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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:神様について 疑問です)

神様への疑問 子供の言動に困っています

このQ&Aのポイント
  • キリスト教の幼稚園に通っていた息子が、高学年になり神様を信じられなくなりました。
  • 息子は神社でお祈りしても願いが叶わないことに怒りを感じており、神様の存在意義に疑問を持っています。
  • どのように子供に神様の存在やお祈りの意味を教えれば良いのでしょうか。相談できる方がいれば教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.16

このような答え方をしてみてはいかがでしょうか。 「神様は願いを叶えてくれるわけじゃないよ。  神様は願いを叶えるチャンスをくれるの」 「神様は幸せにしてくれるわけじゃないよ。  神様は幸せになるチャンスをくれるの」 つまり、 今ある命は、神様がくださったチャンス。 今ある自分の手も足も頭も神様がくださったチャンス。 今いる家族も友達も神様がくださったチャンス。 今行っている学校も授業も神様がくださったチャンス。 家があるのも食事できるのも神様がくださったチャンス。 たとえ親や親戚に買ってもらったものでも、 そういうものを買える環境に生まれたのは、 神様がくださったチャンスなのです。 1つ1つのチャンスをきちんと大切にして、 自分は生きているのかな。 そういう視点に持っていってはいかがでしょうか。 チャンスを活かせば活かすほど、 神様はもっとチャンスをくれます。 チャンスを粗末に扱えば扱うほど、 神様はチャンスをくれなくなります。 「あなたはチャンスを本当に大切にしてるの?  面倒くさがってなげだしたり  粗末に扱ったりしてしまったんじゃないの?  そうでなければ今、  チャンスから得た幸せ、感じてるはずだよ。  そして、  神様が新しいチャンスをくれてるはずだよ」 欧米では、子供のこと、才能のことなどをギフトと言います。 神様から「与えられた」という意識で使う言葉です。 与えられた命、与えられた能力、与えられた環境を活かすことが、 人生の仕事であり、幸せへの道だと思います。 何でもお願い事を叶えてくれる存在は神様ではありません。 自分のミスを誤摩化してくれる存在も神様ではありません。 それは、悪魔です。 悪魔はお願い事を簡単に叶えることで、 人の頑張る力を奪い、 わがままを増長させて人々をケンカさせ、 人の才能を最終的にダメにします。 そうして、神様からのギフトやチャンスを次々壊すのです。 悪魔の陰謀に巻きこまれないこと、それが人生のチャレンジです。 「悪魔に負けて、  神様からのチャンスを奪われてないかな?」 「言い訳しても誤摩化してもダメ。  神様はちゃんと見てるからね。  あなたがチャンスをどう扱っているかを。  自分でチャンスを捨てておきながら、  神様のせいにして怒っている姿も、  神様はちゃんと見てるからね。  お母さんやお父さんをだませても、  自分に言い訳して自分をだませても、  神様だけはだませないからね」 人が神様にお祈りをする理由はいろいろあります。 「チャンスをありがとうございます」という感謝。 「チャンスを活かせました/ダメでした」という報告。 「さらなるチャンスをください」というお願い。 「神様を感じています」という心強さと喜びの確認。 それらは全て意味深いものですが、 本人が意味を感じないなら意味はありません。 「神様が自分を見守ってくれている」と感じないなら、 無意味に思えても仕方ありません。 人が神様を敬い、大切にする理由、それは、 神様が苦しいときも悲しいときも必ずチャンスをくれて、 人を幸せへと導いてくださるからです。 幸せな人と一緒にいることは簡単なことです。 苦しむ人と一緒にいることは難しいことです。 自分も苦しくなるからです。 それでも、どんなに絶望しても苦痛にあえいでも、 神様は人と一緒にいてチャンスをくれるのです。 そして本当の幸せを感じさせてくれるのです。 チャンスが見えなくなるまで心を曇らすと、 神様のことも感じられなくなるでしょう。 「もしチャンスが見えないなら、  心が曇ってるんじゃないかな?  自分にどんなチャンスがあったのか、  今はどんなチャンスがあるのか、  もう一度よく考えてみたらどう?」 「神様なんかいらないって思うなら、  それでもいいよ。  神様をもう感じないならそれでもいい。  でもね、  チャンスを見る目だけは持ち続けてほしい。  あなたには幸せになってほしいから」 というように、お子様に話してみてはいかがでしょうか。 宗教・宗派によっても、個人の価値観によっても、 神様についてはいろいろな考え方があります。 お子様もいつかは自分なりの神様を見つけるかもしれません。 それでもひとまず、このような理解の仕方はいかがでしょうか。

unaginoko
質問者

お礼

soyokazespringさまをはじめ、悩みにこ答えてくださった24人のみなさまにあらためてお礼を申し上げます。幼稚園はキリスト教でしたが、家は仏教徒で、特に深く考えることもなく今まできてしまい わたし自身が神様に対する考えがはっきりしなかったもので、大変参考になりました。この機会に考えてみたいと思いました。他にも、ベストアンサーにしたいお答えがたくさんありましたが、息子にもわかりやすそうなお答えをくださったsoyokazespringのお答えをベストアンサーにさせていただきたいと思います。

その他の回答 (23)

noname#198909
noname#198909
回答No.13

違う神様に祈っているからなのでは? キリスト教では神様は、神社にいません。

回答No.12

どうも、こんばんは。人は皆自分の神様を持っています。その神様は自分の共に成長するのです。その神様の居場所は 自分の精神世界中に生きているのです。人が自分の神様と仲良くする為お祈りします。 親から貰ったその魂を元気に成長させる 責任者は本人ですから、。。。。。、カカオトークダウンロードしてください。 お返事くたさい。

