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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:スカートはなぜ女性の服?&スカート男子の疑問)

スカートはなぜ女性の服?&スカート男子の疑問

このQ&Aのポイント
  • スカートは主に女性の服として扱われる理由や、スカート男子の存在について疑問を持っています。服飾史を辿ると、スカートは男女問わず存在していることが分かります。男性向けのスカートもたくさんあります。
  • スカート男子のモデルケースとして広まっている画像では、黒っぽいロングスカートやズボンの上にスカートを穿く人が多く見られます。しかし、スカートの着こなし方や好みは個人によって異なります。
  • 男性向けのスカートについて、ミニスカートが少なくなく、むしろ多いことが知られています。古代の兵士やフィクションのキャラクターなど、スカート型のチュニック服を着た男性キャラクターは、ミニスカートを着用しています。スカートの着こなしは個人の価値観によるもので、男性にも似合うスカートは存在します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Yusura
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回答No.3

ご質問の二つの質問を、1番、2番として回答しますね。 2番については簡単です。 「スカート=女性だけが着るもの」という記号が絶対的なものでありすぎるからです。 なおかつ男性のほうが女性よりも優位にあるために、女性が男性の服装を着るのと違って、劣位に下るというネガティブな想起がされます。 そのため男性が女性の格好をすることに対して、女装という性的倒錯だと思われるか、なよなよしていて男性らしくないといった反応を招きます。 なのでスカートを履きたい目的がファッション性にある男性は、「女性の格好をしているのではないですよ」というふうにアピールする着方しかできません。 スカート=女性の記号を避けるために、男性的な着こなしの延長にある着方しかできないのです。 それが、パンツの上に巻くことで民族衣装を現代風にアレンジしたものに見せかけたり、デザイン的に上衣の延長に見せかけたり、シルエットはスカートのようだが、男性が履いていても奇異にみなされないキュロットに近いスカートだったりといった着こなしに限定されるのです。 1番については非常に長くなってしまいますね。まず現代でもきっぱり「スカート=女性の記号」である地域は限られます。 また、いつスカートが女性だけのものになったのか…というのは、服飾史をかじられたのなら、この区別がかなり難しいことはご存じだと思います。 ただ、基本的に「スカート=女性だけのもの」であるのは、文化が西洋化した国や地域だけです。 なので西欧のものと言えます。 それ以外の地域の民族衣装などを取り上げて「ほら、男性もスカートを履いている」というと的外れになるのは、記号的にも社会的にも「普段着る洋服」と「民族衣装、あるいは歴史上の服飾」がきっぱり違う文脈で扱われるものになっているからだと思われます。 だって、ローマの兵士の格好をしていたら、男がミニスカート履いているという問題以前に「普段の洋服とは違うから変」ということになりますよね? なので、ローマの兵士が着ているミニスカートや、中世の衣装、それを模したファンタジーゲームなどの衣装と現代のスカートは分けて考えるべきだと思います。 たとえば日本の伝統的な衣装である和服でも男女とも同じ巻きスカートという区分になりますが、女性だけは身八つ口があり下半身をきつく巻くのに対し、男性の方はゆったりしているなど、性別による衣装の違いはあったわけです。 旧約聖書にも「異性の服装をしてはならない」といった主旨の一文がありますし、相当古くから男女で違いがあったわけです。 なので、「服飾において、男女の区別がある」ということに焦点を絞るべきです。 この区別がどこから生まれたのか。 ご質問にある「動きやすさ」が一番のポイントだそうです。 形状がスカートであれズボンであれ、どの時代、地域、階層でも共通していることは男性は動きやすく、活動性が高いもの、女性は活動性を妨げるもの、かつ男性の眼を愉しませる、そういう区別であるのがポイントです。 なぜかというと、世界的に男性優位社会だからです。 生物進化学に話が飛ぶのですが、動物のオスには、「可能な限り、メスの行動を制限したり束縛したりする」という性質があるそうです。どの程度か、どのように現れるかは種によっても違うそうですが。 なぜかというと、妊娠したり卵を産むのはメスだからです。子どもを持つのにメスの方が負担が大きいので、負担が軽いオス同士で争います。 ちょっとイス取りゲームで想像してみてください。 ヒトだと、最低限、男性は射精というほんの数分ですが、女性は10ヶ月待たないといけません。 女性というイスは常に埋まりがちで、男性から見ると開き待ちということになります。 待つ間に、同じように待っている同性のライバルを積極的に蹴落とすよう闘争心が強く進化したのが男性です。 ここで有益な戦略は、オス同士で争う以外にもあります。 女性を囲う=女性の行動を制限し他の男性を寄せつけないようにすることです。 女性の意思は無視しても、次の開きができるまで囲えば席取りの争いという高いリスクを背負わずにすみます。 闘争に適応した同性よりも女性の方が腕力でも気質でも与しやすい。 それに囲えば、「自分の子を孕んでいると思って世話したら、他の男の子種だった…」という大損害の可能性も限りなく減るわけです。 まあ、実際には問題は数分と10カ月の時間差以外にもあるわけですので話を簡単にはしょっているんでしょうけど、これを専門用語で「配偶者防衛」というそうです。 専業主婦もこの性質の一環だと聞いたことがあります。経済的に逃げ道がなくなる&他の男との接触が激減しますから。 これらの性質を男性が意識しているとは限りません。が、女性が活動性の高い衣服を着ることを禁じる方向に進んだのはこのためです。 ご存じかわかりませんが、中世のヨーロッパでは女が男装することは火あぶりになるほどの罪でした。 土葬が魂の浄化に必要なキリスト教圏において火あぶりは希望の最後の一片まで砕く目的の一番悪い処刑法です。 ジャンヌダルクも、裁判に当たって最大の罪とされたのは男装でした。不完全で劣等な女でありながら、男性という神性をもっとも宿した存在のための服を着たからとかなんとか当時の記録に残っています。 スコットランドのタータンチェックのキルトスカート。ご存じですよね。 このスカート、女性が履いたという理由で処刑されたことがあります。 近年では女性も着用できるようになりましたが、スカートであっても、男性だけの衣装だったのです。 この「女性の衣服は重々しく」は社会的に男子相続制度が強固なものになり、王侯貴族などの身分制度による階層分化が進むほど顕著になっていきます。 家父長制が固まっていくほど女性の人権は低くなっていくのと相関しているのでしょう。十二単、ロココ時代の身動きできないスカート等。 この辺、このサイトでも詳しい回答をいくつも読んだ覚えがあります。 東北大学の学生さんの軽いレポートですが…。 私が参考文献などを引用されていますので、ご参考までに。 「服装の性差:なぜ女性しかスカートをはかないのか」 http://www.sal.tohoku.ac.jp/~tsigeto/2001/writing/aoyagi2.pdf 「女性の活動を妨げるためにスカート」という把握は他の本でも共通していますので、学者の間ではコンセンサスがあるということを言いたかったのです。 スカートであるないというよりも、「男性は活動的な服を着、女性は男性の都合により活動性を妨げる衣服に分かれた」という経緯はお分かりいただけたでしょうか。 このあたりは服飾史の本ではなく、ジェンダー論や、服飾の文化史の本のほうが詳しいです。 服飾史は服飾の変遷だけたどって、文化的な背景には話が及ばないので。 技術が発展して、ズボンがつくれるようになったけれど、女性の活動を抑えるためにスカートが女性のものになった。 女性は劣った存在とされる男性優位社会では女性と見なされる衣服は男性は着ない。活動を妨げるスカートを履く男性は非常に限られるようになったので、男性のスカートは廃れ、「スカート=女性」がより確固たるものになった。 20世紀の女性の人権の拡大により、スカートがこうした差別的なものというよりも、ファッション性、つまり「より自由な選択肢」に広がっていった、のだと思います。 質問者さんはスカートを「すばらしいもの」と言っているのも、この「より自由な選択肢」「より幅広いファッション性」という文脈でだと思います。 さて、19世紀、衣服は相変わらず男女の区別が激しいのですが、社会には目立つ改革がもたらされます。 科学の発展です。 これにより産業化、工業化が進みます。 平たくいうと、庶民の中からもお金持ちが出てくるわけですよ。お金持ちになれば発言権が増します。「一部特権階級の男性」だけが握っていた人権というものを、「庶民の男性」の中にも持つ人が現れるのです。 トランプ大貧民の「革命!」状態です。 平民ナポレオンの台頭、民族主義、民族自決主義、云々、それが全ヨーロッパに広がったところで、戦争です。そうなると女性の人権という概念も生まれました。 それが20世紀前半です。 なぜ戦争が起きると女性の人権があがったかというと、戦争に出た男性に代わり、女性が過程を切り盛りし支えるようになるからです。 ちょっと説明すると、上に少し上流階級のほうが女性への束縛はヒドいと書きました。ヨーロッパの暗黒時代まっただなかといえども、大多数の庶民層では女性の発言権は相対的には、上流階級の女性に比べればありました。庶民は貧しくて、女性も働かなければ生活が立ち行きません。 なので、女性の発言権を無視できなかったんですね。 もちろんこの当時、「庶民階級の女に生まれる」ということは、生き地獄か何かの呪いでしかありませんでしたが、男性も似たようなものだったので、相対的に見ればという話ですよ。 なので庶民層は女性でもスカートがやや短めだったり、髪が短めだったりします。「やや」

