• 締切済み

クリスチャンの方、教えてください。

集団的自衛権行使について、キリストの子である方は、どのような意見をお持ちですか? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~マタイ5章38節ー42節 『目には目で、歯には歯で』と言われたのを、あなたがたは聞いています。 しかし、あなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。 あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。 あなたに1ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに2ミリオン行きなさい。 求める者には与え、借りようとする者は断らないようにしなさい。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 『国を護る』ことと、『国民を護る』ことは違う意味を持つと思います。 国を護るために、国民の命を差し出すことが善いこととは思えません。 国よりも人間の命が尊いと思うからです。 何か問題があって武力行使されたら、こちら側が武力を行使して、何が生まれるのでしょうか。 もし仮に、究極的なことですが、 神様の御心ならば、この国を侵略されても、武力を行使するくらいでしたら、離散することも、甘んじて受けます。 イスラエルも離散しましたが、悔い改めによって再建国されました。 神様が日本を『悔い改めなければならない』とお思いでしたら、御心に従います。 武力行使によって生まれるものは、『恨み、妬み、のろい、死』と思います。 クリスチャンの皆様は、どのような意見をお持ちですか?教えてください。

みんなの回答

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.11

>私の学んだ神学に基づいてお話をさせて頂きました。 貴方の妄信している偶像に基づいて、自身を同化させて発言しただけです。 >回答者様という人間を否定しません。 仏教を否定します。 仏教の否定はご自由に。 但し、理解をした上で発言するべきです。 私は基督教も理解した上で、「否定しない」と発言しています。 ちなみに貴方は聞き逃しているのか知りませんが、私は宗派は無い旨も発言しております。 そこいら辺りも理解出来ます? 私の何処を否定しようがあるのでしょう? 私はどの宗派の台詞も何一つ口にしてはいません。 だからこそ貴方は私に基督教徒かと尋ねたりもしたのです。 私の発言は「神」の意に沿ったモノだけしかしていませんよ。 少し読み返してみると良いです。

cheory
質問者

お礼

ありがとうございます。 『貴方の妄信している偶像に、自身を同化させて発言しただけです。』 私と神様の約束です。偶像との約束はしておりません。 『私の何処を否定しようがあるのでしょう?』 前回も申しましたが、回答者様という人間を否定しておりません。 仏教を否定しています。 キリストの神を信じなければ、救いが無いからです。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.10

>回答者様の仰るとおり、人間が予見、予想することは、許されないと思います。 此れがユダヤ・基督・回教の基本ロジックになっています。 但し、此れが正解かどうかも実は神は示して等はいません。 >艱難の時代にあって、警告を発することは必要だと思います。 其れ等を行うのは神のみと定められています。 若しくはカソリック的には聖職者。 基督教の教義では悩みも苦しみも、神に全て捧げる事を要求しています。 貴方が訴える内容は、カテではなく神に投げかけるべき物なのです。 ・・あくまで、貴方の所属する所の言い分では・・・ 貴方の発言は、貴方自身の正当性を神の名の元に行わんとする行為なのです。 貴方が発言したいのならば、神の名は必要ありません。 神の名を刻む心積もりならば、全てを投げ出す事のみを訴えなければなりません。 神に寄り添う自分と偶像の神を都合良く重ねているだけなのですよ。 まぁ、貴方の考えから出た言葉か、吹き込まれて出た言葉かは知りませんが。(想像は付きますが) 重ねて言います。 私は基督教を否定する者ではありません。 続けて言葉を紡ぎましょう。 私は否定していない、では私を否定する者がいた場合は、何に因って、否定をしているのか。

cheory
質問者

お礼

ありがとうございます。 『神に寄り添う自分と偶像の神を都合良く重ねているだけなのですよ。 まぁ、貴方の考えから出た言葉か、吹き込まれて出た言葉かは知りませんが。(想像は付きますが)』 私の学んだ神学に基づいてお話をさせて頂きました。 『では私を否定する者がいた場合は、何に因って、否定をしているのか。』 回答者様という人間を否定しません。 仏教を否定します。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.9

