こればかりは、
大学の方が「うちの学校にあってない」として生徒を選ぶ立場かと思います。
わたしの従兄弟も自分では
「あそこは自分にあってない」
と言い続けておりましたが、
色んな大学から
「お互いあってないね」
と言われ、
もう良い大人なのに・・・何年も大学受験をし続けておりました。
親がいい加減おこって働かせたんですが、
大卒の先輩(年下?)に馬鹿にされて苛められるといい、仕事をやめてしまいます。
9割以上の学生は、
「どこでも良いので、他の誰かより自分を選んでください」
と言う姿勢でいると思います。
稀に自分が大学を選ぶんだという強気の人もおりまして、
そういう方は殆どと言っていいほど似たような運命になります。
人のことは言えませんけど、
そういう気持ちから抜けることが大事ですよ。
もう一人心当たりがいます。
中学高校までは進学校にいた友人も、
何を思ったのか、受かった大学を袖にして浪人を選び、
2回ほど浪人した後、最初の大学よりも「自分にあってない大学」にはいりました。
どう考えても、「そこはお前にあってないぞ」と思ったんですが、
「ここは偏差値低いけど自分にあってるんだよな」
と強気で応えておりました。
がしかし、高校時代は精悍に見えて迫力があった彼も、
何だか顔立ちまで変貌し、まるで運命から見放されたような雰囲気でした。
ちなみに私の従兄弟も超名門でした。
ここで分かったのは、
「後の後悔先に立たず」
というのは、誰もがわかりますが、
「顔まで変わるんだ。スゲー」
と言うところです。
友人はイケメンで、性体験も早く、順風満帆だったんですけど、
失うのは一瞬だったという感じです。
世の中には心配になる人が沢山います。
とくに最近聞く怖い発言が、
「自分にあってない」
流行ってるんですか?
会社選びでも同じ話がありました。
私の時代とは違う意味なのかもしれませんが。
これは、取り返しのつかない間違いをして、人生の軌道が狂ったとき、
最後に消えていく人が言う言葉ですよ。
戦う前は、
「あそこは自分にあっている。俺はそのために生まれてきたようなもんだ」
という発言を闇雲にするのが大事ですよ。
非常に当たり前ですが、
全部に受かった後に、
「どこも行きたかったのだけど、ここが一番自分にあっていた」
と発言して選べばよいのです。
私らの時代でも、全く勉強せずに受検を甘く見ていて(私のことかw)、
実際にコレは無理だと思ったとき、
「男ならば妥協せずに勝負だよね」
と言って、無理をして、浪人するというのもありました。
まあ、どこも受かりそうにないとき、落ちた理由に格好つけるためです。
これはアリですよ。
しかし、浪人はきついですよ。
その後の大学生活も暗いです。
現役合格の人は、艶々としているんですが、浪人経験者は見るとすぐ分かるくらいに
暗いです。
イケメンでも何故か彼女が出来ません。
暗いからです。
何故暗いかと言うと、同期が先輩になり、後輩が同期になります。
大学に通ってクラスメートと接すればわかりますが。
大学が同じと言うことは、全く同じ学歴ですから、
学歴や偏差値で偉そうに威張ることも出来ませんよ。
例え良い学校に入ったとしても、ずっと劣等感が付きまとうということです。
浪人経験者同士では何かしら心が通い合うんですけどw
それでも、
頑張っても
「もう一度落ちるかもしれない」
と言うストレスで可笑しくなりそうだった浪人時代に比べればマシ。
浪人するときは必ず予備校に通いましょう。
宅浪はだめです。
メンタルがあっという間にいかれます。
どこにも所属していないという浮遊感はたまりません。
学生証もないわけですから。
「何者でもない自分」
と言うのは初体験に成るはずです。
通う場所と、所属する場所が必要ですよ。
また、浪人生のメンタルの特徴として、
予備校での成績や、有名予備校へ通っていることが自分の支えになってしまいます。
このとき、実際の大学に通っている同年齢の人がいることを思うと、
もの凄く自分がちっぽけに感じ、大変落ち込みます。
確かに人間として鍛えられますが、
ここでの消耗が酷すぎて、受検パンチドランカーみたいに成る人もいますね。
失った時間を埋め合わせたくて、もっと良い大学に受かったことにしたい。
という発想になってしまい、覆面浪人とか本気で考える人が出てきます。
家族に話しても仕方ないですし、思い出したくもありませんから、
「実際には相当辛かった」
と語る浪人生がいません。
哀愁を帯びつつ、
「ま、浪人するとそれなりにはなるよ」
とか先輩が言いますから、
「カッケー」
とか思っていましたよ。
やってみるとわかりますが、
「いまは、これが終わるのだけが幸せだよ」
と言う感じだったようです。
また、申し訳ありませんけど、
大学の4年間程度では、勉強になりませんよ。
