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心の基礎体力とかいうの。
が、欲しい精神病の患者です。 やらなければならないこと、はまだわかりますが、しかし自分がやりたいこと、好きなことでもすぐに疲れてしまって、飽きて、そっぽ向いてしまいます。持続どころか、最初からそのやりたいことに取り組むことが出来ないです。 自分が大嫌いだとか色々と生きててストレスがかかってるんで、その上発散だ回復だをできる「休憩」の仕方も下手なのかできてないのか分かりませんが、医者と自分の見解曰く「日々臨戦態勢みたいな感じで気を張ってて、息づきもできてないから、疲れ抜けてないし、疲れがどんどん生み出されていってる」のでは? というところにたどり着きました。 ので、こんな凄い不器用な自分にもできる休憩の仕方と、その後の物事に対する心の体力を養いたいのですが、何か提案はありますでしょうか。 ちなみに休憩方法は、例えば半身浴だとか運動だとかおいしいもの食べる云々ってのは、ダメです。半身浴しても汚れが落ちるだけだし、運動しても疲れるだけだし、おいしいもの食べても満腹になるだけです。そこに快感とかがないので、回復も発散もできないです。 よろしくお願いします。
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ご返信ありがとうございます。No.19です。 >本や資料を調べていく中でも、医者からもそのような話を聞いたと貴方が仰ったんじゃないですか。 本も資料も医療関係の存在。そう思っても不思議はないですが。 関連した話を一括りで受け取られる可能性があったのですから、こちらに手落ちがあったことを認めます。しかし、ネット上のことですから、回答中で名前を挙げている著作者の方々には迷惑を掛けたくないので、誰の発言であるのかという点についてはハッキリとさせておきたかったのです。 話を蒸し返して申し訳ないのですが、ともかく、「クロスワードパズルとルービックキューブに関しては、No.5でご紹介した本からの情報ではない」のです。 ルービックキューブの効果(空間認識能力)については、ごく最近耳にした話ですが、その根拠は前述の回答で書いた通りですので省略します。 クロスワードパズルや日記、俳句などについては、ご紹介した本を読むより前に得ていた情報なのです。これらの効能の信憑性については息子の今の主治医ではなく、最初の病院の主治医から確認したことです。(当時の先生も小児神経科医で、てんかんや多動症の専門家なので脳についてなら先生に聞けば間違いないだろうと考え、質問することにしたのです。) 母が認知症を患って間もなかった頃、実家が遠いので付き添いが出来るわけでもなく、なかなかその方面の専門医と話をする機会がなかった私は、メディア情報に対して根拠を求めたくて、息子の主治医に「新聞などでは、クロスワードパズルや日記が認知症の症状の進行を抑える効果があるとありますが、本当でしょうか? なぜ、効果があると言われているのでしょうか?」と質問しました。すると、先生は、「認知症には“想起することが良い”のです。“想起すること”が前頭葉の活性化に繋がるので、認知症の進行を遅らせる効果が期待できるのです」と返答してくださったのです。 特に先生は日記を勧めていて、息子にも日記を書くように指導していました。 日記については今も前頭葉の活性化という点で支持する意見が多いと思います。 そういった過去の経験と、この質疑の回答を書く動機付けにもなった『非定型うつ病のことがよくわかる本(健康ライブラリー イラスト版)』には、「前頭葉がやる気を司る部位である」ことが書かれていたので、それらを踏まえて、前頭葉の活性化について話を進めることにしたのです。 その話題の一つとして取り上げたのがクロスワードパズルだったのですが、「クロスワードパズルそのものに関しては、今の主治医とご紹介した本の著作者とは無関係なので、そこのところを どうぞご理解願います」。 それと、前回話題に出した『生命38億年スペシャル 最新遺伝子ミステリー“人間とは何だ…!?”』の件ですが、文字数制限上、詳細は書けなかったので誤解のないように補足します。 ここでは「達成感+コミュニケーションがやる気を引き出し、前頭葉の働きを高める」という方法として料理や掃除ではなく、「視覚+聴覚+動作」を取り入れたゲームを紹介していて、そこに会話が加わることで、より活性化が促されるという話をしていました。 _________ >開ければ一気にあの日のように酷い状態へ元通りになる。これは回復とか言えません。陰ながら重症なんですよ。 ネットだと情報が多すぎるから余計に訳が分からなくなるのでは…。 対面だと、すれ違いがあれば、その都度気が付いて修正が可能ですが、文章だけだと そこが難しいですよね。 情報量をセーブできるように、自分で専門書を読んだ方が良いと思います。 本ならば解らないところは再度読み返せますし、話の論点がずれてしまったり、一方的に置いてけぼりになったり、話がどんどん解らない方に進んだりはないですよね。 自分のペースで進められるし、気遣いはいらないので、読書の方が心理的な負担が少なくて良いと思います。 (それもあってNo.5では本を紹介したのです。1と2なら内容が重くないので抵抗なく読めると思います。) >>非定型鬱病のように良いことがあれば気分が明るくなるタイプの鬱病なのではないでしょうか。 >じゃあただの気分が浮き沈み激しいめんどくさい甘え者とおっしゃるのでしょうか? そういうことを言いたかったのではないのです。 希死念慮が強く、常に自罰的で、何があっても元気が出ないタイプの鬱病(定型鬱病)ではないようだから、前向きな気持ちを利用して回復を促すことが可能に思えると言っているのです。 No.5でご紹介した“『非定型うつ病のことがよくわかる本(健康ライブラリー イラスト版)』 講談社/貝谷 久宣 (監修)” ですが、この本のサブタイトルは、“「きまぐれ」 「わがまま」と誤解を受ける新型うつ病のすべて”です。 非定型鬱病とは、もともと我儘な人がなるのではなくて、むしろ、ずっと言いたいことを我慢して来て、他人の顔色を窺い、人と調子を合わせることで自己主張を抑えて来た人が掛かる病であるといったことが、この本には書かれています。 上記の本に載っていたことではありませんけれど、定型鬱病と診断された人でも回復してくると非定型鬱病のような病態になる人もいたり、最近では定型鬱と非定型鬱、どちらも混合しているようなタイプの人もいると言われて来ています。 単純に我儘というより、今の時代の速さや多様性についていけない人が増えているので、鬱病の病態も従来通りにはならなくなって来ているという意見もありますね。 非定型鬱病については、リンクを貼っておきますので、ご参照ください。 【非定型鬱病】http://www.fuanclinic.com/byouki/karada.htm http://www.fuanclinic.com/byouki/gakken.htm 【非定型うつ病のことがよくわかる本】http://www.amazon.co.jp/%E9%9D%9E%E5%AE%9A%E5%9E%8B%E3%81%86%E3%81%A4%E7%97%85%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B%E6%9C%AC-%E5%81%A5%E5%BA%B7%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%88%E7%89%88-%E8%B2%9D%E8%B0%B7-%E4%B9%85%E5%AE%A3/dp/4062594285 _______ >じゃあ俺が生きやすい世界を作るために自爆テロを起こしてもいいということですか? 本気で言っているとは思えません。 やけくそで言われても困ります。 アスペルガーで精神疾患もあるから、こんなことをしてしまったんだと憐れまれる。 …それは、あなたが一番嫌なことなのではないですか。 発達障害とは、みんなそうだとハンコを押されるのも嫌でしょう? アスペルガーと言っても 皆が皆、著名人のような特徴を持っているわけではなく、特徴の現れ方は個人個人で違っているのですが、アスペルガーに起因する特徴として、あなたの場合は次のような事柄があると思われます。 ------------------------------- ◆「人に言われたことを忘れてしまうから必要に応じてメモを取らなければならない。一度に難しいことを言われると理解できないので、テーマを絞って話を進めてもらう必要がある。口頭の会話よりも文章でのやり取りの方が意思疎通が取りやすい。幾つもの解釈が成り立つ話は理解し辛く、仕様書のように一つの答えに結び付く説明でないと相手の話を完全に理解することが出来ない。」 ◆「一番困ること、それは相手が望むように瞬時にコミュニケーションが取れないことである。」 ------------------------------- 上記の◆のところは、何度も何度も繰り返し読んでください。 私があなたに宛てて書いた回答中で最も大切なことだと思っています。 なお、これらのことは、あなたから積極的に相手に伝えなければならないと思います。それは、外見では判別できないし、少し話しただけでは相手には解らないことだからです。 記憶の定着が上手く行かないのはワーキングメモリー(簡単に言ってしまえば脳の中のメモ帳のようなもの)に問題があって、短期記憶の容量が小さいことが考えられます。また、過去の振り返りがきついのも、脳内にある記憶の多くが長期記憶で占められているから、印象的だった辛い出来事ばかりを思い出しやすいことが考えられます。 記憶の上書が早い人(ワーキングメモリーの容量が大きい人)ほど、脳内にどんんどん新情報が送り込まれてくるので、過去を振り返ってクヨクヨすることは少ないのですが、発達障害があると、ワーキングメモリーが弱いので記憶の上書が上手く行きづらく、過去の記憶に心が占められやすいという特徴があります。 ですから、失敗体験を繰り返さないように工夫することが、辛い過去の振り返りを少なくすることに役立ちます。 ですから、以前も申しましたように、ともかくコミュニケーションを上手く取れるよう、メモやメールを駆使することを考えた方が負担は少なくなると思いますし、大切な話は文章にしてもらえるように、自らが積極的に伝えて行くことだと思います。
ご返信ありがとうございます。しかし、ANo.15~18の補足は結構です。 こちらから疑問に応える形で発達障害の診断に関する現状と、本来の専門医は小児神経科医と児童精神科医であるという実情について返答しましたが、一度に言われても難しいと思いますので。 こちらに関しても同様で、返信がなかったとしても不服は申しませんし、私も、もうこれ以上はループするだけで、返事は出来ても回答は書けない思っています。 ただし、上記だけだと意見表明になってしまうので、もう一度回答します。 ______ ・消えてなくなりたい気持ちがいつも消えないのが鬱。 ・消えてなくなりたい気持ちを押し留め、 周囲に自分がいなくなったら困る人、悲しむ人がいるから、 なんとか生きているのが鬱。 ・カタログも新聞も手に取れないほど、 思考能力も意欲も下がってしまうのが鬱。 ・エネルギーが枯渇した状態で必要最低限の関わりしかできないので、 新たに人脈を開拓する気力がなく、 ネットで人と関わることさえも思いつかず、そうしようとも思えないのが鬱。 それらが正真正銘の鬱(昔ながらの定型鬱病)と考え、ここで質問できる以上は、それほど重症とは思えず…。でも、それはこちらの思い込みで、そうとう悪い状況だったのかと申し訳なく思っていましたが、質問を更新なさっていますよね。鬱ということだけで捉えるのなら、そういうエネルギーがあるのだから、仰るほどには重症だとは思えません。 なんと診断されているのか解りませんが、ここで投稿したり、興味関心があることなら出来るということなのですから、ご質問者のは、非定型鬱病のように良いことがあれば気分が明るくなるタイプの鬱病なのではないでしょうか。 だったら、「自分で出来ることをやる」の繰り返しで良いと思います。 「絶対に出来ないような難しいことではなく、自分でも続けられること、自分でもできることを書き出して、実行に移す」これだけで良いと思います。 体調管理でも良いし、簡単な掃除でも構わないし、朝の散歩でも構わないです。 ここ、強調します。↓ 【自己管理できているという感覚が一番大切】だと思います。 【「今日は何もしなかった、何一つ実りがなかった」そんな風にならないように、何か目標を定めて、根気よくやり遂げる。その繰り返しで、自信は少しずつ取り戻せる】ということ、 やる気の持続には【コミュニケーションが必要である】ということです。 ______ 再度載せますが、No.15でご紹介しました下記の参考リンクですが、診断材料としてのMRIや脳波についても触れていて、アスペルガー当事者の記述でもあり信頼できる内容だと思います。私とのやり取りで浮かんだ疑問も、参考リンクの記述を読めば、ほとんど消化できると思います。 【アスペルガー症候群の診断】http://www.geocities.jp/johnhealing/aspergershindan.html ただ、遣り取りしていて気になったのは、ご質問者は「万人に当てはまる答えを物凄く欲している」ように思えたことと、「一度に情報を与えられると、誰の発言なのか解らなくなるところがあるのでは?」いうことです。 そういうことであれば、ネットでのやり取りだけで答えを得るのはとても難しいですから、“メールやメモを駆使してでも、実生活で直接対面できる人たちとコミュニケーションを如何に上手く取って行くのか、それがご質問者の今後の課題” だと思います。 ______________________________ ~直接の回答は上記までで、ここからは追記です。~ 全体を通しての雑感として受け取っていただくことで充分ですし、読むのはいつでも構いません。もちろん、返答の強要は一切ありません。 私がクロスワードパズルの効能について最初に情報を得たのは新聞記事です。 母が認知症を発症した頃に、前頭葉を鍛えられる認知症予防として、精神科医が紹介するという形で載っていました。 私は、この質疑中のNo.6でも次のように書いています。 >前頭葉を鍛える術について幾つか書き出しましたが、これは身内が認知症になったときに、様々な記事や本や報道を見ましたが、どれも見解が一致していますし、実際にグループホームなどでも、歌を歌ったり、折り紙を折ったりなどが奨励されていますから、これに関しても成果が実証されていると思います。 確かに、ご指摘通り情報としては古かったのかもしれないです。 今でもメンタルクリニックなどで作業療法として採用しているところがありますので、効果があるクライアントも確かにいるのだろうと思っていました。(これらに関しては作業療法士が書いた記事という形でも、病院の紹介という形でもヒットします。) とはいえ、それが今もって主流であるとは言えず、ご質問者が仰るように一昔前のものとして効果については見直しがされて来ているのかもしれないです。…実際、そういう記事をご覧になった上での疑問でしょうからね。 ルービックキューブについては、航空管制官の採用試験にも空間認識力を問う形で図形問題として出てくるので、今のところ、ルービックキューブを解く力と空間認識力の関連性については肯定されていると考えられます。“空間認識力 ルービックキューブ”で検索すると、結びつけた記述が多いことも確認できると思います。 だから、クロスワードパズルとルービックキューブ、どちらについても単純な思い付きで勧めたわけではないのですが(スポーツは嫌だと仰っていたので話題の一つに挙げました)、抵抗があるのでしたら、どちらも候補から除外してください。 