- ベストアンサー
JR(旧国鉄)の急行列車は何故消滅したのでしょうか
JR(旧国鉄)も戦前は特急(特別急行列車)は東海道本線の数本のみで 急行や準急が主であると聞きました。 戦後も戦前に比べ特急の本数は増えましたが、庶民には程遠いもので、 手ごろなのが急行 準急と云うものだったのでしょうか? 昭和の終わり頃から特急と急行を統合する形で、特急となっていき、 急行は消滅している処が多いと思います。 1 不景気と云うが特急も庶民も乗れるレベルにまでなった。 2 特急と急行の格差がなくなった と云うのが理由なのでしょうか? 他に理由があれば教えて戴きたいと思います。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
元々国鉄(のちのJR)の急行列車の区別は、以下のような原則があったようです。 急行(普通急行) ・自由席が主体 ・短距離利用者が多いことを想定 ・車両は急行専用に用意したものでなくてもよい。(普通列車用の車両を急行にも使用/急行列車用に作った車両を普通・快速にも使用) 特急(特別急行) ・指定席が主体 ・長距離利用が多いことを想定(新幹線が多く開通するとそういう状況ではなくなったが) ・車両は原則として特急用に作ったものを使用。(特急用の車両を普通や急行に使うことはあるが、逆はなく、料金制度上も事故・災害等のやむを得ない時でも特急用の車両が使用できない場合 は特急料金の半額を返金する規定がある。) 以上により 急行は以下のようなものが多かったです。 ・特急が運転されている区間では特急より短い区間(したがって自由席で充分な)の利用者が多い ・路線の条件等で、著しく速く運行できる列車が設定できないが、ある程度の距離の利用者が多い。(これは後にそれでも特急化されるものもあった) ・夜行需要があり、しかも必ずしも寝台でなくても需要がある区間。(自由席や座席車の需要が多い場合、寝台特急ではなく夜行急行として運行された) JR後最後まで昼間の急行が残ったのは津山線ですが、これは上記条件を満たし、最終期は快速列車用と同じ車両を使用していました。最終期まで快速ではなく休校として運行していたのは、少ないとはいえ新幹線に乗り継ぐ出張などの利用者がいて、学生の利用とかち合わない方が好まれていたことと、地元自治体が「優等列車のない街」に抵抗を示していたと伝えられるからです。しかし、結局は特急化できる状況がなく、快速化されました。 最後の急行は「はまなす」で青森-札幌の夜行列車です。もちろん、寝台需要もあり、寝台車もありましたが、函館発着などの区間利用需要も多く、座席車の需要もそれなりに多かったようです。その為、最後まで特急化(=寝台主体の列車化を意味する)できなかったようです。 廃止になったのは需要がなくなったというよりは、新幹線の開業により、並行在来線の一部を事実上の貨物線にするしかなかったことの方が大きいようです。 で、急行が減っていったのは、ちょうど新幹線開業のころから見られる高度経済成長とそれに伴う国鉄利用者数の激減・赤字化が一因となっていると思われます。 まず、高度経済成長ですが、これにより道路整備も進みましたので、いわゆるマイカー時代に入りました。 そうすると、大都市圏の通勤需要は増え続けたものの、それ以外の中長距離移動や旅行需要の国鉄利用者数はどんどん減っていきました。 もちろん、一部では豊かになったけど車を持たない(持てない)層もいたので、そういう層は利用減を抑える効果はあったものの、利用者数を増やすことにまではつながりませんでした。 で、豊かになった分、急行よりは特急の利用を好むようになりました。 さて、どの業界でもそうですが、利用者数が減っていけば供給できるサービスは縮小化せざるを得ません。 利用者数が多ければ、上述のような特急と急行を運行してもどちらにも客が付きサービスが維持できます。 しかし、利用者数が多いところは新幹線に流れ、在来線利用者数が減ったのに加え、国鉄全体の利用者が減っているわけです。 そして昔に比べれば少なくなった利用者の多くが、特急を好むようになったので、列車本数を増やす際には特急を増やすようになるのは当然の流れです。 