- 締切済み
もし動物の心が分かるようになったら
もし科学が発展して、動物の言葉が気軽に機械(スマホとか?)で分かるようになったら、民法上動物は物ではなくなるでしょうか? 私は動物が物扱いされてるのが嫌とかいうわけではありませんが、 もし分かるようになったらどうなるかな、とちょっとした疑問です。 もし、の話ですから現実に言葉が分かるようにならないとしても、みなさんはどう思いますか? 多くの方の回答を知りたいのでアンケートにしてみます。 ご回答よろしくお願いします。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
みんなの回答
- tk-kubota
- ベストアンサー率46% (2277/4892)
>もし動物の心が分かるようになったら 「もし」ではなく、今でもペットの言葉は互いに理解しています。 ペットでなくても、くじらの言葉もわかるようになっています。 なお、民法で動物は「物」ですが、他の法律では「物」ではない場合があります。
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
- ベストアンサー率31% (3132/9928)
動物の心が分かっても物扱いをしたい人はいるでしょうね・・・ 分からなくてもシーシェパードのような過剰な保護をしたがる人もいますし。 猫の言葉ならなんとなく分かりますし、物ではないと思っていますが。。。 子供みたいな感じですね。。。 余談ですが、植物にも感情があって言葉が分かるらしいですが・・・ 植物だとなんか嫌ですね。。。 引き抜かれるたび叫ぶんですよね。。。
- ミッタン(@michiyo19750208)
- ベストアンサー率15% (3892/25656)
動物は動物でいいです 言語のわからないもどかしさもあれば、「お手」といって片足をひょいと出してくれると「ウチの子天才かも!?」という親バカにもなれるわけで 民法なんかの詳しいことはわかりませんが…
- sakura-333
- ベストアンサー率10% (952/8905)
動物の知能が発達するわけじゃないから、人の感情は伝わっても人が作り上げてきた複雑な社会の事情を理解させるのは難しそうだし・・ そもそも動物に人の言葉を伝えるなんてのは更に難しいんだろうし・・ 人とは別の区分けのままなんでしょうね。 まぁ今まで薄々感付いていた事や思ってもみなかった事を上から目線ではっきり批判されてショックを受ける事はあるかもしれない。
- hachiman-goo
- ベストアンサー率73% (80/109)
おはようございます。 動物にも人(?)権を与えようという意見が多く出ると思います。 基本的に動物のいる前では、悪いことができなくなりますので、「そんな翻訳機は世の中が混乱するから発売中止しろ」なんて運動も起きるでしょう。 私は、夢があって素晴らしいことだと思いますよ。 飼っている猫に「もっと高級なネコ缶食わせろニャ」といわれたら、ムッとくるかな。 臨終の時に「この家に飼われて幸せでしたニャ」なんて言われたら、涙だーだー流れます。 人知れず真夜中の山中で起きた殺人事件も、フクロウの証言によって犯人を断定、スピード解決!なんてこともあるかもしれませんね。 チンパンジーくらい知能が高いと「ウソ」をつく輩も出てきそうで、少し怖いです。 少し法律論からそれてしまいましたが、ご勘弁ください。
- izumi044
- ベストアンサー率36% (1333/3622)
売買契約が成立するわけですから、物のままのような気がします。 そうでない場合、新しい法整備が必要になりますが、その場合の判断基準がかなり難しいように思います。 ペットは家族。だから罪が重いのか。 家畜は財産。だから罪が重いのか。 ならば、野良猫やハトやカラスは罪が軽いのか。 また、その場合「猟師」「猟師」はどうなのか。 免許制にするのか。 熊に襲われて殺した場合、正当防衛なのか。 人間の場合と違い「賠償責任」が発生しないでしょうし、賠償することになった場合の財産管理は誰がするのか。 賠償責任が発生するとしたら、熊に殺されたなどの場合は請求のしようがないという不公平が生じますし。 そうなると、家畜に給料を支払うのかという問題も出てきてしまいます。 個人的な感情は抜きにして、いろいろな意味で「物」でないと難しいところがあるように思います。
民法上の話ならば、動物の気持ちがわかっただけでは「物」扱いのままです。 法律上の「人」と「物」は、ある意味で便宜上のものでして、その分け方は以下です。 法律上の「人」:財産を所有、売買できる 法律上の「物」:財産を所有、売買できない この区分で、例えば「会社」は「人」なわけですね。 これを「法人」と呼びます。会社は財産を所有、売買できますので。 それらを踏まえて、動物ですが。 動物の気持ちがわかったとしても、動物は物を所有できません。 ですから、気持ちがわかったり言葉がわかった程度では「人」とは見做されないわけですね。 似たような問題が、かつてありました。 奴隷制度です。 奴隷は所有することを許されない存在であったので、「物」だったわけですね。 そこから奴隷が「人」になるために歴史上様々な努力が積み重ねられてきたわけで、 もし動物が「人」を目指すならば、似たような運動が必要になるのかもしれません。 つまり、動物が「自分は物を所有でき、自立できる存在である」と人間と対等に話し合うことができれば、可能性は十分あると思います。 そんなことができたなら、それはもう動物とは言えませんけども。