最近では一人で部屋に籠ってすることよりも、散歩したり会話することの方が前頭葉の働きが高まるからと そちらが推奨されていますが、ご質問者が体を動かしたり、会話が苦手で気が進まないのなら…どうなんでしょうね? しかし、「それでも効果が高いならと、会話や散歩を積極的にやってみたいと思うなら、それが正解」だと思います。 正解とは人に出してもらうのではなく、自分で出すものなのです。 自分でやりたいと思い、やり遂げ、効果があるのならば正解なんです。 諸々のことに不信感を抱いていて、何一つやり遂げたことがない感覚に囚われている間は空事にしか聞こえないでしょうけれども、それを潜り抜けないことには、いつまでも正解には辿り着けないとだけ申しておきます。 ** 前回は こちらの気の所為かと思い、直接問うことをためらいましたが、ご質問者は「息子の主治医やNo.5でご紹介した1~4までの本の著者でもある精神科医の方々が、クロスワードパズルやルービックキューブを前頭葉の活性化を促すゲームとして推奨している」と受け取っていらっしゃいませんか。 でも、私はそういったことは書いていないのです。 No.5でのやり取りを転載しますが、 ---------------------------------- >貴方がこの情報を得たというその本、確かなものですか? ご質問から少し飛躍すると思いますが、ネットを長時間やると発達障害の症状を重くしたり、発達障害者がネットにのめり込みやすい性質を持つがために、鬱を発症すると治りにくいというのは定説と考えてい良いと思います。 これは精神科関係のメディアでは、よく取り上げられていて、精神科医が著した次の本にも書かれています。(以下略) ------------------------------------ という流れでしたが、最近のご返信を読むと、こちらには、まるで息子の主治医やご紹介した本の著作者が、クロスワードパズルやルービックキューブを推奨していると思える内容に受け取れるのですよね。 身内が認知症になったときに得た情報と、ご紹介した本で得た情報の全てが同じではないし、同時期の出来事でもないのです。ご紹介した本の方が情報としては新しく、方向性も異なるものなのですが、ここでのやりとりだけだと私の私生活を知らないご質問者にとっては同時期の出来事で同一のテーマであるように受け取られたのではないでしょうか。 ただ、どちらの情報にも言えることは、前頭葉の働きが低下すると、やる気が損なわれるということが一致していました。ご紹介した本では、どれにも共通に言えるのは、前頭葉の働きを妨げる悪習慣を取り除くことが大切であるということです。その中でも『非定型うつ病のことがよくわかる本(健康ライブラリー イラスト版)』 講談社/貝谷 久宣 (監修) では、掃除と料理をすることが特に勧められていました。 掃除をすれば、視覚的にも効果がはっきりしていて達成感を得やすいこと、料理については、作業の段取りを考えることが直接 前頭葉を刺激するといったことが書かれていて、ともに自分の為になるだけではなく、身近な人からも感謝されるので効果が高いという趣旨で書かれていて、「達成感+コミュニケーションがやる気を引き出し、前頭葉の働きを高める」そういった話でまとめられています。 先日放送していたTBSの『生命38億年スペシャル 最新遺伝子ミステリー“人間とは何だ…!?” や、 リンクするには手続きがいるので直リンクは出来ませんが、 ttp://www.認知症症状.com/prevent/ の 『脳を活性化させること(脳の予備力』と『人との関わりを大切にすること』これなどにも同様のことが書かれています。 私見&総括になりますが、「達成感+コミュニケーションがやる気を引き出し、前頭葉の働きを高める」というのが今、最も着目されている方法と考えられます。
お礼
今は薬の効果で落ち着いてるだけかもしれません。 ですが、臭いものに蓋なんですよ。開ければ一気にあの日のように酷い状態へ元通りになる。これは回復とか言えません。陰ながら重症なんですよ。 >非定型鬱病のように良いことがあれば気分が明るくなるタイプの鬱病なのではないでしょうか。 じゃあただの気分が浮き沈み激しいめんどくさい甘え者とおっしゃるのでしょうか? >正解とは人に出してもらうのではなく、自分で出すものなのです。 自分でやりたいと思い、やり遂げ、効果があるのならば正解なんです。 諸々のことに不信感を抱いていて、何一つやり遂げたことがない感覚に囚われている間は空事にしか聞こえないでしょうけれども、それを潜り抜けないことには、いつまでも正解には辿り着けないとだけ申しておきます。 じゃあ俺が生きやすい世界を作るために自爆テロを起こしてもいいということですか? >という流れでしたが、最近のご返信を読むと、こちらには、まるで息子の主治医やご紹介した本の著作者が、クロスワードパズルやルービックキューブを推奨していると思える内容に受け取れるのですよね。 本や資料を調べていく中でも、医者からもそのような話を聞いたと貴方が仰ったんじゃないですか。 本も資料も医療関係の存在。そう思っても不思議はないですが。
No.17です。 先の回答で「ハウス子供劇場 (前身はカルピス子供劇場)」と書いてしまいましたが、ハウス食品が番組のスポンサーだった頃は、「ハウス食品世界名作劇場」が正しい番組名でした。 番組名は度々変更しているので、この箇所は通称の「世界名作劇場」に訂正させてください。 【世界名作劇場】http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%90%8D%E4%BD%9C%E5%8A%87%E5%A0%B4 ______ 参考リンクには各作品の視聴率が載っていますが、「ロミオの青い空」が意外に視聴率が低いのが残念です。 世界名作劇場の作品全てを観ていた訳ではありませんが、ストーリー構成や登場人物の心を丁寧に描いているという点で、同番組中では「ペリーヌ物語」と並ぶ名作だと思います。(「ペリーヌ物語」は全体で二部構成になっています。ストーリー前半は旅をテーマにした一話完結の話が多く子供向けな内容のものが多いですが、目的地のパリに辿り着いてからの後半は登場人物一人一人の心理を丁寧に描いた、大人でも充分楽しめる内容になっていると思います。)
お礼
ご回答有難うございます。 しかし、今、気分が落ち込んでいて、長い文字見ると、俺はあとどれくらいこれを見て理解したり考えたりしなくちゃいけないんだろうって、それほど俺は重症なんだって、というか俺にこんなに沢山覚えられないし、わからないだろうって、嫌になってきました。 何かあればまた補足で伝えます。ご回答有難うございました。
当初は一週間以内に返信をと考えていたのですが、時間が取れたのでNo.13の件に関して返答させていただきます。 >さっさと転職した結果も失敗でした。自分の体調についても、俺の性格についても、俺の第一の失敗から付加したあり方についても。 仕事云々より、俺は何故ああも行ってはいけない職場に就職したのか。 >サインに気づけではなく、自分の体調や立場、性格に気づけというほうが先でした。 第一の失敗の意味が解らないのですが、就職先の選択を誤ったということでしょうか。自分の適性を理解できていなかったということでしょうか。 過ぎたことですが、どちらもということであれば仰る通りだと思います。 社会に出る前に出来るだけ多くの人に関わって、バイトを幾つか経験しておくと自分の適性の把握に役立つと思いますが、経験自体が少ないと自分で自分を理解できていないということが起こりますね。 >怖いんです過去を振り返るのが。でも一人で振り返るしか無い。カウンセリングの三十分では振り返る時間が短い。ネットの繋がりも意味ないくらいに遠いものだから、俺一人がしないといけない。 何故怖いのか知りません。俺の責任であることが認めるのが怖いのか、でも俺はそれは違うと思います。一理あるかもしれませんが、それだけじゃない。俺は過去自体が怖いんです。 発達障害の診断を受けた人は、過去の失敗は発達障害に起因するものであったとホッとする人がいますが、ご質問者の場合は、そうはなっていないのですね。 