そのうち、急行の利用者はさらに少なくなり、ついには急行を運転できる余裕はなくなるのです。 その際に、当初は特急への格上げもありました。これは最初のころはサービスアップにもつながったのですが、のちには急行時代と大して変わらないのに「特急」となり、実質的な値上げではないかと言われたりもしました。 国鉄自身は否定しましたが、実際には、利用率の悪い急行を同じ時間帯を走る所要時間等は大して変わらない特急にしただけで利用者数が増えた例もあるので、実質値上げと同じ効果はあったようです。(当時、運賃値上げは国会承認が必要など手続きが複雑だったのに対して、料金は簡単に値上げできましたし、そもそも急行から特急への格上げは値上げ云々の承認とは別枠の話です。) ただ、特急としては知らせることができる路線は特急化しましたが、そうではないローカル線では、快速への格下げ、それすらされずに廃止というのもありました。利用者数の減少が激しいローカル線では、複数のサービスが提供できる状況でなくなってきたのです。 また、ローカル線の急行列車(見方を変えると近くの大都市への直通列車)が減ったのには、貨物列車・荷物列車を廃止・減便した為に本線への直通ができなくなった/しにくくなったというのもあります。 このように国鉄末期では乗客が減り、赤字が増える中で、急行の利用者を増やす対策をするより、特急化して利用者数又は収入を維持する対策をする方がまし(というかそれしかできない)となり、さらに急行が減り、JR時代に突入したということです。
その他の回答 (5)
- thunderkarasu
- ベストアンサー率34% (265/762)
補足 (指定席が無い、あるいは少ない)急行列車が多かったのは、国鉄の指定席管理システムが能力不足だったのも、原因のひとつであった。 コンピュータ管理される前は、駅から鉄道電話で問い合わせがあると、中華料理店の回転テーブルに本棚を載せたようなものが目にも留まらぬ速さで高速回転(!)する台帳から、目的の指定席列車の台帳を職人芸で引き出して記帳のうえ駅へ連絡し、それを職人芸で投げ戻す、駅では連絡を受けた内容に従って切符を作成するという仕組みであったので、当時全席指定の特急列車を増やすことは、座席管理の処理能力上不可能だったのもある。 このままでは、いずれ(開業時は)全席指定の東海道新幹線の座席を管理するのは困難になるということで、コンピュータによる管理システムの開発が進められ、国内初のオンラインシステム「MARS(マルス)1」の運用が1960年に始まった。 オンラインシステムとはいえ、最初のシステムは切符発券のシステムは無く、高速回転台帳がコンピュータに置き換わっただけで、しかも処理能力は3600席・15日分と僅かなもので、東海道線の一部の特別急行列車に限られていた。 システム上の制約で東海道新幹線の開業には間に合わず、新幹線は従来通りの高速回転台帳による管理が1965年まで続いた。 おかげで、開業から暫くは発券まで1時間以上要することもあったそうだ。 1968年の「ヨン・サン・トオ ダイヤ改正」時に、20万席を管理できるシステムとなり、座席指定の列車・・特に特急列車の増発がなされた。 山陽新幹線開業時には約150万席の管理能力となり、新幹線のみならず在来線指定席の管理能力も飛躍的に向上される。 以後、システムの刷新毎に能力向上・収容座席数の増加が図られている。 座席管理システムの管理・処理能力向上も、新幹線を含む特急増発を可能にした要因でもあるのだ。 現在では高度化されており、JR各社のインターネットサービスにも対応できるようになり、結果的に「みどりの窓口」を削減できるようにもなってきた次第である。
お礼