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質問者

お礼

ありがとうございます。 かなり詳しい説明、ありがとうございます。 ただいくつか気になることなんですけど、なんで「民族衣装やそれに由来するもの」と「普段着る洋服」がそこまで厳格に分けられているのかな?と思います。 現在皆が着ている洋服だって、必ずルーツはどこかにあると思いますし、それの元を辿って行けば、必ずどこかの民族衣装に当たると思います。 どうして「民族衣装やそれに準ずるもの」と「普通の服」をそこまで遠くに扱うんだろうか?と思います。 また、現在のスカート男子というのは、男性的な着こなしから脱することができないとのお話を聞かせて頂きましたが、その「男性的な着こなし」とはどういったものなのかな?と思っています。 どういった物なのでしょう? ある意味、「現在の洋服」というくくりのみで、民族衣装とかそういう類いの物を一切忘れて見たとすると、そもそもが「男性的なスカートの着こなし」たるもの自体がなくなってしまうんじゃないかと思います。 仮に民族衣装とかそういうのを一切合切何もかにも無かった事にしてしまったら、男性用のスカートという物自体が消えてしまうので、男性的な着こなしという物自体がなくなっちゃうと思えるのですよね。 そういう、ネット上でメディア発信しているスカート男子というのは、一体何をモデルに、なにを目指してスカート男子なのかな?と思う事があります。 男性的なイメージを残してスカート、と言っても民族衣装の事を無理矢理忘れてしまうと、なにをもって男性的?と思ったりする訳です。 また、そういう形のスカート男子ばかりが、スカート男子のモデルケースとして広められているのはなぜなのかな?と思います。 実際にそういうスカート男子が大半なのか、それとも実情とは異なっているが、何らかの理由でそういうスカート男子ばかりを意図的に広めているのか? これはどっちなのでしょうね。 僕が思う限りだと、出所不明な謎の現在の洋服からはみ出さない男性らしいスカート(そもそもこれが現在の洋服と合致しているのかすら不明)、というのをやるぐらいなら、現在の洋服という垣根を取り払って、民族衣装やそれに準じたものから男性らしいスカート型の服を拾って行った方が、少なくとも女性とは違っていて男性らしいスカートというものの実現には近いし現実的と思うんですけどね。 一応見れば分かる人には分かると思いますし、出所もある程度しっかりしているのでブレがないかなと思います。 また、男性のスカート着用が主流にならないのは、女性が男性より身分が下という男尊女卑の考え方があるという事についてですが、二点程気になることがあります。 現在ではまだまだ男尊女卑な所はないとは言えませんが、かつて程女性の身分が男性よりも低いとは思いません。 むしろ、現在性差別と言われているものは、女性が一方的に損をしている物かと言うと、男性と女性の両方がケースバイケースで性差を理由にして損をしているのではないかという物が多数だと感じます。 勿論、だからといって性差別が良い筈はなく、性別より先にあるべき各々の人の自由な生き方や、人生観を他人が都合よくねじ曲げてしまう事になるので、良くない事には変わりありません。 性差別に対しては、「上下」という区分けで語るのは今は不向きなんじゃないかと思います。 少なくとも服飾に関して言えば、女性が男性よりも下というのは絶対にないと思います。 学校の制服などで「女性だけスカートなのは差別」「女性だけブルマなのは差別」という言葉がちらほらと耳に入って来ますけど、これってそっくり逆に「男性だけズボンなのは差別」とも「男性だけブルマは選べないのは差別」ともなります。 私服としてはスカート男子が出歩けるぐらいだから大らかにはなっていますが、さすがに男性が学校の制服としてスカートやブルマ選べるということは、仮に本人が望んだ所で殆どあり得ないでしょう。 これに関しては完全にお互い様な性差別ですし、服飾に関しては今更女性が下なんていう事は絶対に(少なくとも西洋文化や日本文化の範疇では)ないと思います。 それにも関わらず、未だにスカート=女性用 という印象がそれらの国々で強いのはなぜなのでしょうね? 女性の身分が下という考えが形骸化されているのであれば、スカートがもっと男性にも広まってもおかしくないんじゃないかという風に思いますし、女性の身分が低いから男性はスカートを穿かない、というのも今となっては疑問が残ります。 もう一つの疑問点が、男性のスカート着用に対して否定的なのが、男性だけじゃないということですね。 男性は否定的だが女性は大らかかというと、本当に人それぞれですし、否定的な人に当たってしまうと、男性よりも女性の方が「後が恐い」結果を生みやすいです。 まあスカートだけに限らないんですけど、僕が知る限りだと男性が巻き込まれて大変な事になる事件に関して言えば、男性だけの状態よりは、女性が絡んだ事件の方が問題が大きく危険な事に、よりこじれた問題を生み出す事になっているなって感じます。 僕もスカート男子なんですけど、一度とんでもない事件に巻き込まれたことがあるんですが、事件の後で関係者が冷静になった頃にその発生源を関係者に問いただした所、女性絡みであることが明らかになりました。 男性だけの状態でこんなことが起きたことは少なくともありません。 まあこの事件自体一回こっきりなことなので、次はどうなるか、今後はどういう人間関係が発生するのかは分かりませんけどね。 でもその事件では事の発端が女性絡みでした。 それに知人女性で、何十回説明しても、女装とスカート男子の違いが理解できない人がいるのです。 男性のスカートを理解しない人って、男性だけじゃないってことですね。 女性の方が地位が低い事を理由に男性がスカートを穿かないのであれば、その方向に女性が加担するのも些か不思議なんですけど、そういうことは少なくない様です。 ここはどうなんでしょうね。