ご質問者がアスペルガーだと診断されたことに間違いはないものとして話を進めますが、カウンセリングでは過去を振り返ることが推奨されているのでしょうか? 発達障害者の多くは過去のネガティブな出来事を何度もフラッシュバックしては、トラウマを深めて行く傾向が強いと聞きますが、ご質問者もそうなのであれば、過去を語るのなら ただ語るのではなく、違った視点で捉え直すことをしなければ、自分やその出来事にまつわる人を何度も罰しているだけで、苦痛を深めてしまうだけだと思います。 その出来事に遭遇した自分を許したり(そのときは自分も相手も今より未熟だったし、経験が浅かったから対処法を知らなかったのだと受け止めるなど)、今の自分ならどうやってその出来事を回避したり、立ち向かっていけるのか、そういった視点で捉え直す訓練がカウンセリングでは充分に出来ないので、振り返りが辛いのでしょうか。 自分自身を振り返ること、これは確かに大切だけれど自分のことはなかなか客観視できないので、映画や小説などジャンルは何でも構わないのですが物語を多く観たり読んだりした人の方が、それがない人よりも客観視という作業が上手く行くと思います。 遠回りなようですが、一旦自分から離れて自分と他人を捉え直すこと、これも過去を振り返るのに役立つと思います。 子供の頃の絵本の読み聞かせが大切だとよく言いますが、あれは、ただ読むだけではなく、子供と意見を交わすことで親がナレーションをする役回りにもなっているし、親子が一緒にテレビを見ることのメリットも、そういったところにあります。 家族が意見交換しながら一つの物語を見るのなら、これも立派なコミュニケーションです。推測ですが、ご質問者の場合、生来のことだけではなく、そういった経験自体が不足していたのではないでしょうか。 アスペルガーはコミュニケーションの障害と言われていますが、そういう人にはNHKの朝ドラや、昔のアニメになりますが、ハウス子供劇場 (前身はカルピス子供劇場) のようなナレーション付の物語を見ることが、自分を客観視するのに役立つし、相手の立場を考えることにも役立つと思います。 そんな風に、自分一人の力で見るよりも、ナレーションの力を借りた方が人との関わり方について学びやすいと思われます。 >ストレス発散になれば嘆くだけ嘆いて今はもうスッキリですよ。そうでないから今なんです。 自分でも飽きてネタがなくなるほどに嘆きまくる、そこまでしないと嘆きは途絶えないものだと思います。嘆きの最中は、いつになったら底まで辿り着くのか解らない、底なし沼のようなものですよね。 >小説書く目的は「架空の登場人物というフィルターを設定し、俺を投影することで、いわば俺を他人のように扱うことで、思い出される苦しさ悲しさを分断、分割し、俺の心労を軽減させること」があります。伝われば幸いです。 小説ではありませんが、子供の頃から高校生まで(成人してからはほとんどないですが)油彩画やイラストの他に漫画を描いていたので気持ちは解ります。 >それに世の中に送り出したとして、貴方の場合はそれに責任を持てますか? 何が起きても耐えられる心を持っていますか? 自伝は自分の瓜二つな存在のようなもの、それを叩かれるということは自分自身を攻撃されるも同じです。 世に送り出せるほどに完璧に書き上げれば、もう何も振り返ることはないのではないでしょうか。送り出すという気概がなければ、ただの落書きになってしまうし、そこまで思い詰めなければ、多分、書いたものはゴミ箱行きだと思います。 書き上げる動機付け、これがなければきちんとしたものは書けないのではないですか。世に送り出すか出さないかは、しっかりと書き上げてから考えれば良いことです。 書き綴っていれば苦しいこともあるでしょうけれど、客観視できることもあるし、自分に対しても他人に対しても許せることが見つけられると思うのです。それでも許せないことは残るでしょうけれど、心の中の整理整頓には役立つと思います。 ノートに向かって書き綴っている間は、ネットで少しずつ誤魔化したりぼかしたりしながら表現するのとは違って正直な自分の気持ちと向き合えるし、ここでの投稿のように見ず知らずの人の目に触れたりすることはないし、削除されたり、誤解を受けたり、逆に消し去りたいのに残ってしまうということもないのです。 だから、あなたには書くことを勧めたのです。 書いて書いて書きまくって、全てを吐き出せば良いと思ったのです。 それに書き綴っていれば、あなたが他人に自分のことを伝える適切な表現が思い浮かぶこともあると思うんですよね。 書いていると、頭の中であれこれ思うよりも思考が纏まりやすくなる、そう思いませんか。 >我が道行くことは、どれほど恐ろしいことか しかし、あなたは、ここで度々自分がどれだけ不器用な人間であるかを明かしています。不器用な人は他人に合すことよりも、自分を表現できる分野で生き延びることを考えるのが良いと思います。 自分が生き延びる分野を探して進むこと、これも我が道を行くことになりませんか。 余談になりますが、アスペルガーとADHDの特徴について書かれた専門書を読むと共通した点は多いですが、確実に違うと思うのは、アスペルガーは唯一の答えを求めたがる傾向が強く、ADHDは多様性を好むような気がします。 アスペルガーは世の中の多様性に振り回され、ADHDは多様性を好むが故に締め付けが苦手である、そんな印象があります。 専門家はどう見るのか解りませんが…。 結局、どんな人も最後の最後は自分らしく生きるよりないのでは。 自分らしく生きていないと病になるし、再度、病になりたくなければ、ある程度は自分を解放しないと また病んでしまいます。 緩め方が難しのですがコツは、真面目なだけではなく少しだけ我儘になることを自分に許すことじゃないでしょうか。
お礼
ご回答有難うございます。 しかし、今、気分が落ち込んでいて、長い文字見ると、俺はあとどれくらいこれを見て理解したり考えたりしなくちゃいけないんだろうって、それほど俺は重症なんだって、というか俺にこんなに沢山覚えられないし、わからないだろうって、嫌になってきました。 何かあればまた補足で伝えます。ご回答有難うございました。
No.15の続きです。 息子のLDを診断した医者は別の先生ですが、今の先生は前任の先生が転勤する際に後任者として推薦してくださった先生で、とりわけLDについて専門に勉強した先生なのです。 今の先生も前任の先生も、子供の発達障害の専門医で、前任の先生のときは、先生の勧めで息子は作業療法を受けていました。 作業療法を受けることで物を見ているときの癖や考え方の癖、話し方の癖を確認したり、聴覚情報と視覚情報、どちらのほうが処理するのが得意なのかを確認したり、簡単なゲームを通して特性の確認もしていました。 私はここで やる気を引き出す話をするときに、前頭葉の働きを高める為の方法を幾つかしましたが、これは息子に作業療法が有効であったことも関連しています。 息子の場合はクロスワードパズルやルービックキューブはやっていませんが、よく似た二つの絵を見比べる間違い探しや、方眼紙上に掛かれた点を結びながら お手本と同じ絵を描き上げたり、お手本の絵を見ながら一筆書きで書き上げるというのをやっていました。 作業を通して能力の何が欠如しているのかをみつけることも目的だったと思いますが、集中力や観察力を高めること、分析力や構成力を高めることが目的だったのだと思います。決められた時間内で課題が出され、その課題を作業療法士が評価して行くのですが、傍から見ているこちらにも、息子が何に躓き、何に困っているのか、どういう風に物が見えているのかが理解できるので、これは意義のあることでした。 息子が中2の頃だったと思いますが、作業療法士から「作業療法を通して教えられることはもうないし、到達度に関しても問題はなく、あとは単調な作業の繰り返しになってしまうので、これ以上はこちらで指導出来ることはありません」と言われ、今は作業療法は受けていません。 しかし、作業療法を受けているときは得手不得手がハッキリと確認出来ましたし、問題が解けたときの達成感を当人が感じていた、これは大きな収穫でした。 