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大谷翔平選手の起用方法について
ファイターズの大谷翔平選手は投手として出場する場合は打席には立たず、投球に専念していますが、かつて投手でも打撃で活躍した堀内や江夏のように投手をやりながら打撃でも活躍するような出場スタイルはできないのでしょうか。 もし、大谷選手がセ・リーグのチームに入っていたらどうなっていたかも興味あるところです。いかがでしょうか。
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私は江夏や堀内の頃のことは知らないのですが、多分今のセ・リーグの投手と同じで、登板のあった試合は投手として出場して、打席が回ってきたらバッティングをするということですよね? それって、単にDH制のない投手という位置づけで、江夏や堀内は「バッティングのいい投手」だと思います。そういう選手は、松坂や桑田など、今までもたくさんいましたよね。 大谷の二刀流というのは、投手としてもエース級で、野手としても中軸というものです。 なので、セ・リーグのチームに入って投手になっていたら、今までにいくらでもいた「ただバッティングのいい投手」で終わっていた可能性があると思います。 投手をやりながら打撃でも活躍するような出場スタイルというのは、できなくはないですが、チームとしてリスクが高過ぎます。 先発投手として出場した場合、絶対完投するわけではないですよね。DH制のパ・リーグですから、6~7回くらいまで投げてくれれば、その後の投手はどうせ短い回しか投げないので、打席が回って来ても代打で対応はできるでしょう。でも、もしも早い回に降板することになると、打席と投手交代のタイミングが難しくなります。セ・リーグではよくあることでしょうが、普段そういうスタイルの野球をしていないパのチームにとっては、多分代打陣にもリリーフ陣にも負担が増えます。なので、あまりそういうことはしたくないのでしょう。 去年は試験的な二刀流だったので、先発だけでなく、リリーフして、その後打席に立ったこともありましたが、見ていてもあまりに中途半端だったように思います。 大谷の凄い所は、単にピッチングとバッティングの両方をやるということではなく、ある日は先発投手としてエース級の活躍をして、違う日には中軸の野手として活躍することです。今年はDH出場がほとんどなので、野手としてというのが伝わりづらいと思いますが、彼の凄い所は「普通にベースランニングすること」です。セ・リーグの投手は塁に出ても、盗塁したり、一つ先の塁を狙う積極的な走塁はしないですよね。怪我防止のためには当然ですし、そうするべきだと思いますが、大谷は普通に足の速い野手と同レベル(つまりプロとしても高いレベル)で走ります。 そういう意味で、セ・リーグの投手や江夏、堀内とは話が違うと思います。
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- ゆのじ(@u-jk49)
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昔話をしましょう。 以下の話で、二刀流と言うのは、ただ、投げる人と打つ人であれば良いということではないこと、ご承知いただけるかも知れません。 1914年、メジャーリーグ(レッドソックス)にベーブ・ルースという人が「左投手」として入団した。新人として僅か全5試合に出場したうち、4試合が投手としての登板だった。初登板、初勝利という記録も残っている。 1915年、レッドソックス先発ローテーション入り。18勝8敗。打率.315。本塁打4本。 1916年、23勝12敗。 1917年、24勝13敗。打率.325。このシーズン、先頭打者への不可解なボール判定で「四球」を与えると、それに怒ったベーブ・ルース投手は、審判を殴って退場処分。10試合の出場停止。 1918年、13勝7敗。打者としては11本塁打を放って「本塁打王」を獲得。このシーズン、打率も3割。これ以降、球団の判断で、毎試合出場のできる外野手転向を促される。毎試合出場させて、観客動員を図ろうということ。 *この年のベーブの記録と大谷の「10勝+10本塁打」達成が、いま、比較されている。実は、韓国リーグでは、1982年に達成者が居る。11本塁打は極めて少なく感じるが、当時の感覚では、二ケタを打てば、ホームラン王を獲れるということだった。 1919年、17試合のみ登板。他は打者出場して29本塁打。シーズンオフ、ヤンキースへ金銭トレード。 1920年、ヤンキースでは、打者へと完全移行して54本塁打。 1921年、59本塁打。それまで、飛球に対しては「ワンバンド捕球」も「アウト」であったので、飛球を打つことに対する評価が極めて低かったが、ベーブルースの出現により、「パワー野球の醍醐味」をファンにアピールすることになる。イチローが評価されたのは、ベーブルース以前の野球への郷愁。 1924年、3冠王。1934年まで、ヤンキースに在籍。 1934年、選抜チームの一員として日本来日。この2年後に、日本プロりーグ発足。 1935年、ブレーブスにトレードされる。感情的な縺れなど発生して、このシーズンの5月30日が最終試合。 1948年、肺炎にて没する。 以上、二刀流の男の昔ばなしでした。
お礼
なるほど! ご丁寧なご教示をいただき、ありがとうございました。
- あずき なな(@azuki-7)
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去年はそうでしたよ? ただ今年は大谷本人が投手優先で行きたい と言ったため栗山監督がそれを尊重した起用法をしているだけです 今年は交流戦でも投手しながら打席にも立ってますし むしろパリーグだから成功したのでは? セリーグなら多分潰れていたでしょう
お礼
なるほど! 早速のご回答、ありがとうございました。
お礼
なるほど! 私としては、「打てるピッチャー」を見たくて可能ならば他の選手にDHを当て、大谷投手が登板のときにはセ・リーグのピッチャーのように打席に立って欲しかったのですが、ご教示の通りだとすると無理なようですね。 ご回答、ありがとうございました。