その他の回答 (5)

  • phj
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回答No.6

#4です。お礼ありがとうございます。 >しかし、女性の「自由の象徴」というのと、前の方がおっしゃった「女性を低いものとしてみる象徴」という、相反するものが一緒くたに入っているのはちょっと不思議なもんですね。 女性の自由の象徴的な意味合いがあるから、男性の利用は控えて欲しい、なのか、それとも男尊女卑の視点から言う、女性の様な格好をする男性は卑しいので控えて欲しい、という考えなのか、どっちなんでしょうね。 「女性を低いものとみる象徴」としてのスカートは、近代以前の話です。近代においてコルセットからの解放が女性を男性同様の私人権を得る「人間」として認めることにつながっていったからです。 それまでは確かにスカートは「女性を男性の隷属物としてみるシンボル」であったわけですし、男性と同等の格好を女性がすることは「隷属から脱し、主人になろうとしている」と考えられました。 封建社会の当時は、階級社会であって、どのような立場の人でも「自分のおかれている立場からの逸脱」は許されませんでしたから、女性が男装することは「階級社会への挑戦」であり、それはやがて奴隷を自由にするかもしれない危険な思想であったといえます。 単に「女性を低いものとしてみる」というだけでなく、それが社会のあり方を変えてしまうぐらい服装というのは、時に重要であるといえます。 さて、第一次大戦ごろになると、男性の人手不足と、18世紀からの自由啓蒙主義が進行して、女性解放や奴隷解放などが進んでいくのですが、いくら労働者不足であったとしても女性が男性と同等の格好をして働けば、古い価値観を持っている人々の反発を呼びます。また女性自身も抵抗があったことでしょう。 ココ・シャネルが作ったシャネルスーツがエポックだったのは、男性が着るスーツと同等の機能性を持ちながら、女性としてのシルエットとつつましさを持ち合わせ、古い価値観の男性にも文句を言わせなかったところにあります。これにより、一気に女性の社会進出が進むのですが、日本で言えば明治初期の女学生など袴姿同様の動きといえるでしょう。これも明治以降宮中で女性が袴を履く様になったことをうけて、女学生や仕事を持つ女性が男袴を利用したところ大問題になり、華族女学校を開校した下田歌子氏が女袴を考案したといわれています。 さて、問題なのは「服装の変化は社会的な変化を表すことも多い」ということでありながら「適正な歴史的経緯と思想を知らない人のほうが多い」ということです。 たとえば女子学生がはいていたブルマーなどは、最近ではほとんど見ることがなくなってきました。女性のほとんどが「男の人(教師)が女子の足を観賞するために作った」という俗説を信じているようですが、もともとブルマーはむしろ女性解放のシンボルであり、肌をさらすタブーに逆らって「運動をするときに男性並に軽装になりたい」という女性側の欲求から生じたものです。 それがいまや「やらしいもの」とされて半ズボンになっているのですから、これだけ見れば「女性解放は後退した」とみるべきなのでしょう。 つまり現代のように「女性の社会進出は当たり前(選挙権も財産権も男性と同じなのは当たり前)」という時代にあっては「スカートが女性を象徴する意味、などはほとんど消えうせ「かわいいから」という理由しか残っていないのに対して、むしろユニ・セックスや男性開放という視点から「なぜ男子はスカートをはいてはいけないの?」という疑問が沸き起こり、ファッションの幅を広げる意味で男性がスカートをはく流れが出来た、というのが現状でしょう。 今の女性は、先達が「服装を男性並に!」というふうにがんばったことを忘れて「男性がスカートをはくなんて・・」といっているのが現実です。そこに思想的な意味合いなどありません。 男性側もそうですね「なにも女の格好をすることは無いだろう」という人が大勢います。また一般的には「女装」のほうが市民権を得ていて、スカートはファッション(女装ではない)ということが理解されているとはいえないので、またそれもややこしい話になってきています。 このあたりについていえば、女性の解放運動もまだ過程であり、さらに男性の解放も始まったばかりで、本当のユニセックスとその価値が根付くには何年もかかるのでしょう。 ニューヨークでは最近「女性が上半身裸で歩く権利(おっぱいを男性同様晒して歩く権利)」を求めて抗議運動が起きているそうですから、もうなにがなんだか分からないですね。私からすれば「女性のおっぱいは、隠すから武器になるんじゃないの?」と思ってしまいますので、それをあえて晒すのは勇気なのかバカなのか「女性解放」とはなにか?、ということになりかねないと思ってしまいます。 ああ、書き忘れてましたが私は男性です。 男性スカートについてはあまり興味がないので、くわしくは分かりません。しかし、思い当たる点で言えばやはり、ボーイジョージあたりがキルトをアレンジしたスカートをはき、化粧してメディアに露出した1980年代後半が現代につづく男性スカートの始まりであることは確かでしょう。 日本で言えば、その後ビジュアル系バンドなどがこれを取り入れ、有名どころでいえばIZAMUあたりから少しずつ浸透していったのだと思います。 パリコレなどでメンススカートの提案数が増えたのは、ざっと見る限り2008年ぐらいで2004年にはギャルソンがズボンの上から巻きスカートをあしらっていたようですが、この年代をみるかぎりでは、原宿系の影響がパリコレに及んだように感じます。つまり日本は最先端ですね。 最近、コスプレをする外国人たちが取材を受けたりyoutubeに出ていたりするのを見ていると「日本でコスプレをしていても問題ないが、自国では、殺すぞ、と脅されたりする」と多くの人が言っていました。 