成果が目に見えて分ること、これがあったから、息子は作業療法を続けることが出来たし、苦手な勉強に対しても意欲を向けることも出来、自分から創意工夫をもって取り組もうという気持ちにもなれました。 しかし、作業療法を大人がして傍らで作業療法士から褒めてもらっても、自尊心の回復には役に立ちづらいと思います。だから、発達障害の治療には早期療育が肝心だと言われるし、大人が治療を受けることに疑問を持つ人もいるのだと思います。 けれども、「大人の場合でも目に見えて成果の見えることを続けることは大切なことであることには変わりない」と思います。 だから、「趣味を持つことは心の栄養であり、やる気を引き出す土台作りにもなっている、というのが私の回答の趣旨」です。 ご質問者と私とでは考えが違うと思いますが、私は趣味を持ったり打ち込んだりが一切叶わなかった時期に 重い鬱状態になり、自信喪失を深めるという悪循環を作り出してしまったので、そういった経験から回答をしました。時間に追われていても、心の栄養は休養と同じぐらい必要だと思うのです。 ______ No.13のご返信の件に関しては、またの機会に返答したいと思います。 なかなか時間が取れないという現状があり、適当に返事して良いことではないし、時間を見つけて書き込めればなと思います。 締め切りはご質問者が決めることですが、一週間ほど開けていて下されば返信したいと思っています。
お礼
ご回答有難うございます。 しかし、今、気分が落ち込んでいて、長い文字見ると、俺はあとどれくらいこれを見て理解したり考えたりしなくちゃいけないんだろうって、それほど俺は重症なんだって、というか俺にこんなに沢山覚えられないし、わからないだろうって、嫌になってきました。 何かあればまた補足で伝えます。ご回答有難うございました。
No.13,14です。反論ではなく参考意見としてお読みください。 誤解を与えてしまったようなので再回答です。 なお文字数制限に引っ掛かったので、申し訳ございませんが、投稿は二回に分けます。 >クロスワードもルービックキューブが頭に良いということも (中略) 聞いたこと無いし、知らないと言ってました。 >カウンセラー曰く「ルービックキューブが鬱に良い、頭脳に良い」という話をどこかの外国の研究所では発表されていたような、そうでないような」という感じでしたね。上記でも説明してます通り、貴方が太鼓判を押してくれた意見は、精神科の方たちの中では「あまり聞いたこと無い。少なくとも定説ではない」そうです。その医者曰くなので、他はどうか知りません。 私の回答が「クロスワードパズルとルービックキューブの効能に太鼓判を押している」というのは語弊があります。 これらが誰の鬱症状にも直接働くとも言っていないのです。 もし、これらが苦手で大っ嫌いな人ならば、無理矢理やっても効果があるとは思えませんので…。 このご質問が「やる気の出し方」だったので、「何か日常の合間に出来ることを見つけて達成感を重ねて行けば、前頭葉の働きが上向きになるので、それには前頭葉に直接働きかけるゲームや動作を取り入れることを採用するのが良い」と私は言っているのです。 もう一度よく読んでほしいのですが、私は、この質疑中で前頭葉の活性化に役立つと言われているものを幾つか挙げましたが、どれかだけを強力に推し進めたりはしていないのです。クロスワードパズルに関しては、この質疑や最新の質疑でご質問者が気に掛けていらっしゃったので度々返答していましたが、クロスワードパズルが万能だと言いたかったのではないのです。 候補を幾つか挙げた理由ですが、それは その人その人に向き不向きがあるからであり、「達成感という喜びが感じられなければ苦痛でしかないから、候補として挙げたものの中から、あなたの感性に合うもの、これなら続けられると思えるものから取り掛かってみて欲しい」と、そういうスタンスでの回答なのです。 >貴方のご子息様は、その医者の言うことや、貴方が調べた情報のやり方でも大丈夫ではないかとは思います。 主治医は何かを無理に推し進めることはしません。 息子は根明なのもあり精神的に安定しているので、特にこれをしろとも言われていません。 ただ私には、「当人が興味関心を持ったことは、どんどんやらせて欲しい」と仰っています。(そのことによって適性がハッキリするし、本人の主体性を尊重することは、やる気の持続と自信に繋がるからだと私は解釈しています。) また主治医は息子に、「夢を叶えるためには苦手なこと(今の息子の場合は学問)から逃げないで、正念場を意識しなければならないときがある」のだと、忠告してくださっています。 _______ >発達障害ありきでMRIやCT(俺が受けたのはCTっぽいです)の検査結果も見方が変わるということも、発達所外は脳の機能上ストレスを敏感に感じ取りやすいということも、聞いたこと無いし、知らないと言ってました。 >貴方が知っている医者は、こちらの医者曰く特殊な人で、そういった分野に精通している人かもしれない、もしくはまた別の事情がある先生だと言ってましたね。 「貴方が知っている医者」というのが息子の主治医だけを指すのか、ご紹介した本の著者を指すのか、そこのところがよく解りませんが、『発達障害に気づかない大人たち』の著者の星野 仁彦先生は、発達障害を専門に研究し診断をしている医者であることは確実だし、息子の主治医も発達障害の専門医であるということも事実です。 (ただし、息子の主治医は星野先生の本に載っているようなことを詳細に語るのではなく、もっと噛み砕いた素人向けの表現で説明なさっています。) よって、カウンセラーが「特殊な人・別の事情」と仰ったのは、発達について専門に勉強した医者であるということを感じ取った上での発言ではないかと思われます。 >先生は総合風邪薬のような立場にいて、資格を持っていてオールマイティに診断はできるものの、鼻の風邪、喉の風邪といった症状に特化した薬ではない、という見方や、カウンセラーの先生も「全ての医者は同じであるとは言い切れない、苦手も得意もあるし、だからといって大まかな知識や心の持ち方は方向性は一緒であるので、どこの病院行こうとも、だいたい今の俺の病状の診断結果に限りなく近い形で診断される」と仰ってました。 日本では、発達障害の専門家は少なく、現状として専門医と言えるのは、小児神経科医と児童精神科医(病院ごとに呼称は違うが資格・仕事ともに同じ)です。 息子の主治医は、この発達障害の専門の小児神経科医なのです。 日本では大人の発達障害に関しては、大人を対象とした一般の精神科医が診断するのが圧倒的に多いようですが、一般の精神科医は鬱病や躁鬱病、統合失調症を診るのが専門なので、小児神経科医ほどに熟練した医者は稀であり、修行中であることが多いのです。(修行中だからいい加減だと言うのではなく、大人を対象とした発達障害の専門医が少ない中、一般の精神科医が手探り状態の中でベストを尽くさざるを得ないというのが現状だと思います。) ご質問者の主治医やカウンセラーの発言から察するに、ご質問者の主治医の場合も本来の専門は鬱病や躁鬱病、統合失調症などの精神疾患なのではないかと思われます。だから、息子の主治医とは応対が違ってくるし、説明も違ってくるんだと思います。 ご質問者の主治医はベストを尽くしていらっしゃると思いますが、発達についてはまだ知らないこと、勉強中のことがあるのだと思います。 _______ 大人の発達障害の場合は児童精神科と併設している精神科に掛かるか、児童精神科に直接交渉して診断してもらうか、発達障害者支援センターなどで大人の診断ができる医者を紹介してもらうのが確実とされています。 次の≪ ≫の文章は、参考リンク1からの引用になります。 ≪ 私は国立精神・神経センターの専門の先生によって、生育歴、および2時間の問診によって、「アスペルガー障害」と診断された。 この診断ができる専門医は、実は多くはない。そのため、診断ができる医療機関も多くはない。地域の児童精神科を併設した総合病院の精神科で受診するか、地域の発達障害支援センターで問い合わせて、病院を紹介していただくか、である。子供の診断については、現在、比較的大きな話題となっているため、取り扱う機関があり、初診まで数か月待てば、診察してもらえるが、大人の診断については、上記の2つの方法か、データとしては不十分ではあるが、各地の自閉症協会に問い合わせるしかない。≫ 1)【アスペルガー症候群の診断】http://www.geocities.jp/johnhealing/aspergershindan.html ( なお、上記の参考リンク1のトップページはこちらになります。 【いのちのホームページ アスペルガー症候群】http://www.geocities.jp/johnhealing/toppage.html ) また、下記の参考リンク2のNo.3のご回答は当事者が仰ることなので、大変参考になると思います。 2)【大人のアスペルガーの診断について】http://okwave.jp/qa/q4327415.html どちらも書かれた時期は少し前になりますが、大人の発達障害の診断の現状は今も変わっていないです。以前、息子の主治医にも尋ねたことがあるのですが、やはり大人の専門医は非常に少ないというのが現状であるということです。