  • hiro822
  • ベストアンサー率20% (131/637)
回答No.11

上手く答えないが正解な気がします。 神様の存在は、うまく説明しにくいと思うので、 僕ならば、はぐらかした応対をすると思います。 神様を信じるか信じないか、どのような神様を想像するか、神様の定義っていうのは、 人それぞれだと思うので、無理にこういうものというふうに決めつけて教えたくはないなと思います。 いろんな経験をして、神様とはこういうもの、と気が付いていくのではないでしょうか。 僕は子供の頃は神様は信じていませんでしたが、 最近はちょっと信じている感じです。 必然性や見えない力の擬人化みたいな感じで僕は捉えています。 偶然というには出来過ぎたことが世の中にあると思いますが、 それを得体の知れない力というより、神様の意思としたほうが、把握しやすい。 そんなところから神様はできたのではないかと思っています。 お祈りするというのは、念力を使うみたいなところはあるのかもしれませんが、 どちらかといえば、祈ることによって、心を落ち着かせるためのものではないかと思います。 静かに、手を合わせることによって、欲みたいなものを昇華できるというか、そんな感じがします。

  • kia1and2
  • ベストアンサー率20% (482/2321)
回答No.10

誰かに感謝の気持ちを言ってもまだ物足りない、そこで、神様に感謝の気持ちを告げます。 お願い事を聞いてくれるのは、この世に生命を預けてくれた両親やそのご先祖様。 お願いことをするのは、かなえられるように一生懸命にして、最後の最後に。それで、結果的にうまくいかなくとも、満足感が。両親やご先祖様に、一生懸命やったけどあかんかった、でもありがとう、そして、神様、両親をいつまでも守ってください、ご先祖様もよろしく、ってなります。 神様や御両親、ご先祖様に「宝くじがあたりますように」って他力本願のお祈りしても、願いなんか聞いてくれないです。 私、カトリック教徒、亭主は仏教ですが、どんな宗教でも基本はおなじで、気候・風土でミサの仕方が変わっただけと強く感じています。

  • HIROEVO
  • ベストアンサー率50% (142/281)
回答No.9

ご参考になるかどうか・・。 私は、一応、プロテスタントです。 カトリック信者では無いので、「厳格な捉え方」は持ち合わせていませんが。 神様とは、人間の「願い」や「欲望」を叶える為ではなく。 人間に、「心の救い」と「心の癒し」を与えて下さる為に。 我々、人間の傍に居られると理解しています。 だから、人間は、日々の安泰と幸福を願い。 心の救いと癒しを、求めるからこそ。 人々は、神様を尊い存在として「敬い祈る」のだと想います。 「キリスト教的思考」に拘ってしまった回答で、申し訳ありません・・。

  • ginga3104
  • ベストアンサー率23% (510/2208)
回答No.8

おいおい、どうしてそうなった?大丈夫か?その幼稚園。 神様だろうが仏様だろうが、お願いするのは、 「自分がする事を見守って下さい」だけだよ。 だから、神仏に願い事をしたなら、成否に関わらず、ご報告に上がるのが礼儀だし、 「見守って下さってありがとうございました」 で、成功なら、「益々、精進致します」で、失敗なら、「これを糧にこれからも精進致します」だよ。 神仏を畏れ敬うのは、平常心を保つ為だね。 あなたのご家庭での神仏の位置付けをしっかりされた方が良いですね。 因みに、僕は、無神論者なのですが、神仏の行事にはお付き合いとして参加します。ですから、子供達には、その都度おとぎ話の神仏の偉大さを紹介してまして、願い事などはご利益が有ると良いねー。くらいにしています。 ですから、彼が息子なら、 神様にお祈りする意味は? →特に無いよ どうしてみんな神様を敬うの? → 弱いから と答えますね。なんか身も蓋も無いんですが、ブッダやイエスはとても人間らしくて面白いので大好きです。とも付け加えますがね。 参考にならんだろうなー。

  • folcon
  • ベストアンサー率22% (19/83)
回答No.7

今こうして家族で生きて暮らしてる事にお礼しているんだよ。 みたいな? 生まれてすぐ死ぬ人もおれば、事故で亡くなってしまう人もいる。 いつも僕は健康で生きてる事のお礼をしてます。 頼み事しても結局できる出来ないは自分次第だから。 頼み事で願いとか叶うなら誰も努力しませんよ。 って思ってます。 生きてる事に感謝なんてしたくないよって言ったら、 パパはお前が生まれてきてすごく感謝してるよ。 と、言ってあげれば向こうもなんも言えないと思います。

  • onebeyok9
  • ベストアンサー率21% (9/42)
回答No.6

神様は頑張っている人をいつも見ているのよ あなたも神様に見てもらえるように もっともっと頑張って神様に見てもらいましょう。

  • gongorogon
  • ベストアンサー率16% (706/4250)
回答No.5

神様は願いを叶えてくれる何でも屋さんではないということ、感謝の気持ちを忘れないことで、自分が人間らしく生きられる、ということが、キリスト教の教えでは分かりづらいかな。

  • taka-aki
  • ベストアンサー率12% (748/6126)
回答No.4

神を許してやることが自分を許してやることにつながる。 神を許してやれるかどうかがその人の成熟度のバロメータです。 祈るのは自分の心からの願いを明確にして自分の心に従うためです。 神は敬うものではなく許してやるものです。 神を許すことで許しを学ぶのです。

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