>偶像礼拝をご存じですか? 貴方の様なタイプの人間が陥っている信仰の形です。 >私が似非キリシタンならば、恐れながら神様は私に罰を下されると思います。 それは偶像がする事です。 >この質問コーナーで私がいつ、キリストを利用したのでしょうか。 また、私がいつ、人を利用したのでしょうか。 >神様の御心ならば、この国を侵略されても、武力を行使するくらいでしたら、離散することも、甘んじて受けます。 神の御心を計って、自分の意見を標榜しています。 神の名を騙る行為です。 偶像を崇拝しています。 現実にどの様な裁断が下ろうとも受け入れるのが、「今の」基督教の教えです。 事前に未来を予見・予想するのは人間には許されていない教義に成ってしまっています。(出来る出来ないではないです) 何度も言います。 私は基督教を否定する者ではありません。

cheory
質問者

お礼

ありがとうございます。 『事前に未来を予見・予想は人間には許されていない教義に成ってしまっています。(出来る出来ないではないです)』 黙示録を見ますと、神の軍勢が悪の軍勢を滅ぼし、現在の天地は滅び行く、と読み取ることが出来ます。 回答者様の仰るとおり、人間が予見、予想することは、許されないと思います。 しかし、預言は生きています。 そして、現在も進行形です。 艱難の時代にあって、警告を発することは必要だと思います。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.8

私は仏教徒を名乗っています。 しかし先にも言った様に基督教を否定する者ではありません。 否定するのは「利用」をする者です。 それは「人間」を利用し、ひいては「自分」を「利する」行為だからです。 ちなみに仏教徒とは名乗りますが、宗派は名乗りません。 真髄に宗派も他宗も必要無いからです。

cheory
質問者

お礼

ありがとうございます。 私は神様の『はしため』ですので、神様を利用することはできません。 偶像礼拝をご存じですか? 偶像礼拝は、神様の上に主権を持たせる行為です。 神様を利用し、私が主権を握ろうとすれば、神様は私のことを罰せられることと思います。 私が似非キリシタンならば、恐れながら神様は私に罰を下されると思います。 回答者様に伺いたいのですが、 この質問コーナーで私がいつ、キリストを利用したのでしょうか。 また、私がいつ、人を利用したのでしょうか。 教えてください。

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.7

>似非、と仰るのは私のことですよね。 私が似非でも、キリシタンが似非ではありません。 私は基督教の真髄を否定する者ではありません。 ただ、利用する者を卑しむ者です。 自分の都合で聖書を読む事は、唯、災いを招く行為だからです。

cheory
質問者

お礼

ご忠告をありがとうございます。 回答者様はキリスト教の方でしょうか? 先日、詩篇73章のアサフの賛歌を学びました。 神に誇り高ぶる者と、神の御前で平伏すもの、が出てくる詩です。 両極端に居ながら、この二人の性質を一人の人間がもっている、という感想を抱きました。 とても興味深い詩ですね。 今一度、この詩の深さに感銘を受けています。 きっかけをくださったのは、回答者様です。 ありがとうございました(^_^)

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.6

>国よりも人間の命が尊いと思うからです。 >もし仮に、究極的なことですが、神様の御心ならば、この国を侵略されても、武力を行使するくらいでしたら、離散することも、甘んじて受けます。 神が生贄を求めた。 その生贄は敵国人。 さぁ、屠ろう、神の意のままに。 自分の命や財産を軽んじる考えは相手の存在を軽んじているのと同等。 薄っぺらい。 どちらも大事な命の筈なのに、何故に日本の命だけが安売りされる? 似非キリシタン。

cheory
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます(^_^) 自分の命は尊いものです。 敵の命も尊いものです。 自分の財産は尊いものです。 相手の財産も尊いものです。 似非、と仰るのは私のことですよね。 私が似非でも、キリシタンが似非ではありません。 回答者さまに、幸があることを祈ります。

