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幼児のころから体験した苦難と依存状態についてご意見を
- 幼児のころから出産時の負い目を感じながら、言葉の暴力を受け続けました。家族とのコミュニケーションがなく、自己を見つけることが難しかったです。
- 周囲からは継子と言われ、中学以降は愚痴や他の悩みを話されることもありました。就職後は依存状態にあり、突然の家計の変化にも苦しんでいます。
- 今、老境に入り、自分自身の人生を整理したいと思っています。過去の経験と解決法について、皆さんのご意見やアドバイスをお聞かせください。
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もし片割れが死んだ話が本当であれば、生存の部分は生物学的に考えて、あなたには生き残る能力があり、片割れには無かっただけです。遺伝子として残る力が無く、淘汰された、そう思うべきでしょう。無理なものを無理に残しても問題があり弱い。逆に生きて産まれてもその後生き延びる力に欠けていた、そう解釈すべきでしょう。普通ならそれで終わる。そして生き残った子を大事にする、それが普通の母親です。 ひとつ考えられるのは、この人は妊娠中に自分の不摂生や不注意、何か思い当たる原因で死なせたと思っている(正しい正しくないは別問題として)、だから自分の心を傷つけないように代わりにあなたを傷つけて自分は生き延びた、その可能性。 あるいは何か重大な秘密を周囲に隠していた可能性。 あるいは本当の子供は死産で、その後あなたを迎えた可能性。 >「近所の人は継子と言っている」と言っていました。 人の言葉には意味があります。これをわざと言う事はそう思ってもらって結構、それぐらい嫌いだと言いたいのでしょうね。 あなたは大変だったと思います。母性をかけて育てていないのだから、あなたが情を感じないのは当然です。その時に一番有効な形であなたを利用したと言う印象ですね。これは母親の態度ではありません。しかし最後まで責任感で看取った、あなたはそういった厳しい環境でも人として正しいと思う事をして生きてきた、曲がらずに生き延びた、その強い遺伝子の力を誇りに思うべきです。普通に暮らしてもちょっとしたストレスで駄目になる人はたくさんいます。間違った方向に進んでしまう人も大勢いる。しかしあなたは手や時間をかけて教えられていないのに飲み込みが早いです。 私はたくさんの言葉をかけてあげたいですが、一番は、やはり生き延びた自分を誇りに思って大事にして欲しい、そこから生きていて良かったと思って欲しい、そう感じますね。頑張ってください。
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正直あなたの気持ちはわかりません。 ぼくには共感できないほどのつらい体験だし、 いくら正論やスピリチュアルなことを言っても響かないでしょうね。 ひとつだけ言わせてください。 あなたは好きなように生きていいんです。 過去がどうあれ、今のあなたは自由です。 それほどの体験を乗り越えたあなたなら、たくさんの人を励ませます。 胆力もある。 どんなに理路整然と話せる人よりも、あなたは心に響く励ましができるでしょう。 だから、自分は生きる意味がないとか、自分は人を殺したという負い目は もたないでほしいです。 ぼくは「死にたい」と思ったことは数あれど、今生きています。 「生きててよかった」と思うことは少ないけど、でも生きています。 「どうせ死ぬんだから、生きれるだけ生きてみっか。じゃないと死ぬとき損しそう」というよくわからない損得勘定(?)です。(笑) あなたも生きて、生きて、生き抜いてみませんか? この文章を読んで、今日、今だけでも生きる勇気をもっていただければ幸いです。
お礼
有難うございます、見えてなかった一面を、下さいました。 どんな時、環境でも、自然死が命を貰った人間の義務だと思っています。横になったまま終わればいいと思う時はありますが。 、 自分がどうしたいのか、思い出せなく、何も思いません、頭、心、空白←今一番困る事 潜在的に、どうも、パート先とか友人、他にストレスを感じている事はある様子、自覚は感じられないですが、大変な空腹感が襲ってくるので、多分です。 貴重なご意見、深く感謝、
- utyatopi
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おばさんです。 お辛かったですね・・・。 でも・・・お母様もお辛かったのだと・・・できることなら・・・許して差し上げられませんか。 お父様も早くに病に倒れられ・・・家計を支えるのと、お父様の看病と、家事と、仕事と、育児・・・。 きっと・・・心がもたなかったのだと思います。 頼りたいのに頼れず、愛情ももらえなくなり・・・愛し方さえ忘れてしまった<可哀想な人>・・・そう、受け入れて・・・許して差し上げられませんか。 無理にとは言いません。 どの言葉1つ取っても・・・とてもじゃないが・・・<許してあげて>・・・なんて・・・言えません。 でも・・・愛情を与えることも、愛情を与えられることも叶わなかった今・・・貴女が<貴女自身>という存在を確認するためにも・・・乗り越えて生きていかれるためにも・・・許して差し上げられませんか。 受け入れて・・・許すことで・・・依存に縛られていた人生を・・・<貴女自身>を取り戻されてください。 肩から荷物を降ろし、これからの人生を<貴女らしく>送られていただきたいと思います。 貴女は紛れもなく<愛されるべき>存在です。 そして・・・お母様も・・・、お父様も・・・。 <許す>ことで・・・貴女の<心>が許されますように・・・穏やかでありますように・・・心からお祈りいたします。
お礼
有難うございます。 質問してよかったと思う回答をいただきました。なるほどでした。 情がなくても、平気な私、変は私です。自分で自分を責めてしまいます。 亡くなる数か月前「あんたが、いないと生きていけない」と抱きついてきました、意識せず、体が硬直し、身を引く自分に驚きました。 会社と病院送り向かいと要望の買い物、肉体的にくたくたでした。憎んだ事はないと思います。 「死んだ子はいい子だったわよね」と私の友人に話してたそうです。 この世で自分が、誰にも愛情を持たなかった事がきになり、依存を受け入れた前の自分が思いだせません、 困りごとです。 大変な方々は大勢いらしゃると思っても、何か崩せません。 良い考えのご提供感謝いたします。
お礼
有難うございます、洞察力に感服いたします。聞くところによると、お産が始まった(予定日10月10日で生まれたのは8月9日)前夕、近所の納谷から火がでて、バケツリレーをしたと聞いています。(お腹は目立たなく、心音がずーっと1つだった。) 子供の目でも、そつくりではないが、父の顔でした、深刻とか重くではありませんが、本当の子でないと頭をよぎった事も(日常の種々の出来事から)。 8月うまれ翌3月に東京に来てから初めて19才の時、出生地に行きました。お産婆さん・近所の方々が「生きてるか?」と見に集まってきました。 現在は他人も身内もみんな他界、調べらられません。 15才頃から、「やはり、わたしは、殺したのかな?」と思うようになり、依存を受け入れ、自己をすて、 今、見つからない、考えても、頭も心も空白、自分にごめんなさい。 回答をいただく事がどんなに力の元になってゆくか、本当に感謝です。