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気持ちの持ち方について
大学生二年生ですが、将来のことで悩んでいます。 自分は勉強ができる方では無く三年生になるとより専門的な内容になりついていけるか心配です。 また、ちゃんと大学を卒業出来るか就職できるのかなどと悩んでしまいます。 悩んでいてもかわらないので行動を取らないといけないのですが、自分の場合一度悩んでしまうとすごく落ち込んで 死にたいなどと考えてしまい何も出来なくなります。 そんな自分を変えようとすごく前向きなことを考えて生活するのですが、ある日突然落ち込んでしまい何も出来ない自分に戻ってしまいます。 どうやったら前向きなままで生きられるのか教えてください。
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こんにちは。 とても真剣に考えておられます。 積極的で前向きに生きようと努力するのに、ちょっとしたことで落ち込んでしまう。 これは誰もが経験することです。 私は70代の男性で町内会の役員をしています。 行事を行った後、みなさんにアンケートを取ります。 積極的におほめの言葉を掛けて下さる人はごく一部。 殆どが些細なミスをあげつらう意見ばかり。 ● 何故でしょうか? この国の政治的な指導者も誠実に我々の事を考えてやっていて下さる。 しかし、出て来るのは不平不満ばかり。 ● 何故でしょうか? ここが解決されない限り、本当に前向きな人生を送ることなんか絶対に不可能です。 多くの人が積極的で実りある人生をと願っているのに、小さな失敗で落ち込んでしまうのです。 そしてまた元の消極的な自分に逆戻りしてしまうのです。 ● 私たちが周りから意見を求めると先ず否定的な意見ばかり出て来ます。 何故だと思われますか? 彼らはぶち壊そうと悪意を持って否定的な意見を言っているのでは断じてありません。 町内会の幹部を褒めて、やる気を出させようと心底思っているのに、気がついて見るとその逆をやっているのです。 実はそれが人間なのです。 これはあなただけではありません。 全ての人がそうなのです。 あなたは今落ち込んでいます。 知って下さい。 全ての人があなたと同じジレンマに悩んだ経験者です。 しかし、それが全ての人に共通してある性質だと知っているか知らないかで人生は百八十度違います。 私も二十代の半ばの時、自分の中にこのすぐに落ち込む嫌な性質があることに気づきました。 自分だけがそうなんだと思い、自分をひどく憎みました。 でもそんなことは必要なかったのです。 この嫌な性質を聖書では『罪』と言って、全ての人が生まれつき持っている。 そしてこれをそのまま放置しておくと自分自身を食い殺してしまうと教わりました。 聖書に『罪の支払う報酬は死です。』と書いてあるのです。 この罪の性質をそのまま野放しにしていると自分を食い殺してしまう。 それがわかりました。 この生まれ持って持っている罪は我々人間がどんなに修業を積んでみても決して征服出来ません。 ただキリストによる救いしかない。そのことを理解しました。 自分の努力で直せないと知りました。 自分で直すことを辞めました。 素直に聖書の教えに従いました。 それから五十年が経過しました。 今でも数多くの失敗をします。 でも落ち込みません。 失敗出来て良かったと考える自分がここにいます。 失敗から積極的に学べる自分に生まれ変わりました。 失敗をちっとも恐れない自分がここにいます。 それが嬉しいのです。 生きている限り、日々失敗の連続です。 でも失敗は学ぶためにある。 そう思える自分に変えて下さった神さまに感謝しています。
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前向きに考える必要などあるんですか? ポジティブにこだわるとその反動でよりネガティブになることもあります。 前向きになることに固執しないほうがいいですよ。 不安があるのは当然です。 不安があるから行動したり、向上するんです。 あなたが行動しないのは落ち込みやすいとかそんなんじゃない。 単に行動しなくても困らないってだけです。 実際大学2年って言ったら、まだまだのんびりできるものです。 まぁ、のんびりする時期もあっていいとは思いますよ。 でも、のんびりしつつ勉強にだけは集中しましょうね。 就活とか夢とか、いったんはどうでもいいですから。 学生の本分だけはしっかりやり、後はのんびり本でも読んで、 思索してくださいな。
お礼
解答ありがとうございます すぐに答えを見つけようとせずに のんびり考えることも大事なのかもしれませんね
補足
私はキリスト教徒では無いので聖書を読んだことが無く、失礼かもしれませんが 正直物語が書いてるだけのイメージで学ぶことがあるのか疑問に思っています。 私も聖書を一度読んでみるべきでしょうか?