お礼
ご回答有難うございます。 しかし、今、気分が落ち込んでいて、長い文字見ると、俺はあとどれくらいこれを見て理解したり考えたりしなくちゃいけないんだろうって、それほど俺は重症なんだって、というか俺にこんなに沢山覚えられないし、わからないだろうって、嫌になってきました。 何かあればまた補足で伝えます。ご回答有難うございました。
No.13です。 文脈から理解していただけると思いましたが、変換ミスがあったので再投稿です。 ×語意が増えたとか ○語彙が増えたとか ~訂正よろしくおねがいします。
お礼
昨日、病院に行ってきました。 そして貴方が教えてくれたものをひと通り聞けるだけ聞いてきました。そうしたら、クロスワードもルービックキューブが頭に良いということも、発達障害ありきでMRIやCT(俺が受けたのはCTっぽいです)の検査結果も見方が変わるということも、発達所外は脳の機能上ストレスを敏感に感じ取りやすいということも、聞いたこと無いし、知らないと言ってました。 CTの履歴は埋もれているのですぐに閲覧できないが、今度調べておくみたいなこと言ってたし、発達障害の学会みたいなところは先生は行ったことがないともいっていたので、この医者信じていいのかよとは思いましたが、先生は総合風邪薬のような立場にいて、資格を持っていてオールマイティに診断はできるものの、鼻の風邪、喉の風邪といった症状に特化した薬ではない、という見方や、カウンセラーの先生も「全ての医者は同じであるとは言い切れない、苦手も得意もあるし、だからといって大まかな知識や心の持ち方は方向性は一緒であるので、どこの病院行こうとも、だいたい今の俺の病状の診断結果に限りなく近い形で診断される」と仰ってました。貴方が知っている医者は、こちらの医者曰く特殊な人で、そういった分野に精通している人かもしれない、もしくはまた別の事情がある先生だと言ってましたね。 しかし話を聞くに、その医者の方は嘘八百や極論を言うような悪い先生ではない筈というような空気にはなってました。ですので、俺にはなんとも言えませんが、想像ですが悪い人間ではないと思います。 カウンセラー曰く「ルービックキューブが鬱に良い、頭脳に良い」という話をどこかの外国の研究所では発表されていたような、そうでないような」という感じでしたね。上記でも説明してます通り、貴方が太鼓判を押してくれた意見は、精神科の方たちの中では「あまり聞いたこと無い。少なくとも定説ではない」そうです。その医者曰くなので、他はどうか知りません。 しかし、カウンセラーは「人それぞれの回復や成長方法がある。だからルービックもクロスワードも個人差がある」とも仰ってました。だから、貴方のご子息様は、その医者の言うことや、貴方が調べた情報のやり方でも大丈夫ではないかとは思います。しかし、俺にはどうかは知りません。 ちなみに、これは貴方への全否定ではありません。ご理解ください。 ネットは流言飛語ありきの場所です。だからネットは怖いのですが、しかし貴方は今回、本や医者から聞いた情報だから確かなことだと教えて下さいました。ですがそれが嘘であるとは思いません。しかし、こちらが調べた結果は、絶対ではなく一理ある、個人差ありきのものだと判明しました。
ご質問者も周囲がそうだったように、自分で自分のことをただの努力不足だと思っていたから、本当ならば選択してはいけない、不器用な人ならやっていけない職場に就職してしまったのでしょう。 しかし、ものすごく辛い、ものすごく悲しい、ものすごく苦しい、そう感じたとき、さっさと転職するべきでした。それは、この職場は適性には決して合わないという、あなたの心が発したサインだったからです。 ご家族のことを思ったり、自らのプライドから転職できなかったのでしょうけれど、適性に合わない職場に長く居過ぎたから、鬱病が深刻になったし、ネガティブな感情が深まってしまったのでしょう。あなたの不幸は、ご家族にさえ、あなたがどんな人なのか、何に悩み、苦しんでいるのか理解できなかったことであり、弱音を吐ける相手が誰もいなかったことだと思います。 結局、自分を守れるのは自分ですから、あなたは自分が努力不足では収まらないぐらい不器用な人間であることを早くから認め、少しでも適性に合う職場を探し、転職していれば、ここまでの厭世観に襲われることもなかったと思います。 あなたが自分のことを語れば皆が「そんなこと誰にでもある」と言ったと、以前 仰っていましたが、皆と大きく違ったのは、その頻度であり、その苦渋に耐えた長さだと思います。 今ある苦しみは、周囲の無理解が与えたものだけれど、あなたが あなた自身に無理解だったから深めた傷であったとも思います。 >砂だけを一摘みしかできない「小さな技」がなんの希望になるというのです? 漫画を読む「だけ」のことしかできない「小さな技」も何のためになるのです? あなたは、あなたという体の牢獄に閉じ込められた哀れな魂ということですか? 嘆くことが、あなたのストレス発散になり、小説を書くことが好きならば、その嘆きを書き綴り、世の中に発表したらどうですか。 ちゃんとした文芸作品としてです。 会う人、会う人、幾ら語っても理解してはくれないのは、それは壮大に書き出さなければ解らないほど壮絶なことで、常人の理解を超えるレベルだからでしょう。 だったら、自分で纏めあげて、世に作品として送り出してはどうですか。 あなたと同じ悩みを持つ人の代弁者になれるぐらい、きっちり書き上げてはどうですか。 あなた自身を語れるのはあなたしかいないから、砂だけを一摘みしかできない「小さな技」でもなければ、漫画を読む「だけ」のことしかできない「小さな技」でもないでしょう。自分にしかできないことなのだから。 >その小さな技を希望に繋げる多様性を身に付けろということでしょう? できたら、俺は「俺」になる理由がない。悩んでもないですよ。 多様性は、もはや、あなたにはいらないでしょう。 あなたは、ここで、自分で出来ないと答を出しました。 多様性は、あなたらしからぬことだと。 多様性は捨てて、好きだという物書きの道へ準備を進めるのが良いです。 「ふざけてる」とか、「無責任な」とは言わないでくださいね」。 自分のことを理解してもらいたいし、かつ、細やかなコミュニケーションを必要としない仕事、それは文筆業ぐらいなものでしょう。口頭の会話より、文章の方が意思疎通できるという特性を生かせることを考えると、やはり、あなたと文章は切り離せないでしょう。 ものになるかならないかではなく、常に自分のことを書き続けることだと思います。 この解答中で、前頭葉を鍛える話をしましたが、日記に関しては医学的に異論はないはずです。 だから、書き綴ることをお勧めします。 (クロスワードパズルに関して再度意見を書きます。 これは、退屈な人には効果がないかもしれません。 答が解らないのなら前頭葉は鍛えられませんが、自分で答を得て楽しめるなら効果があると思います。 楽しく感じること、達成感を得られること、これが前頭葉の活性化には、一番大切なことだからです。 語意が増えたとか、直観力や想像力が上達したと感じられるのであれば、それはあなたの適正に合ったゲームと言えます。) >行動認知療法はしました。結果は酷いものでした。ずっと、同じ日々のコピーとペーストの繰り返し。医者にも参考にならないと俺が医者に相談して、もう止めました。 単調なことの繰り返し、身にならないことの繰り返し、これはあなたにとって大敵なのでしょう。 就職先もそんな感じだったのでしょうね。 親にも、「障害を理解して、せめて、これからは好きな道に進ませてくれ。普通を期待しないでくれ。俺は障害者なのだから」と、ハッキリと言って下さい。もう、それしかないでしょう。 鬱病を患うぐらい無理をし遠慮を続けて来たのだから、我儘ということもないでしょう。 合わせることで病んできたのなら、もはや、我が道を行くこと、貫くことしかないです。