詳しいご回答有難うございます。 補足 >(指定席が無い、あるいは少ない)急行列車が多かったのは、国鉄の指定席管理システムが能力不足だったのも、原因のひとつであった。 コンピュータ管理される前は、駅から鉄道電話で問い合わせがあると、中華料理店の回転テーブルに本棚を載せたようなものが目にも留まらぬ速さで高速回転(!)する台帳から、目的の指定席列車の台帳を職人芸で引き出して記帳のうえ駅へ連絡し、それを職人芸で投げ戻す、駅では連絡を受けた内容に従って切符を作成するという仕組みであったので、当時全席指定の特急列車を増やすことは、座席管理の処理能力上不可能だったのもある。 コンピューターシステムの無い時代で、指定席を取る と云う事から本数も限られていたと云う事が伺われました。 >このままでは、いずれ(開業時は)全席指定の東海道新幹線の座席を管理するのは困難になるということで、コンピュータによる管理システムの開発が進められ、国内初のオンラインシステム「MARS(マルス)1」の運用が1960年に始まった。 オンラインシステムとはいえ、最初のシステムは切符発券のシステムは無く、高速回転台帳がコンピュータに置き換わっただけで、しかも処理能力は3600席・15日分と僅かなもので、東海道線の一部の特別急行列車に限られていた。 システム上の制約で東海道新幹線の開業には間に合わず、新幹線は従来通りの高速回転台帳による管理が1965年まで続いた。 おかげで、開業から暫くは発券まで1時間以上要することもあったそうだ。 当初は、これも限界があった事が伺われました。 >1968年の「ヨン・サン・トオ ダイヤ改正」時に、20万席を管理できるシステムとなり、座席指定の列車・・特に特急列車の増発がなされた。 山陽新幹線開業時には約150万席の管理能力となり、新幹線のみならず在来線指定席の管理能力も飛躍的に向上される。 以後、システムの刷新毎に能力向上・収容座席数の増加が図られている。 座席管理システムの管理・処理能力向上も、新幹線を含む特急増発を可能にした要因でもあるのだ。 現在では高度化されており、JR各社のインターネットサービスにも対応できるようになり、結果的に「みどりの窓口」を削減できるようにもなってきた次第である システムにより、指定席の確保の変化が特急の増発に繋がった事も伺われました。システムの歴史の御話有難うございました。
- thunderkarasu
- ベストアンサー率34% (265/762)
1970年代前半までの急行・準急列車は、長距離用の車両を用いるものもあったが(客車で言えば43系や10系客車等)、その需要に対して車両不足は否めず、モハ80系やキハ20系、さらには401系電車等の「遜色急行列車」もあった。 それくらい、特別急行列車がまだほんとうに「特別」なもので(飛行機も)、日本の長距離移動の需要は急行列車が一手に引き受けていたと言っても良い。 そもそも急行列車の料金の性格は「速達料金」とも言えるもので、指定席は別途指定席券との組み合わせとなっていたことが、その現れだろう。 一方で特別急行列車は座席指定を前提としており、自由席は無かった。 都市間列車の主力として、そして自由席の需要を急行列車が担っていた訳で、特急と並行して多くの急行列車が運転されていた。 後に特急に自由席が導入されると、1970年代以降は特急大増発・L特急によるパターンダイヤ&自由席設定等により大衆化で特別なものではなくなり(新幹線も然り)、ネームバリューや実質的料金値上げの営業政策により、急行からの格上げや特急新設による増発が行われた。 さらに1980年代に入ると、東北上越新幹線開通で東北地区の485系等が大量余剰になり、他地区へ転属させて各地の急行列車を格上げし、特急列車を設定・増発した。 (485系の東北→九州への広域転属等が、その例) 一方、国鉄末期には急行に用いられた車形(455系や165系電車、12系客車、キハ58系等)が普通列車・快速列車へ転用されることになり、これらは地方線区の普通列車増発の原資となった。 急行列車の特急格上げ等があってこその転用であった。 民営化以降も格上げや列車そのものの廃止(東北線「八甲田」や奥羽線「津軽」、津山線「つやま」等)を積極的に行い、北海道新幹線開業による急行「はまなす」廃止により、定期急行列車は無くなっている。 民営化後の定期急行列車の末期や臨時でも、急行として運転されるものは特急形車両(JR東日本では優等用車両)を用いる例が多かったが、現在では料金が中途半端になることもあり※、週末の行楽用列車では全車座席指定制の快速列車として、リーズナブルな料金設定とする例が多くなっている。 ※ 制度上「急行券」は座席指定を伴わない。指定席は指定券料金を足す形になるので、線区によってはB特急料金や、首都圏JRの「スワロー特急料金」と差が無くなってしまう。 