母が亡くなった時は何の感情もなかったです。涙も出なかったです。
最期の日、意識がなくなったとき、母はベッドの柵を枯れ枝のようになった手で固く握りしめていた。
たぶん母は、生にしがみついているというか、自分が死んでしまうことが怖かったんだと思います。
ほんとうは冷たいベッドの柵ではなく、誰か家族の手を握っていたかったのかもしれないです。
でも、私はベッドの脇にいて、母のその手を握ってやることもなかったです。
私は数年前から精神科で療養中です。
子どものころ母に対して抱いていた恐怖とか怒りとかの感情が、私自身気づくことなく私の心の中に消えずに残っていて、その恐怖とか怒りのせいで他人とうまく付き合うことができずにいます。
その恐怖とか怒りとかの感情は返すべき人(私の場合は母)に返さなければ決して解消されることはなく、私の症状もよくはならないということです。
母が生きていれば、私は小さいころこんなことが嫌だった、こんなことが悲しかった、こんなことが辛かった、私はこう思っていたのよ、と母に向かって言うこともできるでしょうが、相手はもうこの世にはいない人です。
母から植えつけられた恐れとか怒りとかの感情を返すこともできません。
母は病死だったので亡くなったことについては何の感情もなかったですが、自分の発言がきっかけになって母が自殺したのならば、たぶん、私は今よりもっと苦しんでいたかもしれないと思います。
病死にしろ自殺にしろ親御さんが亡くなってしまえば、殺したいほど憎いと思っているその感情を私のように返すこともできなくなります。
どんなに憎くても親御さんが生きておられる間は、ご質問者さまはまだ救われこともあると思います。
お礼
回答ありがとうございます 生きてる間に気持ちは 伝えといた方が良さそうですねー。 スッキリさっぱりとは なかなかいかないもんですね