  • ssssan
  • ベストアンサー率18% (132/730)
回答No.5

ここ5.600年の今現在の混沌カオスはキリスト.ユダヤ教が原因ですねー殆ど全て。 日本に来た宣教師も後から来る侵略軍の露払いで軍の道先案内人の先兵デシタシ、現代の北トンスルと同じ様に人さらい.拉致してて欧米から南米迄売り飛ばしの人身売買の記録有りますからー太閤秀吉が怒っていんちき宣教師禁止令出したのは当たり前です。 その秀吉の主君信長公にも直々の家来に黒人が居ましたねー宣教師が同行させてた黒人奴隷を買った人が本能寺の変で同じく散りましたが日本人と結婚して子供居たようですので現在もその血筋は途絶えて無いと思います。 と言うかユダヤ教キリスト教何て害しかでトンデモ宗教てすねー、東南アジアでも回教は通商保護で東南アジアへーーキリスト教徒は日本も狙われましたが東南アジアへは先兵の露払い宣教師の後に軍が侵攻侵略して植民地、その解放を大東亜戦時に日本軍が解放のキッカッケを作ってしまいましたねー油.戦略物資盗りに行った副作用でハハハ、それを今でも欧米豪連中は恨んでますねーハハハ。

cheory
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 回答者様の霊の目が開かれますように。

回答No.4

キリスト教徒でも何でもない部外者ですが、 貴女は、基本的に間違った考えをしています。 そもそも、「集団的自衛権になると戦争に巻き込まれる」という趣旨で 考えておられることからして間違っています。 集団的自衛権は、日本国が「戦争に巻き込まれないようにするため」に決議されたのです。 また、貴女のもう一つのの間違いは 国民あっての国、、、と考えておられることです。 国民あっての国、、、ではなくて、 日本国あっての国民です。 日本国>国民 です。 その神父さんも、集団的自衛権になると国民が戦争に巻き込まれる、、、と考えておられることから して、基本的間違いをなされています。 国があっての国民なのです。 ベルギーのルワンダ紛争をご存知ですか? 自国の領土を侵略され、ツチ族、フツ族の紛争になっています。 領土こそ、国こそ、、なのです。 国が無くなれば、「国民」なんて言ってられないのです。 その国民が他国から侵略されないように、侵略されてもすぐに国民に被害が出ないように、、、 という集団的自衛権なのです。 キリスト教徒の方は、右の頬をぶたれたら左の頬を差し出すそうですが、 日本国民の多くはそのような犠牲的思想はもちません。 自分に、(日本国家に)、右の頬をぶたれるような危機がせまったら、 防衛、あるいは、対抗をして国、国民を守ろうとするのが、圧倒的大部分の人の考えです。 だいたい、世界の戦争の殆どが、宗教戦争です。 貴女の日常生活でなら、右の頬をぶたれたら左の頬を差し出せばいいでしょうが、 これが「国」の問題になるとその思想は危険であり、一瞬にして国家は、崩壊してしまい 結局、国民は、流浪の旅に出ることになります。 個人的レベルの思想を国家の問題にあてはめては国を滅ぼす元になります。

cheory
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 宇宙は誰が造ったのでしょうか。 このことを考えなくては何も始まらないのではないでしょうか。

回答No.3

対話がお好きなようで、大変結構だと思われます あなたの話だと隣で友人がボコボコに殴られているのに、相手を力ずくでとめることはせずに、ただひたすら対話を求めるだけ あまつさえ殴られている友人にさえ「抵抗してはいけない」とで抑制する たとえ友人が怪我をしたとしても「あなたがこうして怪我したのは神の御心によるものです」とのたまう 例えそれが失明などの重度の障害だったとしても あなたはそれでいいのでしょう 教義にのっとった行為であり、事故満足に浸ることができます。 しかし、その友人はもはや友人でいてくれることはないでしょう 質問者さんのお話を聞いて カトリック教徒は教育者にはなれたとしても、国政は任せられない と感じました。 物質的な国を放棄しても構わないなどと、どこからそのような言葉がでてくるのか不思議です 物質的な国を捨てるということは、つまりは難民です 飢えや病気で死のうとも、自ら武力を用いなかったことを誇りにして死ねと仰る カトリックは全世界にひろまるそれなりの宗教です しかし、宗教と政治は別物であり、一体と考えることはむしろ危険です

cheory
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私は友人が殴られていて、声で抑制できなければ、代わりに私が殴られなくてはならない、と考えます。 キリストは人の罪のために、死を受け入れました。 キリストに似たものが、私たちの姿ですので、隣で殴られている友人がいたら、私がその暴力を受けます。 神と一緒に居られることは幸福なことです。 その友人から目を背け、逃走したら、神は何と申されるのでしょうか。 逃走すれば、神の御姿が見えなくなってしまうと思います。 それは、一番不幸なことです。 ちなみに、私はカトリックの教会ではなく、プロテスタントの教会へ通っています。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.2