それどころか、「スワロー」のネット割引料金だと、今も制度上残る「急行券+指定券」よりも割安になる。 上記は国鉄→JRでの話だが、東武鉄道の本線系も似たような状況で、「有料の急行列車」であった「りょうもう」も、全て200系電車による運転となってからは「特急」となっている。 その後、半蔵門線直通で種別整理が行われた際、半蔵門線や東急田園都市線に合わせて急行を料金不要の通勤列車にしたことから、嘗ての「りょうもう」出自の300系・350系「きりふり」「しもつけ」等は、スペーシア等よりも割安の特急料金を設定するようになった。
お礼
詳しい御回答有難うございました。 >1970年代前半までの急行・準急列車は、長距離用の車両を用いるものもあったが(客車で言えば43系や10系客車等)、その需要に対して車両不足は否めず、モハ80系やキハ20系、さらには401系電車等の「遜色急行列車」もあった。 快速普通列車用の電車客車が暫定的に用いられたと云う事でしょうか? >それくらい、特別急行列車がまだほんとうに「特別」なもので(飛行機も)、日本の長距離移動の需要は急行列車が一手に引き受けていたと言っても良い。 そもそも急行列車の料金の性格は「速達料金」とも言えるもので、指定席は別途指定席券との組み合わせとなっていたことが、その現れだろう。 一方で特別急行列車は座席指定を前提としており、自由席は無かった。 都市間列車の主力として、そして自由席の需要を急行列車が担っていた訳で、特急と並行して多くの急行列車が運転されていた。 特急は「指定席」急行は「自由席」「混雑時等に急行券+指定席」と云う風な棲み分けとされていたと見て良いのでしょうか? >後に特急に自由席が導入されると、1970年代以降は特急大増発・L特急によるパターンダイヤ&自由席設定等により大衆化で特別なものではなくなり(新幹線も然り)、ネームバリューや実質的料金値上げの営業政策により、急行からの格上げや特急新設による増発が行われた。 確かに、昭和末期頃にL特急の導入で自由席化が現れた頃から、格差がなくなり、(例「特急(2往復)」「急行(6往復)」を「L特急(8往復)」と云う風にしていき、 急行は消滅して行ったケースが多いと思います) >さらに1980年代に入ると、東北上越新幹線開通で東北地区の485系等が大量余剰になり、他地区へ転属させて各地の急行列車を格上げし、特急列車を設定・増発した。 (485系の東北→九州への広域転属等が、その例) 一方、国鉄末期には急行に用いられた車形(455系や165系電車、12系客車、キハ58系等)が普通列車・快速列車へ転用されることになり、これらは地方線区の普通列車増発の原資となった。 急行列車の特急格上げ等があってこその転用であった。 新幹線の登場が、余剰車両の転用、 急行型車両を快速等に使う事も頷ける話です。 >民営化以降も格上げや列車そのものの廃止(東北線「八甲田」や奥羽線「津軽」、津山線「つやま」等)を積極的に行い、北海道新幹線開業による急行「はまなす」廃止により、定期急行列車は無くなっている。 民営化後の定期急行列車の末期や臨時でも、急行として運転されるものは特急形車両(JR東日本では優等用車両)を用いる例が多かったが、現在では料金が中途半端になることもあり※、週末の行楽用列車では全車座席指定制の快速列車として、リーズナブルな料金設定とする例が多くなっている。 今私の近隣の路線でも、特急と指定券付き(普通車は料金不要)の快速が運転されております。やはり、この様な流れなんでしょうか? >※ 制度上「急行券」は座席指定を伴わない。指定席は指定券料金を足す形になるので、線区によってはB特急料金や、首都圏JRの「スワロー特急料金」と差が無くなってしまう。 それどころか、「スワロー」のネット割引料金だと、今も制度上残る「急行券+指定券」よりも割安になる。 値段的にも「急行」より格安な「特急」が出来、存在がなくなったと考えて良いのでしょうか? >上記は国鉄→JRでの話だが、東武鉄道の本線系も似たような状況で、「有料の急行列車」であった「りょうもう」も、全て200系電車による運転となってからは「特急」となっている。 その後、半蔵門線直通で種別整理が行われた際、半蔵門線や東急田園都市線に合わせて急行を料金不要の通勤列車にしたことから、嘗ての「りょうもう」出自の300系・350系「きりふり」「しもつけ」等は、スペーシア等よりも割安の特急料金を設定するようになった 特急の庶民化が大きいのだと云う事が頷けました。 詳しいお話有難う御座いました。
