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土地の区画について
新大久保駅から東新宿駅の界隈、新宿区西新宿7丁目、8丁目の界隈、 国分寺市本多4丁目の界隈は区画があみだくじ状ですが、 何故このような区画になってしまったのでしょうか? 上下には何通りにもパターンがあるのに左右に走る道が少なく歩き辛いです。 もう少し田の字の区画に整理出来ないのでしょうか?
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国分寺は多分、江戸時代の新田開発のためだと思います。 武蔵野台地は川が少なかったので、多摩川やどこかの湧水池から用水路を引いてきました。 その用水路から直角に(背骨に対するあばら骨状に)それぞれの田んぼに水を引いたので、一枚一枚の田んぼは細長い短冊状になったのです。 それでも水は少なめだったので、台地では田んぼより畑が主流でした。 その短冊状の敷地のまま住宅地に変わったので、多摩地区、武蔵野地区によくある形になっています。 新宿も宿場としては遅くできたし(だから新宿) 西新宿側は江戸時代はド田舎。やはり畑の形から来ている可能性はあります。 区画整理は、もっとごちゃごちゃ道が狭くて危険な地域や、逆に未開発な畑地帯で行われるので、短冊状の住宅地では無理に行われないでしょう。
お礼
ご回答頂き有難うございました。
補足
玉川上水の絡みでしょうか?