貴方はその聖書に従ってかつてのユダヤのように国を失えばイイと思っているわけですか? イスラエルが再建国?勘違いしないで下さい。イスラエルは宗教の自由を認めているとはいえ、本来ユダヤ人である以上ユダヤ教がメインです。75%以上ですよ。ユダヤ教とキリスト教は似て非なるもの。彼らにマタイの書など関係ありませんよ。あれは新約ですからね 聖書も時系列で読んでいかなければ正しい教えなど導くことは出来ませんよ。 今のイスラエルは何をしていますか?積みの無い子供を拉致して殺しているじゃないですか。 日露戦争では多くの兵士が死にました。しかし戦が終わりどうしたか、お互いがお互いの同胞の死を悔やみ、同胞の如く敵を葬り哀悼の磯評した。 よろしいですか、戦いによって怨みや妬み呪いを及ぼすとしたのは第二次大戦後の共産主義の扇動と米国の大量殺戮だけなんですよ。過去においてそのような一時の激情は必ず他者によって窘められているんです。 お互いがお互いの立場を理解し、それでも自国を護るために戦うということにおいては早いうちに憎しみは消えるのです。 ではなぜテロリストはいつまでも憎しみ続けるのでしょうか?それは人道に沿っていない、無秩序の一方的な欲求だからです。 逆に貴方に考えてもらいたい。貴方が街で暴行を受けたとします。貴方は友人と歩いていた。貴方の友人には舞術大会優勝者まで居る。しかし、だれも貴方を助けることは無い。ただ暴行を受けている貴方を見守っているだけ。そのとき貴方はそれが当たり前だと思うのですか? さて後日、同じ仲間の一人が街で暴行を受けたとします。そのとき貴方は助ける事もなく警察に通報するでもなく黙ってみているのですか?それが常識だと思うのですか?これが集団的自衛権を否定する人の姿勢です。 私は嫌です。かつて本当に友人が暴行を受けました。一緒に居たものの中には県大会優勝者までいました。しかし彼らは見ていただけです。友人はあちこち骨を折り重症でした。私はたまたまその場に居ませんでした。 この話を聞いて私は強い憤りを持ち、武道を始めました。 かつて日本にロシアや米国が開国を迫ったとき、老中阿部は日本が鎖国によって生じた圧倒的な無力さを知り、これでは一方的に屈指せざるを得ない、清国の二の舞になると痛感して国防に力を注いだのです。現実に無謀な戦いを挑んだ薩摩や長州は敗退しました。逆に東京湾岸の警備を見、日本の正確な地図を見た米国などは日本の国防への意識を知って五港開港を受け入れたのです。 一国一国が強い戦力を持たなくても、同胞が協力していけば、一方的な侵略を阻止して対話の席に座らせることができるのです。 武力=戦闘などという考えは実に時代遅れな有史以前の話ですよ。否、その時代ですら武力が拮抗していれば一方的に攻められることは無かった。つまり武力=戦闘などと考えているのは妄想でしか無いと言うことです。 昔、「武」と言う字は『矛を担いで歩く人』でしたが、今では「矛を止める」と書きます。 このことを忘れないで下さい。 集団的自衛権なんて米国の圧力で・・・なんてくだらないことを言ってるバカが多いです。そういう輩はハナから独立を捨てているんですね。 集団的自衛権を持つためには他国の圧力によるものではなく自国の意志によって判断する力も必要です。これまでは米国の言いなりだったからイラクのような根拠の無い戦争を起こす愚考を行なったんです。日本もフセインを殺害した殺人犯です。 こんな愚考を起こさないためにも、自立した国に成長する必要があるんです。当然場合によっては日本も攻撃対象となります。既に今までも幾度もテロの攻撃候補に上がっています。そのために防衛力も強化しなければなりません。でも今のままでは中朝に攻められれば、戦闘が起こる前に日本は死にます。 それでもいいのなら反対すればいいのです。 集団的自衛権と同じく、自立して自国を守れる国にならなければ意味が無いのです。 でなければ、自衛力を持たず、世界の言葉の端にも上らない国になれば平和になるんでしょうね、反対派の主張を尊重すれば。