本当の勝負は大学院へ行って、学会活動を始めてからです。
大学卒は学の何たるかは分からずに卒業です。
大学院を想定して大学を選ぶべきですね。
しかし、受験生では感覚が違いすぎて恐らく無理です。
大学院に進むときも、研究室を選び間違えるとアウトになります。
本当はここが勝負でして、これ以外は人生の軌道を変えるものではないです。
研究室の先生は、その学校卒業とは限らず、
もっと有名な大学を卒業したバリバリだったりします。
なので、大学とは全く関係なく、凄い力が身についたりします。
大学4年卒業の学生と、マスター&ドクター卒の学生では、
その力の差は5倍以上になると思います。(というか無限といいたいくらいだ)
ところが、先生が悪いと、1.05倍くらいになります。
大学院卒業の方に聞いてみてください。
2年間人が書いた論文を読み続けて、お茶を濁して卒業するか、
学会の国際大会で英語で発表し、
名実共に(学生のうちに)世界一を確定するか。
私は今もある分野では暫定世界チャンピオン(他に抜かれなければということ)
ですが、学生時代からこれが当たり前に成ると世界観が変わりますよ。
難関大学に入ることは、世界一と比較してみると、しょっぱいです。
普通の人だと思います。
これも大学院卒業の方か、いまも研究者をやられている方に聞くと良いと思います。
そういう意味で、
偏差値や知名度で大学を選んではいけません。
大学院では本当に運がよければ、自分の知名度があがる可能性を秘めています。
「自分にあっているものを学ぶ」
とか、ある意味真の価値がわかっていないようですね。
普通の人に埋もれるくらいなら、どこに入っても同じです。
一発ここ(大学院)で自分の限界をこえ、真の天才と呼ばれる世界に入るんですよ。
わたしの大学4年間の成績は最低で、留年すれすれでしたが、
大学院では先生に恵まれて、世界一です。
単にソフトウェア開発のバイトをしておりまして、
先生のためにシミュレーション用ソフトを書いて重宝されていただけなんですが。
これで人生が変わりました。
大学院に行くと、勉強と言う原始的な方法から卒業します。
先生も含めて世界中の学者が同格でありライバルです。
本を読んで勉強するとか出来ませんし、誰かに教わることも出来ません。
本を書いているのは、自分のライバルです。
「俺様が考えたことが一番正しい」
と言う世界です。
ですので人と言い争うと100%自分が勝つという自信が身につきます。
学生でこの次元に到達できる、現存する最後のジャックポットだと思います。
一度ここで適応すると、
社会に出ても次々と新しい方法を考案できるようになり、
誰かに習うということが無くなり、
誰かに教えるということだけになります。
こういった世界を目指すか、
楽しく4年間を遊んで過ごすか。
どうも二つに一つのようですよ。
有名であるとか偏差値が高いとか、これは受験生意外にはわかりませんよ。
入っても、教育の質が高いとは限りません。
というか4年制のほうの授業なんて、講師の方が手を抜いていますし。
研究室の学生ですら、アホらしいと思っています。
「どうせ大学で遊んできたんだろう」
とか世間で言われますが、
「どうせガンバっても、遊びみたいな授業しかない」
のが本当のところであり、大学院で求められる次元と乖離がありすぎます。
大学院では、
「何でもいいので、歴史上の偉人を倒して、お前のほうが凄いと証明してくれ」
「そうじゃない場合は0点。いないのと同じ。ただの人。知力が無いかわいそうな人」
といって先生やら助手やらにゲラゲラ笑われます。
適応できない学生は毎日、「実際は自分、頭悪かったんだ」と劣等感で苦しみ、
嫌な2年間を過ごします。
確かに、これは皆経験するといいかと思います。
浪人よりも生産性が高いですね。
本当の自分の力を見つけるか、謙虚な自分を発見できます。
そして、これはある意味真理ですが、
女の子が多いところを選ぶのが一番ですよ。
先ほどの研究室選びは、ギャンブル過ぎて対策の立てようがありません。
現役合格でキャンパスライフを楽しむのが一番です。
そして大学院で勝負です。
以上、ご参考に成れば。
補足
再び回答ありがとうございます。 自分は工学部の材料工学科で有機などを学び少しでもいいから薬を材料のところから学びたかったのですが、実際はあんまりだったので、薬学部を目指そうと思いました。なめてることだと思いますが、自分は中学の頃に癌で両親を亡くしたため、将来は誰かを助けられる仕事につきたいと思っていたからです。 部活を引退してからは平日4時間以上、休日8時間以上勉強しています。ただ勉強し始めて思ったのですが勉強ってなかなか進まないものなのですね。確かに自分は馬鹿にしているだけなのかもしれません。ありがとうございました。