お礼
>しかし、ものすごく辛い、ものすごく悲しい、ものすごく苦しい、そう感じたとき、さっさと転職するべきでした。それは、この職場は適性には決して合わないという、あなたの心が発したサインだったからです。 さっさと転職した結果も失敗でした。自分の体調についても、俺の性格についても、俺の第一の失敗から付加したあり方についても。 仕事云々より、俺は何故ああも行ってはいけない職場に就職したのか。 サインに気づけではなく、自分の体調や立場、性格に気づけというほうが先でした。 厭世観を生み出したのは元より俺の後天的なことのほうも含めるのは当然のことです。というより、俺はそちらのほうが強く見てしまう。 自業自得と言えるのかもしれません。本当に? わかりませんが。 自分のせいであり、そうでない部分もあり、周囲のせいでもあり、そうでない部分もあり。俺はそれを見たくない。怖いんです過去を振り返るのが。でも一人で振り返るしか無い。カウンセリングの三十分では振り返る時間が短い。ネットの繋がりも意味ないくらいに遠いものだから、俺一人がしないといけない。 何故怖いのか知りません。俺の責任であることが認めるのが怖いのか、でも俺はそれは違うと思います。一理あるかもしれませんが、それだけじゃない。俺は過去自体が怖いんです。 だから、この回答に対してあんまりこちらも反応することがし辛い。 >あなたは、あなたという体の牢獄に閉じ込められた哀れな魂ということですか? 嘆くことが、あなたのストレス発散になり、小説を書くことが好きならば、その嘆きを書き綴り、世の中に発表したらどうですか。 ちゃんとした文芸作品としてです。 ストレス発散になれば嘆くだけ嘆いて今はもうスッキリですよ。そうでないから今なんです。 俺は貴方に訴えたいです。俺にはこんな小さな力しかできないことを。それだけです。小説書くのも好きではありますが、でも今はしたくありません。苦しいんです。 小説書く目的は「架空の登場人物というフィルターを設定し、俺を投影することで、いわば俺を他人のように扱うことで、思い出される苦しさ悲しさを分断、分割し、俺の心労を軽減させること」があります。伝われば幸いです。 それが今できなくなっている。過去を振り返ることが怖い。 集中できないとか、他にも理由がありますが、今は好きなこともできない状態です。 それに世の中に送り出したとして、貴方の場合はそれに責任を持てますか? 何が起きても耐えられる心を持っていますか? 自伝は自分の瓜二つな存在のようなもの、それを叩かれるということは自分自身を攻撃されるも同じです。 貴方の回答は一理あると参考にさせて頂きます。 ですが、我が道を行くことは、それは散々説明したつもりです。
補足
我が道行くことは、どれほど恐ろしいことか、ですね。
No.10,11です。ご返信、ありがとうございました。 先にNo.10の件について返信しますね。 >酷い病人は健常者は目に見えてわかるので丁寧に。 病人と健常者の間、その中途半端な理解に立つ俺達は、健常者の健常者側に傾く理解の裁量で理解され。 結局は健常者が偉いんです。気持ち悪いですね。 そういう見方もあるけれど、 「人は目に見えることは直ぐに理解できるけれど、見えないことはなかなか理解できない」 「人は直接見たり接触する機会のない出来事に関しては、正しく認識するとが出来ないものである」 と、ここでは そういう話をしたかったんです。 発達障害当事者も家族も、「発達障害という概念を知らなければ」、「性格や個性」と考え、出来ないことに対しては「努力不足」と考える。 その点では、健常者と同じです。 でも、「疑問を持ち、何か真実があるはずだ」と考えたとき、「発達障害という概念に行き当たる」。疑問を抱くまでは名前さえも知らなかった場合もあるでしょうし、名前は知っていても、そんなのは考え過ぎだとか、医者が勝手に作り出した机上の空論だとか、鈍い人の言い訳や慰めのために作られたでっち上げだと、「妄想の産物と軽視していた人でさえ、真実を知りたい」と考える。 そして、やっと「現実が見えてくる」んです。 「現実が見えてくること、それが理解への第一歩」です。 結局、「人は真実を知りたいという気持ちがなければ、見ることすらできないし、理解することが出来ない」という話がしたかったんですよね。 だから、あなたが言う偉い人とは偉い人ではなく、「自己完結している人」とするのが正しいと思います。 鬱病を患っている人の中には、努力、努力の繰り重ねで、それで何とか成績を上げ、アップアップしながら仕事をしている発達障害者も混じっています。 でも、そういう人は努力でカバーできているから、自分が発達障害とは疑わずに、思うように仕事をこなせないのは自分の努力不足だと「自己完結」して、自分を更に苦しめている、そういうことだってありますよね。 そして、体を壊して病院へ行き、検査を受けてやっと発達障害だったということがわかる。そんなケースもありますね。 真実が解らないまま自己完結している人は、健常者の中にも発達障害の人の中にもいます。どっちが偉いとか、偉くないとか、そんな話ではないと思いますよ。 偉いとか、偉くないとかに拘るのなら、「偉いのは真実を知ろうと努める人」、そういうことになりませんか。 だから私は、「結局は健常者が偉いんです。気持ち悪いですね」とは思いません。 「無関心だから理解できないんだな」と思うだけです。 口では関心を示しているようであっても、理解したいと思えるほどには関心がないのだろうと。 どんな人でも、自分で疑問を持ち、関心を持たなければ理解には至らない。 それは、健常者も発達当事者も同じことです。 だから、偉いとか、偉くないとか、そういう概念に縛られることはないと思います。 真実を知りたい、知ろうとする気持ち、そちらの方が尊いし、偉いという言葉が本来持つニュアンスに近いと思います。 そう考えると、真実を知りたいと思っているあなたは、無理解な人を軽蔑したり、そういう人に踏みつけられていると自分を卑下する必要もない、とそう思うのですがね。 私は、解らない人は解らなくても良いと思っています。 知りたくなったときに、尋ねてくれればそれでいいと。 知りたい人、知ろうとしてくれる人には、障害について話をします。 そういう人は、真剣に話を聞き、理解に努めてくれます。 それで良いと思っていますよ。 ________ No.11の件について返信します。 ピカソの話をすると、そういう反応が返って来るかなと思いました。 でも、ここで言いたかったのは一長一短の話だったんです。 ピカソは確かに天才だったけれど、ものすごく端的に言ってしまえば、 「好き嫌いのハッキリした極端な人が、理解ある環境(成育環境だけではなく自らも積極的に作った)を生かし成功を収めた」んだと思います。 画才がずば抜けていた、これは成功要因として大きいけれど、発達という観点から見たら、ものすごくアンバランスな人だったから、そうする(画を描く)よりなかったとも言えます。でも成功の鍵は、自分が好きなことをずっと好きでい続けられたことだと思います。彼は、普通であることに固執しなかったから、常人なら劣等感を抱き克服しようともがくようなこともバッサリと切り捨て、妻も恋人も捨て、好きなように生きた。 