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モーツァルトは何故いろいろな国に行ったのですか?

最近、NHKの名曲アルバムを録画してよく見ています。 だけど、私はクラッシクのことは詳しくないです。 モーツァルトの曲が名曲アルバムによく出てくるのですが、曲とともに画面に出てくるスーパー読むとウィーンとかパリとかミラノとか曲によってつくった場所が違います。 モーツァルトは何故いろいろな国に行ったのでしょうか? すみませんが、お教えくださいますようお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.4

モーツアルトの時代は、音楽家はサルのような見世物でした。 作曲家として知られていますが、その時代は、自分で自作して披露するのが一般的で、俗にいう「芸人」でした。 現在でもありますよね。 そういう自作自演の曲を披露するストリートみーじゅシャンが。 モーツアルトの時代はそういう、音楽は貴族の道楽でした。 ですから、多芸な芸人を集めて、自分勝手に金のために作曲させて、曲芸のような演奏をさせたのです。 たまたま、彼は、音楽の天分に恵まれ、極めて優れた能力を発揮しましたが、人格は、書かれた音楽とはほどとおく、そうとう下品な人格のようだったようです。 かなり卑猥な歌詞に曲をつけたり、才覚があったために、貴族に認められ、かねもある程度はあったので、かなり、傲慢な生活態度でもあったようです。 また、この時代は、音楽はイタリアが本場でした。 ドイツ語の音楽はほとんど田舎扱いの時代で、貴族には認められませんでしたが、モーツァルトの才覚から、ドイツ語のオペラなどを、彼は作曲するようになったのです。 この当時はドイツは音楽で認めれることはなかったのですが、モーツアルトがその縁を作ったのは事実です。 ただ、ただ貴族の道楽で、金のために作曲したことから、モーツァルトの歌劇などは、筋書きがむちゃくゃで、なんで、こういう筋書きに音楽を付けたのか首をかしげるようなのが多々あります。 フィガロの結婚にしろ、イタリア語のオペラですが、俗にいう破廉恥な筋書きです。 破廉恥といえば、ドンジョバンニも、かなり常識からいつだつした破廉恥なストーリです。 コシファントッテも、おかしな筋書きのオペラです。 晩期の名作、魔笛などは、ドイツ語のオペラですが、筋書きがむちゃくちゃで、天上の調べに反して、なんで、筋書きがこれほどむちゃくちゃなのかと思います。 モーツアルトは、音楽に対しては、かなり非凡でした。 ピアノ曲などはやまほど残していますが、おそらくもこれほどの美しい調べを書く作曲家は二度と出ないような気がします。 多くの交響曲もそうですし、いろいろな協奏曲や、歌曲など、よくこれだけ書いたものだと、驚くと同時に、すべてが、この世のものと思えないぐらい美しい調べです。 話がそれましたが、日本語単独の「日本」と異なり、ヨーロッパは陸続きなので、数か国語がわかる人は珍しくありません。 ドイツとここでは書きましたが、この時代は、国の識別などはあゃふやで「ドイツ語圏」と言ったほうが適切です。 現在のように、オーストリアと、ドイツなどがきちんと識別できるような情勢ではありませんでした。 まあ、わたしもヨーロッパ人とはいろいろ付き合いましたが、クラシックの話になると、みなさん、緊張した顔で「できれば、そういう話はしないでくれ」という態度が顕著でした。 たぶん、西洋人が、日本にきて、雅楽や歌舞伎、狂言や能などの話をすると、ついていけなくなるので、話がしたくなるのと同じでしょう。 わたしの妻は英国人ですが、オペラを聞いているとよく言われますよ。 「ドイツ語もイタリア語もわからないのに、なんでそんなものを聞くのか?」と変人扱いです。 「そういえば、イギリスには、ヘンデルがいただろう」などというと、妻の両親を含めて、ストレス状態になります。  日本人は、クラシック好きの人が多いですが、ヨーロッパでは、変人扱いにされます。 とくに、アジア人が、西洋の古典音楽を楽しむことが理解できないのでしょう。 なにしろ、彼らにとっては、退屈極まりない、古典芸能、古典音楽ですから。

miranosoba
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 モーツァルトの時代は、音楽は貴族の道楽だったのですね。 モーツァルトが下品な人格とは、あのきれいな曲からは想像できません。 わからないものだなと思いました。 ヨーロッパは陸続きなので、数か国語がわかる人は珍しくないのですね。 モーツァルトがあちこちの国に行って、言葉はどうしたのかなと思っていました。 私はオペラのことは全然知らなくて、タイトルとそのオペラの有名な部分くらいしか聞いたことがないのですが、内容も文学的に優れたものだと思っていました。そうではないのですね。 あと、ヨーロッパの人はクラシックにみんな親しんでいるのだとばかり思っていました。 私が日本の雅楽や能や歌舞伎などの古典芸能に詳しくないのと同じなのですね。 私は欧米の人とほとんど、話したことがありませんが、日本の古典芸能のことを聞かれたら一言も話ができないと思います。 いろいろお教えいただき助かりました。 心から感謝いたします。

その他の回答 (3)

  • takeup
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回答No.3

当時は、現代のようなテレビやラジオといった媒体が無く、例えばオペラの作曲で成功しようとするにはイタリアとかウィーンに行く必要がありました。 その地には音楽好きの皇帝や王妃が居て、そういった貴族のお気に入りになって召し抱えられろことが音楽家としての成功の道だったのです。

miranosoba
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 モーツァルトが作曲したオペラで成功するにはイタリアやウィーンに行く必要があったのですね。 音楽好きの皇帝や王妃、貴族に気に入られて召し抱えられることが成功の道だったのですね。 いろいろお教えいただきありがとうございます。

  • zkxzm4kz
  • ベストアンサー率11% (601/5075)
回答No.2

興行ということでしょう、 幼少期から天才児として有名だったため 父親があちこちに連れ回してそこで金持ちの家(邸宅)で こんな小さな子がこんなに上手にひけるんですよ、こんなにきれいな音楽を、と ばかりに見世物っぽくやったわけです。 当然ハプスブルグ家へも出入りしていたので、幼少期のマリーアントアネットと会ったことがある というのもあながちウソではないような気がします。

miranosoba
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 父親があちこちのお金持ちの邸宅で興行していたのですね。 いろいろお教えいただき、ありがとうございました。

  • heisenberg
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回答No.1

>>◇モーツァルトは何故いろいろな国に行ったのでしょうか? 一つの理由は、就活ですね。 当時の音楽家は、基本的に、王侯貴族に召し抱えられることで生計を保障してもらっていたので、そういう相手を探していたのです。 コンサートなどで生活費を稼ぎだすようになるのは、ベートーヴェン以降です。 もっとも、それが本格的になるのは、もっと後の時代ですが・・・。

miranosoba
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 モーツァルトの時代の音楽家は王侯貴族に召し抱えられることで、生計を保障してもらっていたのですね。 モーツァルトは生計を保障してもらえる人を探して、旅をしていたのですね。就活だとは知りませんでした。 いろいろお教えいただき助かりました。 心から感謝いたします。

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