その点においても日本は、服装についても思想(宗教的なものを含む)についても相当に自由な国であるといえるでしょう。 なにがいいたいかというと「だから、あんまり気にしないで自分の好きな格好をすれば」ということです。 でも、同時に「ファッションは時に時代を変革すると共に、命がけで纏うものでもある」という歴史があることも理解しておくと、造詣が深くなって良いのではないでしょうか。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 最後の方から言うと、確かに日本は服装は自由な方かも知れませんね。 オフィシャルな場では、未だにクールビズとかが中途半端なのが引っ掛り、アメリカの西海岸やオーストラリアの様には行かないなーと思いますが、私服では男の人がスカートを穿いても、よっぽどおかしな人に当たらなければ実害が発生する程のことはされませんよね。 アメリカだのカナダだのは、行った事ありますがある意味自由の国なので、まだ無難な場所だなと思うんですが、ヨーロッパや中東、特にキリスト教やイスラム教が広まってるとこや、あるいは中国とかみたいに独裁色が政治に強いところは厳しい様ですね。 特にヨーロッパなんて、ギリシャや古代ローマなど、男のミニスカ文化があったのにも関わらず、今ではイタリアなんて男の人のスカートなんてもんを一部地域で潰しにかかってるという噂を聞くので、ある種欧州の「矛盾文化」の一つだなと思っています。 キリスト教だって、異性の格好をするのに対してはうるさいかも知れないけど、そういうの抜きにした、単純な「服の形」にまでは流石に旧約聖書にも書いてないと思うんですけどね… >ボーイジョージあたりがキルトをアレンジしたスカートを 「現代的」なスカートの起点ってどこなのかな?と思う訳ですけど、基本的にやはりキルト辺りになるのでしょうかね。 ただキルトに関しては下にズボンどころか、下着すら穿かないスカートだったと思うんですけどね。 さすがにそこまではしろとは言わないけど、下にズボンを穿くのがなぜか主流ですよね。 スカートの利点を少し削ぐことにもなる訳で、それはちょっと・・・と思う訳ですけど、あれは原点がどこにあるのかな?と思います。 >もともとブルマーはむしろ女性解放のシンボルであり これはちょっと僕は賛否両論の意見がありますね。 当初言われていたブルマーと、社会問題とされたブルマーは根本的に形が違うので、同列には言えないと思います。 とは言え、男が男尊女卑の為に着せたものというのは根拠が無いと思います。 実際今の所、学校ではそういう物は見なくなった訳ですけど、陸上の選手とかだともっとカットのキツいやつ穿いていますからね。 別に女子選手があれを着なきゃいけない訳じゃないし、普通のランパンとランシャツの人も居る訳ですから、あれに関しては本人たちの事情に他ならないと思います。 あと、ブルマが短パンになったから解決かというと、基本的にブルマが好きな人はブルマだから好きな人、根っからのブルマフェチである人は少数で、女の子だからいいんだっていう人が大半だと思います。 だって仮に男の人がブルマを穿いたらそれにも欲情するか、あるいは(未使用の)ブルマが手に入ったらそれで喜ぶかというと、そういう人は少数ですよね。 ブルマにせよスク水にせよ、女の子が居なければ話しにならない人ばかりだと思いますし、大体女の子がなくても性的興奮ができる人なら、彼らにブルマを買い与えておけば実害が無い訳で、そもそも問題の対象にすらなりませんよね。 だからブルマが無くなろうと、ブルマ以外の物に性的対象が移動するだけであまり意味はなかったのかなと思います。 まあブルマが無くなった理由はそれとは別に、「女子にブルマを推し着せていた」という違う理由が大きい気もしますね。 なぜかというと他の理由で考えると矛盾する点が多いですからね。 >また一般的には「女装」のほうが市民権を得ていて、 ここで疑問ですが、なぜ女装は市民権を得られたのでしょうね。 関係ないですが、ついいつも比較対象として気になるところです。 >ニューヨークでは最近「女性が上半身裸で歩く権利(おっぱいを男性同様晒して歩く権利)」 これに関しては、やるのはいいですけど実際の所男性だって、上半身裸でそのへん歩けば、逮捕とまでは言わなくても少なくとも日本では不審者扱いされるのがオチかなと思います。 逆に水着とかでは男の人は上半身がない事が多いので、ラッシュガードとかに限らず上下つなぎの水着、いわゆる子供用にはある「グレコ水着」ってやつ、大人用もあってもいいんじゃないかと思ってたりする今日この頃です。 上下がくっついてるので泳いでもバラけないので、ラッシュガードを海パンの上に穿くよりは快適なんじゃないかと思っています。 家にミシンがあってある程度は色んな物が作れる事を利用し、実はこっちのジャンルにも手を出した事がある訳ですけど、いやはや不思議なものですね。 当然、露出度がいたずらに高いとかそういう訳じゃなくて、むしろ大人しいタイプになるので文句を言う人はそんなに多くはありません。 ただ、人の事を批判したがる人はどこにでも居る訳で、その大半がそういう水着を「女のスク水みたいな水着」と称する訳ですし、スカートも女装の類いとどっかで混同している人が少なくないようですね。 僕としてはスカートに関しては、質問文に書いた男性用の服を参考にしてますし、水着に関しても子供用のグレコ水着を参考にしているので、「子供っぽい水着だ」と称されるのは妥当でも、「女みたいな」というのは大的外れな訳で、いやはや不思議極まりないところです。 話しを戻しますと、なんにせよ今の時代男のスカートを批判する人は、男尊女卑思想に基づいて、男が女みたく卑しくなるからという訳でも、女性の自由のシンボルだからという訳でもなくて、違う理由の人が多いのでしょうかね。 それはつきつめるとどういったものなのかなと思ってしまいます。

