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自身の能力を最大限に発揮せずにいるのは罪なのか?
- 人生は選択の連続であり、一つの選択が将来を大きく変えることもある。
- 私は優柔不断なので、自身の意思決定を明確にするために皆さんの意見を聞きたい。
- 自身の能力を最大限発揮できる状況において、それを発揮しないことは罪なのか?
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質問者が選んだベストアンサー
例を見る限り、「自身の能力を最大限発揮できる状況」の解釈が、何だか私とはズレてるなーと思います。というのも、どの例もそうした状況には当てはまらないように思えるからです。 例えば、健常者が自殺したことは、その人の能力の限界においてはそれが最適解だったのかもしれません。相手を助けることや、人類の存続に貢献することが、「自身の能力を最大限発揮」したと本当にいえるのか、大いに疑問があります。 失礼ですが、どの例も偏った規範的結論ありきの観点から「能力」というものを評価しているように見えるので、そこがズレているのだと思います。つまり、「自殺とは誤った行いである」、「他者を助けるのは当然である」、「人類の存続に貢献する義務がある」という前提からして、思想レベルでは議論の余地があるのに、そこを決めつけたうえで、「能力」とかいう曖昧なものを語っていることに違和感があるのです。 能力を最大限発揮する場合には、常に規範的な唯一解が存在するのでしょうか? それに向けて能力を発揮する行動をとった場合のみ、「能力を最大限発揮」したことになるのでしょうか? 数学レベルではともかくとして、現実の問題に対しては立場によって無数の最適解があるものだと思います。その最適解を得るために選びうる最適な方法を取ることを、「自身の能力を最大限に発揮すること」と私は定義します。そして、その最適解が規範に反する場合に、「自身の能力を最大限に発揮すること」は罪となり得るだろうと思います。 このように考えるなら、自身の能力を最大限に発揮しないこと、それ自体が罪とはいえないかなと。問題は結局のところ、そうすることが規範に反しているかどうかであって、能力を発揮したかどうかは関係ないのではないか、というのが私の意見です。
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罪ではありません。
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- atelier21
- ベストアンサー率12% (423/3293)
自身の能力の程度は 事前に推し量れない 過去人生過程に於いて 足らない処を如何に強くするかが 現在日々 将来事に当って どの様な行為&参加をする自分かを 常日頃心する 命がけで と良く聴くが 其の極限の場に立つことは 草々にはない 頭脳の中での シュミレーション 例に挙げられている場での自己? 徳義 義侠心 優しさ 義務感も それらの発露 罪とは何に対して
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- ryo_ Deathscythe(@Deathscythe)
- ベストアンサー率14% (515/3615)
別に罪にはなりません。 いくら回答しても明確になるとも思えませんし、ほとんどの場合「得も損もしない」ってだけではないですか? だけど優柔不断な人でなくともいざと言うときでも何も選べず両方失う場合がありますので決断すべきときの見極めは大事です。 その見極める時さえ決断する勇気がもてれば問題ありません。 要は「優柔不断よりいざという時肝が据わるかどうか」のほうが重要です。
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- inochi_bf
- ベストアンサー率7% (10/127)
罪かどうかは別として、生かされているものとしてすべきことをすることが正しい行いです。 ただ、その行動は人によって異なってきます。 なぜなら、すべきことは人それぞれ違うからです。 納得できなければ、「いのちの大流」を調べてみてください。
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ありがとうございました。参考にさせてもらいます。
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