- ts0472
- ベストアンサー率40% (4485/11069)
JR内での「急行」という列車の目的だと思います https://trafficnews.jp/post/43375 私鉄などの急行とは運行方法が違った 私鉄の急行 JRは快速 って感じだったと思います
お礼
ご回答有難うございました。 詳しい記事のリンク深謝致します。 特急の大衆化(自由席だと急行と変わらなくなる) と急行券不要で同じ位の時間で走る快速等が出る形 で中途半端に成った事が伺われました。 北海道の「はまなす」の様に需要があれば最後まで残ったのだと云う事も伺われました。 JR西日本(旧国鉄)東海道山陽本線の京都から神戸(戦後は彦根や姫路位まで)が電化された時に登場した「急行電車(通称急電)(現在の快速 新快速の基と成った電車)」も長距離の急行券が要る急行と紛らわしいので、「新快速」に改められたという様な話を聞いたことがあります。
- 69015802
- ベストアンサー率29% (381/1297)
特急料金で稼ぐためですね。急行や準急時代と停車駅がほとんど変わらない特急がいくらでもありますよ。ただ車内設備は四人掛けボックスシートからリクライニングシートになって改善されましたけど。
お礼
ご回答有難うございました。 >特急料金で稼ぐためですね。急行や準急時代と停車駅がほとんど変わらない特急がいくらでもありますよ。ただ車内設備は四人掛けボックスシートからリクライニングシートになって改善されましたけど。 昔は指定席、座席も良い座席と云うのが特急でしたが、 特急が急行準急レベルにまでなったと云う事でしょうか? 発展途上国等では座席も日本の電車の様な座席が軟座で高く、安い座席は硬座と云う風に成っております。 昔は鈍行等はそうだったそうです。
- Ultra-Hetare
- ベストアンサー率38% (204/526)
若者の都市集中志向と、新幹線の全国化によって、 急行のみの停車駅周辺が凋落し乗降車客数も激減したから。 と、思いました。
お礼
ご回答有難うございました。 >若者の都市集中志向と、新幹線の全国化によって、 急行のみの停車駅周辺が凋落し乗降車客数も激減したから。 確かに、大都市や地方都市の中心部も昔は鉄道の駅が中心でしたが、新幹線 高速道路の発達で、マイカーや高速バスの発達でその中心部そのものが衰退しているケースがあります。(そこで大都市でも駅前の再開発、 古い商店街を複合ビルのテナントに入れ)駅前を広くする等の試みをされている処も多いと思います。
お礼
詳しい御回答有難うございました。 >元々国鉄(のちのJR)の急行列車の区別は、以下のような原則があったようです。 急行(普通急行) ・自由席が主体 ・短距離利用者が多いことを想定 ・車両は急行専用に用意したものでなくてもよい。(普通列車用の車両を急行にも使用/急行列車用に作った車両を普通・快速にも使用) 特急(特別急行) ・指定席が主体 ・長距離利用が多いことを想定(新幹線が多く開通するとそういう状況ではなくなったが) ・車両は原則として特急用に作ったものを使用。(特急用の車両を普通や急行に使うことはあるが、逆はなく、料金制度上も事故・災害等のやむを得ない時でも特急用の車両が使用できない場合 は特急料金の半額を返金する規定がある。) 以上により 急行は以下のようなものが多かったです。 ・特急が運転されている区間では特急より短い区間(したがって自由席で充分な)の利用者が多い ・路線の条件等で、著しく速く運行できる列車が設定できないが、ある程度の距離の利用者が多い。(これは後にそれでも特急化されるものもあった) ・夜行需要があり、しかも必ずしも寝台でなくても需要がある区間。