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もてない男 聖書を問う
- もてない男30代のデブで無職な男性が精神障害を患っており、聖書に答えを求めています。
- 嫌な回答にも耐えながら、宗教に傾斜する傾向がある男性が、怒りを和らげる聖書の教えを知りたいと考えています。
- 彼は自分自身や自身の容姿に対して否定的な言葉に怒りを感じており、手厳しい回答でも構わないと述べています。
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質問者が選んだベストアンサー
第1コリント 神の王国に入る者(救われる者)は、肉体は一切関係無く心の聖い者だけが王国に入るのです。 旧約聖書。 「神がご覧になるのは、容姿ではなく心をご覧になるのです」 ただ貴方の文書はねたみにあふれています。 ねたみ(嫉妬)はキリスト教における七つの罪の1つです。 そんな心まで醜い貴方はそれこそ『醜い』の一言です
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- sakizenkai
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>財産を全部売り渡せばよい、とイエスはいいます。 売り渡したら生活ができません。別にイエス様は貯蓄を批判してるわけじゃないです 富と神、両方に仕えることはできない、ということです。 実際的に財産を売り渡す時が来るかもしれません。けどいますぐ処分しろとかそういう話じゃないです >もうどうでもよくなりました。 あなたは天地よりも尊い一つの魂です 自己卑下、嫉妬、全部やめてください。イエス様が嫌がることです。 あなたが愛を感じれないのは当然です。クリスチャンになっていないんだから。 なにがあっても信じるという決断をよろしく!
お礼
>別にイエス様は貯蓄を批判してるわけじゃないです 富と神、両方に仕えることはできない、ということです。 実際的に財産を売り渡す時が来るかもしれません。けどいますぐ処分しろとかそういう話じゃないです この部分の>けどいますぐ処分しろとかそういう話じゃないです と言われますが、ではいつ財産を全部売り渡すのか? という疑問が湧いて来ます。 あと>なにがあっても信じるという決断をよろしく! ですが、まだ時季が来ていない気がします。 では一旦ここで、おわりにします。 ありがとうございました。
補足
つかれたので締め切らせてもらいます。 ありがとうございました。
- rikukoro2
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>[貧しき者は幸いである] >この貧しき者というのが、心の貧しき者だとすれば、僕は幸いであるのです。 多くの聖書翻訳は、マタイ書 5章3節を次のように訳しています。 口語訳:「こころの貧しい人たちは、さいわいである。…」 新改訳:「心の貧しい者は幸いです。…」 文語訳:「幸福(さいわい)なるかな、心の貧しき者。…」 新共同訳:「心の貧しい人は幸いです。…」 フランシスコ:「自分の貧しさを知る人は幸いである、…」 一方、そのギリシャ語の言葉を字義どおりに訳せば「霊に関して貧しい者たちは幸いです」あるいは「霊を乞い求める人たちは幸いです」という訳文になります。それで、幾つかの聖書では次のように訳出しているものもあります。 回復訳:「霊の中で貧しい人たちは幸いである.…」 欽定訳:「霊の貧しい者たちは祝福されている。…」 英語訳:「自分が霊的に貧しいことを知っている人たちは幸いです。…」 新世界訳:「自分の霊的な必要を自覚している人たちは幸いです。…」 比較しますと、「心の貧しい」という部分が「霊的な必要に貧しい」とも訳されています。このことから、あなたが持っておられる聖書の訳文が述べている「心が貧しい」とは、寛容さが無いという意味で心の狭い人のことではなく(金銭的な意味での貧しさでもありません。)、「精神的、感情的、宗教的な意味で心が満たされていない人(霊的に飢えている人)」であることが分かります。 そのような意味で心が満たされていない人は、イエスの語る王国の希望と慰めを受け入れやすいので、(またイエスによって、これからは満たされるので)幸福であると言われているのです。 逆に、物質的に豊かに恵まれている人は、霊的な必要性に気づきにくいので、イエスはある時、そのような者(霊的必要を自覚していない人)が神の道に入るのは「らくだが針の穴を通る」ぐらい難しいことであると言われたのです。 「富んだ人が神の王国に入るよりは,らくだが針の穴を通るほうが易しいのです」。(マタイ 19:24 新世界訳 なので貴方の言う『貧しき者』は『心の貧しき者』ではないと思うのですが・・
お礼
僕は裕福な家に生まれ、親のすねをかじっているから、物質的には困ってないです。マタイ19章16節の金持ちの青年のようであります。財産を全部売り渡し、貧しい人に施しをするべきでしょうか? マタイのどこかに、求めるものに背を向けてはならない、とありますが、ここから始めればいいでしょうか? さっとマタイをみてみましたが、この世で苦しんだ者は、神の国で慰められ、この世で楽だった人は、火の地獄に投げ捨てられると言うことでしょうか? なんか難しくなりました。 わざわざありがとうございます。それでは失礼いたします。
- sakizenkai
- ベストアンサー率50% (1/2)
簡単です。 私の話をしましょう。イエス・キリストはゴミのようなひどい生活をし、人間全てに興味が無い私でも受け入れてくれました。ですからわたしはどんな怒りを抱かせるようなものが回りにいても、受け入れることができる。許すことができるのです 教えよりも先に、神様がどれだけすばらしい愛を与えたかをしることです。そして神様がどういう方であるのかを知ることです。 自分ではなく神様を見なければ、聖書を読み続けても意味はありません そして祈りを捧げるのです。わたしに愛を注いでくださったにもかかわらず文句ばっかでごめんさいこれからは神様を愛しますと! イエス・キリストはわたしたちの真実なる主であります!受け入れて人生をかけてすべてをかけて知ってください。本ちょろ読みじゃだめです
お礼
僕は裕福な家庭に生まれ、あなたとは真逆の境涯にいますね。僕は神様を感じた記憶があまり憶えていませんね。自信もなく、毎日悪い行ないをしています。でもこんなわたしが生きていられるのは何かいみがあるぬかもしれません。自分を偽善者のように思います。心は暗き憎しみさえ溢れている気がします。財産を全部売り渡せばよい、とイエスはいいます。自分に出来るかどうか。本に頼ってはいけないんですよね。神様に感謝出来ずにいる私は、永遠の地獄に投げ込まれるんですかね。もうどうでもよくなりました。 回答ありがとうございました。
- arkerius
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私もそうですね。 でも、愛の程度はあるのかなとは思います。寛容なども愛と含めるなら まあ、憎んだり嫌いになったりは するなということですかね。
お礼
僕の罪の原因は裕福さにあると独りよがりで頑なに考えております。 金持ちが天の国へ入るのは、らくだが針の穴に入る こと より難しい、とマタイにあるようですが、僕は天の国に入ることは出来ないでしょう。神の愛どころか、呪いによって生かされそうです。 arkeriusさん、ありがとうございました。
- arkerius
- ベストアンサー率14% (10/70)
あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、 憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。 主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。 コロサイの信徒への手紙 / 3章12~ 14節
お礼
探して頂いてありがとうございます。 少し疑問があります。 >あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、 憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 とありますが、これらの言葉は11節に書かれてあるように、区別なく全世界の人々に当てはまればいいというのが私の答えです。arkeriusさんはどうお考えですか? ひとまず、ありがとうございました。
お礼
容姿も醜く、心まで醜い。 天の国には入れそうにありませんね。がっかりするのと同時に思い出しました。 マタイ5章 山上での説教 [貧しき者は幸いである] この貧しき者というのが、心の貧しき者だとすれば、僕は幸いであるのです。 厳しい指摘ありがとうございました。 それではまた。