cheory
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ・貴方はその聖書に従ってかつてのユダヤのように国を失えばイイと思っているわけですか? イスラエルが再建国?勘違いしないで下さい。イスラエルは宗教の自由を認めているとはいえ、本来ユダヤ人である以上ユダヤ教がメインです。75%以上ですよ。ユダヤ教とキリスト教は似て非なるもの。彼らにマタイの書など関係ありませんよ。あれは新約ですからね ↑物質的にいうのであれば、国を失ってもいいと思います。 国の存亡より、人の命の方が重たいものと私は考えています。 イスラエルの中でユダヤ教を信仰している方が多いのであれば、福音を伝える方が必要だと思います。神様は全知全能です。私たちの考えに達しない力を持っておられます。ユダヤのご計画はもう、始まっているかもしれません。 黙示録では、悪魔は滅ぼされる、と読み取れるところがありますので、神は最後に悪魔を滅ぼされると信じています。 それは、私がこの世の齢を終えた後かもしれません。 それでも、私たちは神の教えに従い、歩まなければならないと思います。 それで迫害を受けて、死んだ方も居ます。 その方たちの信仰は私たちに勇気を与えてくださいます。 ・聖書も時系列で読んでいかなければ正しい教えなど導くことは出来ませんよ。 今のイスラエルは何をしていますか?積みの無い子供を拉致して殺しているじゃないですか。 ↑イスラエルの全ての人が罪の無い子供を殺しているのですか? 日本人は殺人を犯す人はいないのですか? マタイ7章3節ー5節 また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の梁には気がつかないのですか。 兄弟の目に向かって、『あなたの目のちりをとらせてください』などと、どうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。 偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からもちりを取り除くことができます。 と書いてあります。 ユダヤの国のちりを取り除くためには、日本の梁を取り除かなければならないのではないでしょうか。 マタイ5章3節ー5節を考えると、まず、日本の殺人を0にする必要があると思います。 ・日露戦争では多くの兵士が死にました。しかし戦が終わりどうしたか、お互いがお互いの同胞の死を悔やみ、同胞の如く敵を葬り哀悼の磯評した。 よろしいですか、戦いによって怨みや妬み呪いを及ぼすとしたのは第二次大戦後の共産主義の扇動と米国の大量殺戮だけなんですよ。過去においてそのような一時の激情は必ず他者によって窘められているんです。 ↑他者によって、たしなめられるのであれば、武力を行使する必要性はどのような意味を持つのでしょうか。 よろしかったら教えてください。 ・お互いがお互いの立場を理解し、それでも自国を護るために戦うということにおいては早いうちに憎しみは消えるのです。 ではなぜテロリストはいつまでも憎しみ続けるのでしょうか?それは人道に沿っていない、無秩序の一方的な欲求だからです。 ↑自国を護るために戦って、日本はどのようになったでしょうか。 日本は今日でも、中には他国の方から憎まれている方がいらっしゃいます。 慰安婦問題が、政治家の口から放たれたとき、諸外国の反応は冷ややかなものでした。 日本は今のままで充分に憎まれている、と感じています。 ・逆に貴方に考えてもらいたい。貴方が街で暴行を受けたとします。貴方は友人と歩いていた。貴方の友人には舞術大会優勝者まで居る。しかし、だれも貴方を助けることは無い。ただ暴行を受けている貴方を見守っているだけ。そのとき貴方はそれが当たり前だと思うのですか? さて後日、同じ仲間の一人が街で暴行を受けたとします。そのとき貴方は助ける事もなく警察に通報するでもなく黙ってみているのですか?それが常識だと思うのですか?これが集団的自衛権を否定する人の姿勢です。 ↑私は警察に連絡をする前に、殴りかかってきた方に『どうして暴力を振るうのですか?』と対話をします。 ・私は嫌です。かつて本当に友人が暴行を受けました。一緒に居たものの中には県大会優勝者までいました。