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男性とスカートの関係についての疑問
- 男子がスカートを穿かない理由や現代において男性がスカートを穿かないことが不思議である。
- 男性がスカートを穿いた場合に、変質者として扱われることがあるが、この扱いが適切でないと考える。
- スカートは元々男女両方が着る衣服であり、スコットランドのキルトや日本の和服などで男性がスカートを穿くことがあった。
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衣服というのは実用以外にも、その人の立場や身分や社会での役目を表す「衣装」であるという機能を持っています。 つまり知らない人を見る場合に、その人の職業等を象徴している服を見て判断するわけです。何かを演じる場合「装う」と言いますけれどその役を表す衣装を着て社会を演じているわけです。 その約束事は合理主義からとは限らず、風習とか伝統とかで決まっているわけですが、現代ではヨーロッパ主導というか単純化単一化という傾向があるのではないでしょうか。 民族独特の衣服体系が死滅しつつあり、過去のあるスタイルのまま保存されるものでしかなくなってしまっているからそのスタイルを元にした今日的発展形態などというのには思いが至らないわけです。 ふんどしが正装であった部族が文明化されてパンツを履いているようなものです。お祭り以外でふんどしで歩くのは恥ずかしい事になってしまったわけです。 世界の社会や経済が今ひとつのスタイル・世界体制に呑み込まれて行っている事と無縁ではないでしょう。 そういうわけで今日男子がスカートを穿くというのは合理主義を理由としていてもそういうふうには受け取られないという状況だと思われます。花森安治は日本の敗戦を契機にして合理主義の見地から男もスカートを取り入れるべきではないかという主張でスカートを穿いて仕事をしていたそうですが、そのような行為は実はそれまでの価値観に対する疑いを、無意識か意識的かはわかりませんが、表現するものであったろうと、今からは考えられるのです。 というわけで「変質者」という非難に対して単に美観から、合理主義からという反論を用意していたとしてもそこには敢えてその非難を受けるという挑戦が含まれている事は否定できないんではないかと考える次第です。 また非難する側にもスカートそのものよりもそのような挑戦に対する反動・反発というのは充分意識されているわけです。 しかしながらそのような文化的な反乱というのは実際の社会的反乱とは必ずしも一致しない、もっと微妙でねじれた様相もあって複雑です。
お礼
ありがとうございます。 単一化、服に対してもかなり進められてしまっている感じがしますね。