  • Yusura
  • ベストアンサー率50% (607/1207)
回答No.5

#3です。 すみません。 推敲したものの端切れのほうを回答してしまいました。 もともとは1万字ぐらい楽しく書きなぐって、これはあんまりだなと思っていらない箇所を削っていったのですが…後半まるまるいらんって感じですね。質問者さんのこと無視しすぎました。ごめんなさい。 ただ、質問者はスカートを「すばらしいもの」と表現されていますが、実際には逆だったわけです。 スカートとズボン、縫製の難易度や活動性の高さなどだけから考えれば、ズボンのほうが「レベルが高い」衣服なわけです。 大昔、毛皮を巻いただけやトーガなどを見ても巻きスカートと呼べる形状ですよね。 (これは地域や文化差があります。たとえば挙げていらっしゃる古代ローマ帝国では、兵士=自由市民たちは皆活動性のためにミニスカートを履いていました。で、敵だった北方民族たちは気候と騎馬民族という理由から先にズボンが普及しているのですが、ローマ人たちはズボンを見下していたことがわかっています。ガリア戦記だったか、「ズボン(を履いちゃうような野蛮な)民族」という表記があったりします。しかし、当のゲルマン民族でも女性はスカートしか履けなかったのです。) なので、「女性だけがスカートを履く」というよりも、「(ある程度の地位の)男性だけがズボンを履ける」だったのです。 >殆どがミニスカというよりは超ミニレベルの物を穿いている事が多い様です これは、ミニスカートではありません。「すその長い上着」です。ミニスカートでもお金がかかるから、貧しい人たちはすその長い上着しか着られなかったのです。中世までのロウワークラスの男性の「下がすっとんとん」がこれにあたります。 挙げていられるゲームのキャラクターは当時の衣装を模しただけです。 なぜ衣装だけがと思っていらっしゃるかもしれませんが、ごくごく最近、1960年代まで、もっと大雑把にくくっても20世紀後半までは、ファッションというのは身分や職業と厳然と結びついたもので、完全にファッション性だけを追及する、現代芸術のような扱いができるのはここ20年ほどの流れです。 なのでファッションは21世紀以前の影響をいまだに濃く受けているわけです。 >民族衣装やそれに由来するもの」と「普段着る洋服」がそこまで厳格に分けられているのかな? 厳格に分かれているわけではありません。ただ、高貴な女性が十二単を着ていた平安時代後期であっても、奈良時代の衣服は「昔の衣装=コスプレ」であったはずです。 いつの時代でも、ある境以降は今着てる服と違う昔の服という扱いです。 ただ、産業革命で社会の構造ががらっと変わりました。もしフランス革命に端を発する民主主義の興隆がなければ、いまでも民族衣装といいますか、「着るものが階層によって厳然と違う」社会であったはずです。 民主主義→民主主義と資本主義→グローバル化という流れが、現在の「昔の服」というニュアンスに、「昔の服+限られた地域、文化で着ていた服」というニュアンスが加わることでより遠いものになったのかもしれません。 日本だって、ペリー以来西洋の文化を取り入れなきゃ!で洋服ががらっと変わっています。が、歴史の積み重ねで自然と変わっていったものではないので、表面だけしか取り込んでいない部分があるのはご存じかと思います。 >出所不明な謎の現在の洋服 というのは、どのあたりが出所不明なのですか? 日本の現在の洋服ですか?それとも、おおもとの西洋のほうでなぜ、17、8世紀の重苦しい衣服から現在のような洋装になったのか、ということでしょうか? それは服飾史を学ばれたのなら、質問者さんのほうがご存じかと思いますが…。 単に、昔は重苦しい装飾が多い衣装が身分の高さを現したからです。これは西欧以外でも、高位の人は貴金属をありったけ身につけるなどしています。 が、富を持った平民が広く出現することで洋服は軽快さを重視されるようになります。 身分のない庶民だけど大富豪、そういう人が、他の人がめかしこむ高級レストランにラフな格好で入れることがステータスシンボルになるのです。まあ、源氏物語でも光源氏が「庶民にはできないラフな服装で大事な宴席に現れる」シーンがあったりします。 それでも男女の区別はあります。女性が男性の衣装を取り込んだ服を着ることはできますが、男性が女性の衣服を着ることはできません。 それは最初の回答にも書いた通り、男女で重みが違うからです。 大昔から為政者が貧しい人間のまねごとをすることはありますが、全部戯れです。上位の者が劣位の本質を取り入れることはない。 だから、上位である男性が劣位にある女性のものとなってしまったものを遡上させたい場合には、細心の注意が必要なのです。 「ファッションからスカートを着ているんですよ」「女性性を男性が模したいわけではないんですよ」というアピールが必要なんです。 >民族衣装とかそういう類いの物を一切忘れて見たとすると、そもそもが「男性的なスカートの着こなし」たるもの自体がなくなってしまうんじゃないかと思います。 ここだけ見れば仰る通りだとは思いますが、仰りたい意図が私にはよくわかりません。 最初から、「衣服に男女の区別があるので、男性的なスカートの着こなしというものがある」という話をしているので。 民族衣装までさかのぼって新たにつくることになんの意義も見いだせません。 それに、西洋の衣服だけのことを仰っているんですか?明治維新を境に和服をほぼ捨てて洋服ときっぱり分けて捉えるようになった日本の現代の衣服を仰っているんですか? 現在の衣服のおおもとには過去の衣服の変遷があるので、現代の洋服は一切合切過去の民族衣装を忘れたわけではありません。 また過去の衣服が分かれた理由である身分や階層制度、男尊女卑思想などもまだ全く変わったわけではありません。 「現代の衣服は過去の民族衣装を忘れてはいない」からこそ、「男性は完全に女性だけのものになってしまったスカートをそのまま着ることができない」のだと思いますが…。 >性差別に対しては、「上下」という区分けで語るのは今は不向きなんじゃないかと思います。 これは今でも上下です。 大昔でも、男尊女卑で男女両性が損をすることもあれば得をする面があります。専業主婦が女性を束縛する目的だったとしても、迎合しきって逆に自分の得にした女性も個人で見ればいたわけです。 男尊女卑が秩序になればなおさらです。特に女性は上昇欲が男性ほどないので、ある程度が担保されていれば身分が下でも甘んじる傾向が強いです。 ただ仰るように、差別による上下というものは以前ほどではありません。ここ10年は特に。 だからこそ、ここ10年で「男性が女性のものとされているスカートを履くことができる」ようになったのだと思いますが…。 質問者さんが >服飾に関して言えば、女性が男性よりも下というのは絶対にないと思います。 と捉えられるのもこのためです。以前は女性差別の現れであったものが、差別性が少なくなったことで、逆にファッション性においてより高い自由があると見なすことができるようになりました。 歴史の流れに合わせて人の衣装は変遷してきました。 現在のスカート男子は、明らかにその歴史の流れの上に現れたものです。 ただし、女性の衣服が「男の目を愉しませる」という視点は忘れられていませんが。 女性の方が服飾の選択肢が多いのは現代の若い男性なら強く実感されていることだと思います。女性は服飾市場の主な顧客で、女性向けはより細分化されています。 それを、質問者さんは自由としか捉えていませんが、ファッションヴィクティムという単語もご存じのはずですから、この捉え方は非常に一面的です。 女性は今でも男性の目を愉しませるために着飾らない、という自由は男性よりもないのです。 ファッションフロアでレディースが多いのは、それだけ女性に対して着飾れ、そうでなければ(男性にとって)価値のある女ではない、というプレッシャーが大きいからでもあるんです。 男児はブルマを選べないのではない、女児だけがブルマを着なくてはならない理由があったのです。 なので、 >服飾に関して言えば~ これは否定されます。服飾だけ別になるわけがありません。男女の区別が衣服でも区別を作り、現在でもその「男と女は違う」が残っているのならば、現在でも男女の衣服の区別はその感情が規定しているのです。 最後に書かれている事件についてはわかりません。 単に女性を敵視しすぎなんじゃないのって気もしますし…。異性と同性なら態度が違う人は少なくありませんが、どっちにしても他人事であるほうが人は大事と思わないので、女性の方がスカート男子に対しては許容度が高いと思いますけど。 いくつかの調査やアンケートを見ても「いいんじゃない?」というのは女性の方でしたよ。 男性は、即「自分の男性性を揺るがそうとしている」と投影する人が多いためか、否定的になるんでしょう。 ただ、現実の場で同性である男性に向かって攻撃的になるかというと、疑問です。だから質問者さんのような経験になるんじゃないでしょうか。 あと都市部と地方の違い。質問者さんのお住まいは都市部じゃないですか?田舎でやったら、年配の男性が一番注意してくると思いますよ。

