を画した「奈良」のことが分かりません。
ここで質問なのですが、以下のことについて、歴史の評価として一般的に言われていること、あるいはあなたが「日本史に学んだこと」として、個人的に考えていることを教えて下さい。ご回答、ご意見は次の3つのうち一つでも構いません。
(1) 平安京遷都以降、平城京(奈良)の様子はどのように変化したのでしょうか?質問が、漠然としていますが、断片的なこと、一面的なことでも構いません。
(2) 平安時代以降で、奈良が、「日本史の表舞台」とまでは言いませんが、「あなたは知らないかも知れないけれど、奈良でこんなことも起こったのですよ。」というような出来事はありますか?南北朝時代というのもありましたが、奈良に関係しているのでしょうか?
(3) 平安時代以降、「奈良」が日本史の表舞台に立ったことがないということが事実だとすれば、なぜそのようになってしまったのでしょうか?日本史における「奈良」と「京都」の違いは何でしょうか?地勢、文化、あるいは今日でいう「地域性」、「県民性」のようなものでも構いません。また、私の疑問は事実でないとすれば、その理由を教えて下さい。