(自由席や座席車の需要が多い場合、寝台特急ではなく夜行急行として運行された) JR後最後まで昼間の急行が残ったのは津山線ですが、これは上記条件を満たし、最終期は快速列車用と同じ車両を使用していました。最終期まで快速ではなく休校として運行していたのは、少ないとはいえ新幹線に乗り継ぐ出張などの利用者がいて、学生の利用とかち合わない方が好まれていたことと、地元自治体が「優等列車のない街」に抵抗を示していたと伝えられるからです。しかし、結局は特急化できる状況がなく、快速化されました。 急行は自由席で近距離、車両は普通快速にも転用できるもの、 特急は指定席主体で長距離、車両も特急用と棲み分けがされていた事が伺われました。 津山線の急行は快速化、そこそこの長距離ならばL特急化と云う風に成って行った事も伺われました。 >最後の急行は「はまなす」で青森-札幌の夜行列車です。もちろん、寝台需要もあり、寝台車もありましたが、函館発着などの区間利用需要も多く、座席車の需要もそれなりに多かったようです。その為、最後まで特急化(=寝台主体の列車化を意味する)できなかったようです。 廃止になったのは需要がなくなったというよりは、新幹線の開業により、並行在来線の一部を事実上の貨物線にするしかなかったことの方が大きいようです。 新幹線開業と云うのも大きい事が伺われました。 >で、急行が減っていったのは、ちょうど新幹線開業のころから見られる高度経済成長とそれに伴う国鉄利用者数の激減・赤字化が一因となっていると思われます。 まず、高度経済成長ですが、これにより道路整備も進みましたので、いわゆるマイカー時代に入りました。 そうすると、大都市圏の通勤需要は増え続けたものの、それ以外の中長距離移動や旅行需要の国鉄利用者数はどんどん減っていきました。 もちろん、一部では豊かになったけど車を持たない(持てない)層もいたので、そういう層は利用減を抑える効果はあったものの、利用者数を増やすことにまではつながりませんでした。 高速道路の発達でマイカーや高速バスの利用者も増えた事も大きいと思います。 >で、豊かになった分、急行よりは特急の利用を好むようになりました。 さて、どの業界でもそうですが、利用者数が減っていけば供給できるサービスは縮小化せざるを得ません。 利用者数が多ければ、上述のような特急と急行を運行してもどちらにも客が付きサービスが維持できます。 しかし、利用者数が多いところは新幹線に流れ、在来線利用者数が減ったのに加え、国鉄全体の利用者が減っているわけです。 そして昔に比べれば少なくなった利用者の多くが、特急を好むようになったので、列車本数を増やす際には特急を増やすようになるのは当然の流れです。 そのうち、急行の利用者はさらに少なくなり、ついには急行を運転できる余裕はなくなるのです。 その際に、当初は特急への格上げもありました。これは最初のころはサービスアップにもつながったのですが、のちには急行時代と大して変わらないのに「特急」となり、実質的な値上げではないかと言われたりもしました。 国鉄自身は否定しましたが、実際には、利用率の悪い急行を同じ時間帯を走る所要時間等は大して変わらない特急にしただけで利用者数が増えた例もあるので、実質値上げと同じ効果はあったようです。(当時、運賃値上げは国会承認が必要など手続きが複雑だったのに対して、料金は簡単に値上げできましたし、そもそも急行から特急への格上げは値上げ云々の承認とは別枠の話です。) ただ、特急としては知らせることができる路線は特急化しましたが、そうではないローカル線では、快速への格下げ、それすらされずに廃止というのもありました。利用者数の減少が激しいローカル線では、複数のサービスが提供できる状況でなくなってきたのです。 また、ローカル線の急行列車(見方を変えると近くの大都市への直通列車)が減ったのには、貨物列車・荷物列車を廃止・減便した為に本線への直通ができなくなった/しにくくなったというのもあります。 このように国鉄末期では乗客が減り、赤字が増える中で、急行の利用者を増やす対策をするより、特急化して利用者数又は収入を維持する対策をする方がまし(というかそれしかできない)となり、さらに急行が減り、JR時代に突入したということです。 急行は時代に即わなくなった事が伺われました。 詳しい御回答有難うございました。