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質問者

お礼

ありがとうございます。 >質問者さんのこと無視しすぎました。ごめんなさい。 お気に為さらず。 人によっては文が長い事を批判する人もいますが、僕はむしろ詳細まで徹底的に知りたい方なので、長めの文であっても抵抗はありません。 >ただ、質問者はスカートを「すばらしいもの」と表現されていますが、実際には逆だったわけです。 構造的にいうとズボンの方が複雑ですね。 ズボンはお尻や前のダーツもあるので、型紙が全くない状態で作るのは殆ど不可能ですけど、スカートはメジャーとチャコがあれば空でも作れてしまいますね。 更に言うとスカートにプリーツまでつけると布が莫大な長さになるので、むしろ型紙を作る方が無理があるので、紙上で計算して布をカットしてチャコでプリーツの長さごとに縁に印をつけてしまい、先にパタパタ折って縫ってしまって作る方が多いですね。 男性用(男性向け)のスカートにせよ、質問文に挙げた様なチュニックにせよ、普通に入手するのは殆ど不可能なので、ミシン使用して自作している身なので分かりますよ。 しかしながら、作りが複雑だったり、多機能だったりする物が良いかというとケースバイケースだと思います。 >「(ある程度の地位の)男性だけがズボンを履ける」だったのです。 ここにも関わって来るんですけど、だったら常に上位の物ばかりが良いかというとそんな事もなく、シャネルのスーツがどんな時でもユニクロのジーパンより良いのかというと、違いますよね。 スティーブ・ジョブズは大富豪ですけど、シャネルのスーツではなくてジーパンと黒いTシャツですよね。 そんな理由から、僕は「スカート」を推しており、素晴らしいと感じています。 >というのは、どのあたりが出所不明なのですか? これに関しては、「今のよく見るスカート男子が着用しているスカートの原点」についてですね。 メンズリブ運動などの文化的なことについてではなく、あくまであの穿きこなしの「形」についてです。 何を参考にしたのかな?と思っています。 僕の場合だと、文化的な面でいうと事情は色々ありますが(Twitterでジェンダーフリー関係の人や、フェミニスト、マスキュリスト関係の方を一部フォローしていますし、それ以外の理由もあります)、あくまで形だけに絞れば古代ギリシャやローマ時代の戦士とか、あるいは質問文に挙げたゲームやアニメのキャラクターだったりとか、そういうのを参考にしています。 >現在の衣服のおおもとには過去の衣服の変遷があるので、現代の洋服は一切合切過去の民族衣装を忘れたわけではありません 確かに本来はそう思うんですけど、今の女性のスカートと、かつてのスカート型の民族衣装は繋がってないんですよね? >ファッションヴィクティム 確かにこれはそうですね。 ただ、これは逆もあると思います。 男性は女性以上に「着飾っちゃいけない」というのは当たらないのでしょうか? 私服としては緩くなりましたが、そうじゃない所ではまだまだそうですよね。 また暑苦しくても襟付きの服を着てネクタイを締めなきゃいけない、そうじゃないと一人前の人間と看做されない、というのも何がしらの「ファション・ヴィクティム」には当たらないのかな?と思いますがどうでしょう? 特に男性が対象のファッションを扱ったメディアとかでは、しきりに「女性からのイメージ」を殊更にうるさく言います。 ファッションや髪型などで男性の間でこれが流行ってる、というと、当の男性からの印象やコメントは殆ど聞かず、女性の意見ばっかり聞いてああだのこうだの言うテレビ番組をよく目にします。 で、往々にして元々ださいファッションは蹴り、かといってちょっとユニークだけど美麗なファッションも蹴る。 そうなると無難な物しか残らない、という図式が毎度のことだなと感じます。 いちいち女性の目を気にしないと男性は服選びができない、という煽り方がどうにもしっくり来ません。 どうにも男性のファッションって、社会や女性の目で選ばされていて、自分を高める為やアイデンティティに従って、ではない感じがします。 かつて放送されていた「ひみつの嵐ちゃん」の「マネキンファイブ」というコーナー、折角嵐の皆が結構面白いファッションを考えて来ても、女性審査員があら探しをしてはぼろくそにけなすし、特に「これはいいな、着てみたいな」なファッションでも、「その格好で横に立たれるとああだ、こうだ」と難癖をとやかくつけて、結局無難だがダサくもない、みたいな面白くないのだけが先に売れて行き、ユニークで面白いのは毎回売れ残る、みたいな演出が多く、嵐の出て来るバラエティのコーナーの中ではどうしても好きになれないコーナーでした。 まあ、女性の場合もあなたがおっしゃる通り色々ある様ですが、男性も社会や女性にがんじがらめな印象を感じます。 >最後に書かれている事件についてはわかりません。 えっと大して重要でもないと思っていたので割愛していたのですが簡単にお話しますね。 結構昔の事ですがスカート男子で買い物に行った時なんですが、店の保安員にメチャクチャなことを言われたんですよ。 いきなり「下にパンツを穿いてないだろ」と喧嘩を吹っかけられました。 事実と異なる上に名誉毀損もいいとこでしたが、そこで喧嘩を買っても相手が主張を曲げるとも思えないので、一日後に家族を通じて電話を掛けて抗議を入れたんです。 そしたら当人曰く、事の発端が「女性客」である事が発覚したのです。 勿論その保安員は男性なんですが、この女性客がいい加減な事を言わなきゃトラブルにはならなかった訳なんですよね。 なぜって僕の事はたくさんの店舗関係者に目撃されていますし、その後もその店ではないけど、同じとこが経営している別の店に出入りしていますけど、店側から直接何も言われていなかったし、店自体は容認していたと思います。 結局はその女性客が問題だったと考えられます。 男性の場合は、スカート男子を直接ディスる奴はたびたび居ますけど、そういうのは大半は下手に関わらずにほっとけばいいですし、絡んで来るなら「シッシッ」と追い払えばいいんでしょうけど、こういう「無視、威嚇、仕返しの通用しないどうしようもない立場の人」を引っ張りだして来るのは女性の方が多いと感じます。 相手がマジになるとやり返しがしにくい相手に感じます。 他のスカート男子さんも、実質的には男性よりも女性のリアクションに悩まされる方を聞きますよ。 無視で済む小さなトラブルは男性の方が多いけど、無視で済まず実害が伴う大きなトラブルは多くはない代わりに女性だと。 なお僕の住んでるところは福岡市内ですね。 問題のあったところはやや郊外地域ですが。