しかし彼らは見ていただけです。友人はあちこち骨を折り重症でした。私はたまたまその場に居ませんでした。 この話を聞いて私は強い憤りを持ち、武道を始めました。 かつて日本にロシアや米国が開国を迫ったとき、老中阿部は日本が鎖国によって生じた圧倒的な無力さを知り、これでは一方的に屈指せざるを得ない、清国の二の舞になると痛感して国防に力を注いだのです。現実に無謀な戦いを挑んだ薩摩や長州は敗退しました。逆に東京湾岸の警備を見、日本の正確な地図を見た米国などは日本の国防への意識を知って五港開港を受け入れたのです。 一国一国が強い戦力を持たなくても、同胞が協力していけば、一方的な侵略を阻止して対話の席に座らせることができるのです。 武力=戦闘などという考えは実に時代遅れな有史以前の話ですよ。否、その時代ですら武力が拮抗していれば一方的に攻められることは無かった。つまり武力=戦闘などと考えているのは妄想でしか無いと言うことです。 ↑武力=戦闘は妄想ではないと思います。 武力の無いところで戦闘は起こりますか? ・昔、「武」と言う字は『矛を担いで歩く人』でしたが、今では「矛を止める」と書きます。 このことを忘れないで下さい。 集団的自衛権なんて米国の圧力で・・・なんてくだらないことを言ってるバカが多いです。そういう輩はハナから独立を捨てているんですね。 ↑回答者様は人の中に『くだらないことを言っているバカが多い』と心から思っているのでしょうか。 回答者様はキリスト教を信仰しているのでしょうか。 その言葉に心が痛みました。 神は人と人は愛し合うことを望んでいらっしゃると思います。 罵り合うことは望んでおられないと思います。 イエス・キリストは、口から入るものではなく、心から出るもので人は汚される、と仰いました。   ・集団的自衛権を持つためには他国の圧力によるものではなく自国の意志によって判断する力も必要です。これまでは米国の言いなりだったからイラクのような根拠の無い戦争を起こす愚考を行なったんです。日本もフセインを殺害した殺人犯です。 ↑仰るとおり、日本もフセインを殺した殺人犯だと思います。 日本は死刑制度が成立しており、私たち国民は、黙認している立場にあります。 質問者様のお言葉をお借りするのであれば、日本の国民の全てが殺人者だと考えています。 ・こんな愚考を起こさないためにも、自立した国に成長する必要があるんです。当然場合によっては日本も攻撃対象となります。既に今までも幾度もテロの攻撃候補に上がっています。そのために防衛力も強化しなければなりません。でも今のままでは中朝に攻められれば、戦闘が起こる前に日本は死にます。 それでもいいのなら反対すればいいのです。 ↑もし、中朝に攻められたら対話をする事が必要だと思います。 武力を行使して相手はどうするでしょうか。更に武力を強めたり、更にに日本に反抗しようとしないでしょうか。 日本の武力で相手が静まったとして、何が生まれるのでしょうか。 そこには反感があり、平和は無いと思います。 ・集団的自衛権と同じく、自立して自国を守れる国にならなければ意味が無いのです。 でなければ、自衛力を持たず、世界の言葉の端にも上らない国になれば平和になるんでしょうね、反対派の主張を尊重すれば。 ↑私たちキリスト者は、平和をつくる者です。 マタイ5章9節 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子と呼ばれるから。 とあります。 私たちは神の子どもです。 武装、武力、暴力を0にするように…私たちの時代では出来ないかもしれません。というよりも、出来ないと思います。 それでも、キリストの子どもとして、武装、武力、暴力0へ焦点を合わせて進み、後の世代へ引き継がなければ、ならないのではないでしょうか。 神はアルファでありオメガであり、とこしえから、とこしえまで、永遠に主です。 神のご計画は、聖書をみる限り、とても長期的です。 神の子としていただくことに感謝します。 神の子は平和をつくる人たちです。 世に屈指して、神を仰ぎ見ることを辞めてはなりません。 仰ぎ見ることを辞めてしまえば、それは、神が悲しむ行為です。 私たちは世の神、悪魔の虜になってはなりません。 記させていただいている間に、神の御国は狭い、とても狭い門だと痛感しております。