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.4

現代社会において「スカートは女性の自由の象徴」だからではないでしょうか。 男女の服装は分けるという社会通念がある、というのはその通りであると思います。 逆に、西欧化した社会においてスカートは女性だけのものである、というのはイギリスのキルトが完全に男性スカートであることを考えると同意できません。 また日本においては、男性も女性も和服を着ていたわけですから、袴以外は又に切れ目が無いスカート状の服装だったともいえます。浴衣などを着ても分かりますが、湿気の多い日本では快適な服装といえ、気候の似ているイギリスのキルトと同様の工夫を感じるところでもあります。 さて、この問題については、伝統的なことよりも、現代に流通している女性の服装はどこから来ているのか、を考えたほうがすっきりすると思います。 まず重要なのは「ミニスカート」を含めた今のスカートは完全に現代のものである、ということです。日本を含めて西洋でも(イスラムはいまだに)女性は男性に比べて「華美で肌を露出してはならない」というのが服装の決まりでありました。女性に対する様々な文化での「男のような服装をするな」というのは、肌を晒すことが一番の禁忌だったからです。 そのあたりの事情が変化したのが、2度の大戦の前後であり、動きとしては女性解放運動のことになります。 日本人の多くは「女性解放運動」というと、単に男女同権と考えがちですが、西洋ではそれ以前に「男性だけが持っている相続権などのさまざまな権利の女性への開放」が重要でした。つまり、当時の女性は自分に財産権などがないため、自分の力で生きていくというのが非常に困難だったのです。これが2度の大戦などで男性が少なくなり、女性の社会進出を促したこと、未亡人が増えすぎて社会的な保障が必要になったこと、などで女性にも男性と同等の権利を与えるようになっていったのですが、同時に義務も持つことになります。つまり「男性と同様に仕事ができることを証明せよ」ということです。 ここで困ったのが服装です。それまでは肌を晒さずでも優美であるために、それこそコルセットとドレスが一般的な女性の服装だったからです。 これを打ち破り、女性用としてエレガントでありながら機能性を充実した服を最初に開発したのは、ココ・シャネルであるといわれています。第一次世界大戦の中での出来事です。 ここに現代につながる女性服の原型が生まれます。シャープで体の線を大切にしながら、スカートは機能的な長さであること、シャネルスーツの誕生であり「スカートを膝丈にすることで機能性を獲得した」ということです。 これが現代のスカート原型であり、スカート丈についてはミニスカートが登場するまでが進化の歴史なのですが、この「スカートの丈」は常に女性解放のメルクマールであり、特にミニスカートについては女性性の解放のシンボルともなっていったのです。 これでお分かりだと思いますが、なぜ現代においてスカートが「女性のもの」であるかというと、それは「女性の自由を体現している象徴だから」です。特にミニスカートは「女性の精神の(性の)自由の象徴」であるといえます。 面白いことにスカート丈論争が行き着いた1970年代初頭はウーマンリブ運動が最高潮だった時代でもあり、その後は男女同権が定着していく流れに変化していきます。 逆をいえば、男性にスカートが解放されたのは「男女同権」の流れの中で「男のほうがジェンダーに縛られている」と男性解放運動が出てきたことに由来しています。 ジェンダー論と服装が一体となって女性解放が進んだことを受けて、男性開放運動も一定のレベルで服装の議論が行われました。そこにでてきたのが「女性解放のシンボルであるスカート」の男性への開放であり、少しずつ少しずつ取り入れられてきているといえます。 実際にメンズ・スカートが現れたのは1980年代から90年代にかけての頃で、この頃は女装とは違う意味で「ユニ・セックス」な流れが生まれ、ボーイジョージなどの男性なのに女性的なファッション(後のIZAMなど)や、男性の頭髪が長髪化していく流れが顕著になりました。男性化粧品が生まれたのもこの頃です。 ただこの流れでいくと「男性がスカートを履く事」に意味は見出せても、「男性がミニスカートを履く事」にはあまり意味は見出せないわけです。 なぜなら女性が「解放」の意味を伴うように、肌を露出する膝丈のスカートを選んだような意味は男性にはそもそも無いからです。男性は昔からどれだけ肌を晒してもそこになんの意味も価値もなかったからです。 しかしまだまだ「スカートを男子が履く事」自体が一般化しているとはいえません。たとえば「クールビズで男性もスカートを履こう」などの意味が見出せるようになれば「夏はスカート」が一般的になるかもしれません。 でもそのような社会的通念が出来上がらない以上はスカート男子自体が少数派のおしゃれでしかないでしょうし、その中にミニが取り入れられるためには「おしゃれ革命」を起こせる天才が必要になるでしょう。 ま、私の世代からすれば、パンツが見えるまでズボンをずり下げること自体が理解不能で(経緯は知っています)、しかも広く受け入れられたのが信じられないぐらいですから、後20年もすればスカート男子も普通になっているかもしれませんよ。

GreenLink
質問者

お礼

ありがとうございます。 一見、形を見る限りだと流れが「連続して見える」服が、「実は不連続である」ということがあるのですね。 スカートの流れというのは、形が同じであっても、昔からのチュニックやドレス、腰布の現代版という訳でもないのですね。 なんとなくスカートの成立の経緯というのは分かって来ました。 一つ目の疑問というのはなんとなく大体分かって来たかなと思います。 しかし、女性の「自由の象徴」というのと、前の方がおっしゃった「女性を低いものとしてみる象徴」という、相反するものが一緒くたに入っているのはちょっと不思議なもんですね。 女性の自由の象徴的な意味合いがあるから、男性の利用は控えて欲しい、なのか、それとも男尊女卑の視点から言う、女性の様な格好をする男性は卑しいので控えて欲しい、という考えなのか、どっちなんでしょうね。 最近はそんな事は減りましたけど、一昔前までは特に、男のスカートという物を能動的に潰そうとする危険な人も男女問わず居た訳であの時代は危険だったなと思っています。 かつて自分も一度、とんでもない事件に巻き込まれた訳で、あの時のことは忘れられませんね。 あと、二番目の「スカート男子の発祥」というのもなんとなくその部分は分かりましたが、ちょっと気になるのがそのスカートファッションの「形」の方の面。 そちらの方の発祥はどこなのかな?と思ったりします。 つまりは、どういうものを参考にして作ったのか?ということです。 黒い長めのロングスカートっぽいのや、ズボンの上にスカートを穿くようなのはしばし目にするのですけど、あれの発祥が気になる所ですね。 自分の場合は形自体の出所、参照元は質問文に書いた通り「ギリシャやローマの民族衣装やそれを模した男性用ミニスカ型衣装」なので、全然表現も形も違いますので。 腰パン…それはあなたのおっしゃること分かります。 僕も成立の経緯を聞いた事がありますが、見た目は兎も角、あんまりよろしくない経緯から始まってるみたいですね。 そのせいで外国の一部地域では、腰パン禁止令が出た所もあるとか。 ちょうど日本では、刺青というとヤクザを連想させることから、ヤクザと全く無関係の人でも、刺青を入れた人はお断りするというのと似た意味合いから。 でもあれは普通に広まってる訳で、少なくともスカート男子に関してはそれ以上に悪いイメージは無いと思うだけに、広まってもおかしくないとは思うんですけどね。 一体なんの違いかなーと思っています。 腰パンなんてなぜ広まったんでしょうね。

noname#209756
noname#209756
回答No.2

現在のスカート男子は定着しないと思います。というのはただジェンダーレス的感覚だけなので。 あまり用語は詳しくないですが、ファッド的かもしれないですね。 そうではなく、男性の衣装が装飾的から近代でシンプル化して、また情報化時代で創造性も大事にされている流れで男性もファッションに力を入れてきている感じかと。 日本も平安時代(前期は中国の影響、貴族社会?)と江戸時代(武士社会で鎖国、儒学など影響している)ではかなり服装も違いますが、明治から洋装になってます。 欧米志向ですが、昔は唐物尊重という言葉がありました。ようはその文化の価値があるもの、尊敬されているものというのは入っています。 文化は世界の最先端からの伝播、奇異なものなど物まねと保守的な今までの慣習との2つの軸でなりたっていると思います。 今のスカートはどちらかいうと物まねでなく独創性、主流とは違うのではないかというところでかなり小さなものとして消える可能性も大きいかと思います。 真に流れを見ようと思えば、日本の服装史、なぜいまが洋装なのかや、あるいは欧米の近代で男性がシンプル化した流れをしっかりおさえてみるとこれからどうなるか、あるいは小さな個人の努力であってもどうしていけばいいかなどわかるかもしれません。 素人ですが、男性のシルエットですが変化がなく、女性の方がくびれなどいろいろな表現をしやすいように思えます。

GreenLink
質問者

お礼

ありがとうございます。 >素人ですが、男性のシルエットですが変化がなく、女性の方がくびれなどいろいろな表現をしやすいように思えます。 これは確かにそうですね。 >現在のスカート男子 これはどういうくくりでのスカート男子のことでしょうか? 他の事に関しては大体わかりました。

noname#209756
noname#209756
回答No.1

伝統、その国の価値というのは歪んだ部分を持つものです。 私の感覚でしかないのかもしれないですが、男性の服のシルエットって女性より難しいのだと思ってます。 おっしゃる通りで、男性のスカート的な衣類はすっきりと見せる一つの手法だと思います。 東南アジアなど巻きスカートがしっくりくるように思えます。 近代の男性はシンプルにしようという流れがそれも枠組みにすぎないのに長くたった今もそれを守らないといけないかは確かに疑問かと思います。 メンズスカートをはく動機として性的倒錯や興奮、もしくはただ変える、バリエーションを増やすことが目的だとおかしくなると思ってます。動機がジェンダーレスやフェミニズムでもおかしいと思います。 やはり同じアイテムでの今のスカートは女性を想定した商品が並んでますので、男性用にアイデアを具現化して商品化することが大事かと思います。あまりカラフルでひらひらな感じだとやはり女性の雰囲気かと思います。 ジェンダーをどこでとらえるかは進歩的な目で見るか保守的な目で見るかだと思いますが、あまり違和感のあるものってやはりあるとは思いますので。

GreenLink
質問者

お礼

ありがとうございます。 >男性の服のシルエットって女性より難しいのだと思ってます。 それはどういう理由ででしょうか? >男性用にアイデアを具現化して商品化することが大事かと思います。 ここなんでしょうね。 恐らくスカート男子=女装と決めつけちゃう人は、今街中に出回ってるレディスのスカートに安易に男性を重ねてイメージしているような気もします。 これ自体僕の憶測なので正しいかどうか分かりませんけど、どうなんでしょうか? あと確かに男性用のスカートを売るというのも手ですけど、個人で売るのは難しい気もするので悩みどころですね。 家庭用ミシンは工業用ミシンのようにはしっかりとはどうしてもできず、数カ所粗が出るのは致し方ないところがあります。 それに原価も業者さんだと、一般の人が手芸屋さんで布を買うのに比べたら1/10程度の値段で買えてしまうのでしょうし(さもないと損益分岐点を計算すると割が合わないのはすぐに分かる事でしょう)、それがコストに跳ね返って来るとなるとなかなか難しい気がします。 かといって大手はより保守的な考えを持っていることが多く、正に「売れ筋」しか扱わない傾向がありますからね。 ファッションに限らず、車だって今の車はトールワゴンばかりで、クーペやセダンがとても少なくなっています。 ゲームソフトも黙々とプレイを楽しむゲームに比べると、恋愛要素やエロ要素をウリにしたものや、やることが同じことの繰り返し的なソーシャルゲームみたいなのばかりが次々と発売されています。 それ以外の需要がない訳じゃないんでしょうけど、売れ筋から外れるからいわゆる「隙間産業」になってしまっている気がします。 いわゆるやっとスカート男子といえる物が出て来ても、型にはまったようなのばかりであれっ!?と思うところが多いですね。 なんでかなと思っています。

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