結局、「障害というのは、自分で劣等感を抱かなければ障害にはならないし、何でもかんでも手に入れようともがけばもがくほど、障害を感じるのではないか」という話です。 ピカソは今の世でサラリーマンをしていたら、発達障害者のレッテルを貼りまくられていたと思います。でも、彼は苦手なことには固執しなかった。というよりも、好きなことにだけ固執した。好きなことを手放さずに情熱を傾ける。これって本当は相当に孤独なことでもあったと思うんです。 「時代遅れの画家」「狂った老人の落書き」と言われてもへこたれないほどに芸術に全てを賭けていた。それは、芸術が彼のライフワークだったからだと思います。 >彼のように生きるのも一手だと思いますよ と言っているのではないのです。 趣味と言ってしまうと軽すぎると思うのだけれど、自分を突き動かす原動力となり得るもの、アイデンティティーの源となり得るもの、そういうものがないと心は萎縮したり疲弊してしまう、そういう話をしたかったんですよね。 こればっかり(自分を突き動かす原動力・アイデンティティーの源)は、自分で見つけるしかないんですよね。 「好きこそものの上手なれ」というでしょう。 周りがどう言おうとも、「好きなことがその人の適正」なんですよね。 でも、ネガティブな感情に押しつぶされたり、それでは食べていけないと手放してしまう、そして存在そのものを忘れようとさえしてしまう。 それをしないで、自分のために打ち込む時間を持つべきじゃないだろうか? 自分の心を豊かにするために。 自分の心を豊かにすること、それが心の基礎体力と言えるのではないのかと。 …というのが、ここで一番言いたかったことです。 >それに友もおかしかったと思います。そんな友に救われるのって、地獄に引き戻されるような、足を引っ張られるような感じしますね。 その人は友達ではなくて、ただの腐れ縁だったのでしょうね。 無理に合わせてばかりいると、そんな関係になるのでは…。 聞く耳を持つ人が良い友達だと思いますし、自分も聞く耳を持つことだと思います。 言いなりになるということではなくて、共感し合える関係、発想の転換を教え合える関係、そういうのが友達といえるのでは。 でも、それも小さな縁の積み重ねですね。 心が後ろ向きなときは、なかなか出会いも縁もないと思いますが、小さな縁を大切にすることが第一歩だと思います。 >クロスワードの件ですが、ネットで調べれば効果ないと書いてありますが。 認知症の初期症状に「物の名前がすぐに出てこない」というのがありますし、「言葉そのものが連想できない」というのがあります。 ですから、認知症予防にクロスワードパズルが良いと言われています。 今も続けていらっしゃるのか解りませんが、若かりし頃の山田邦子さんは、お笑い芸人という仕事柄、言葉を直ぐに思い浮かべられるようにと、クロスワードパズルを日課にしていたそうです。 私は効果があると思いますよ。連想できること、これは会話するうえで最も大切なことですから。連想できるから、言外の意味は解ったりということもある、そのように思いますね。 >どっちなんでしょう。新論に振り回されるの疲れてきました。 発達障害のことも妄想の産物と言い切る人の意見が載っているネットですから、あまりネットを偏重しない方が良いと思います。 No.6でも書きましたが、 「ともかく一番大切なのは、ストレスを感じない範囲で楽しむこと、どんなに小さなことでも技が身に付くことでプラスになっていると希望を持つこと」だと思います。 心のタフな人って、みんな希望を捨てていないですよね。 後、良い意味で自己暗示が上手です。 楽しめていて、明日に疲労が残らないのなら、好きなゲーム(もちろん、テレビゲームも)を続けて良いと思います。 この件に関しては、主治医にも どう思うか聞いてみてください。 それと、ゲームに費やした時間は表にして書き出しておくなどの工夫をした方が良いと思います。(更にいうなら、他の日常生活の時間配分についても記録しておくと、生活リズムの改善に役立つと言われています。) 少なくともゲームの時間だけでも書き出しておけば、後からでも客観的に振り返ることができるので、やり過ぎ防止にもなると思います。
お礼
>私は、解らない人は解らなくても良いと思っています。 知りたくなったときに、尋ねてくれればそれでいいと。 それじゃ間に合わないんですよ。 俺が病人だということを理解してもらわないと、仕事やプライベートでは「こいつ常識ねぇな」とか「こいつ普通じゃねえな」と忌み嫌われるんです。俺を守るためにも相手に重々理解してもらわないと。 この世はイチかゼロか、ではなく、必要な物を必要か、それ以外は価値がないか、という感じですね。世の中はそうできている。 イチの基準は「普通」であること。優れて綺麗なものは勿論の必要の範囲であり、そして誰もが思う「普通」の枠に誤差少しで収まる人であるならば居ても良いと許される。それ以外は価値がないどころか厄介で存在してはいけない。それ以外は居てはいけない。それが世界だと思います。 普通とは、何事も許せる、許される範囲に無難に収まる人間だと思います。それができていない人間は普通じゃない、人間じゃないということ。俺はそれに外れすぎた。 じゃないと俺は攻撃されます。それに耐えることはできないし、したくない。だって俺は悪くないし、相手が悪いのだから。 >結局、「障害というのは、自分で劣等感を抱かなければ障害にはならないし、何でもかんでも手に入れようともがけばもがくほど、障害を感じるのではないか」という話です。 例えば、二本足で普通に歩くことを余儀なくされている場合、片足しかない人間にそんなことが言えますか? 世界に生きるには最初から「普通」でなくてはいけないんです。 でなければ攻撃される。しかし説明しようにも相手は話を聞かない。想像もできない。理解されない。次第に邪魔と思い、障害者への気の使い方も「普通に許されない」気の使い方をせざるを得なく、場の空気を悪化させる要因になる。 障害は障害なんですよ。 昔はどうだか知りませんが、今は昔よりはるかに世界は成長し、より複雑になっていることは確かだと思います。故に、ピカソは能力も恵まれていながら、尚且つ好きなこと一つに特化した生き方でも、十分余裕があった世界だったと思います。 今はどうです? それができる世界だと? 自分の心のために打ち込む時間なんて、社会は許しません。勤勉で他者優先の日本であるなら、尚更でしょう。 >ともかく一番大切なのは、ストレスを感じない範囲で楽しむこと、どんなに小さなことでも技が身に付くことでプラスになっていると希望を持つこと。 砂だけを一摘みしかできない「小さな技」がなんの希望になるというのです? 漫画を読む「だけ」のことしかできない「小さな技」も何のためになるのです? ようは、その小さな技を希望に繋げる多様性を身に付けろということでしょう? できたら、俺は「俺」になる理由がない。悩んでもないですよ。 >心のタフな人って、みんな希望を捨てていないですよね。 後、良い意味で自己暗示が上手です。 楽しめていて、明日に疲労が残らないのなら、好きなゲーム(もちろん、テレビゲームも)を続けて良いと思います。 この件に関しては、主治医にも どう思うか聞いてみてください。 過信ですね。もう嘘は言いたくない。嘘は万物を滅ぼします。恐ろしい目にあった。 テレビゲームもパソコンも、脳が疲労する光を生み出し続けるなら、今の俺には危険です。だから今、俺はパソコンを何時間も直視することが気持ち悪くてできません。 そうです。何故俺は、今ままで頭の機能の八割が停止する危険を知っておきながら、延々と執着してきたのか。馬鹿ですね。 行動認知療法はしました。結果は酷いものでした。ずっと、同じ日々のコピーとペーストの繰り返し。医者にも参考にならないと俺が医者に相談して、もう止めました。
~No.10の続きです。~ 当事者が困っていなければ、発達障害とは言わないという話もありますね。 当事者どころか家族も障害と感じていなければ、診断自体も遅れたり。 そのぐらい微妙な人もいれば、本人が無頓着なケースもあります。 ピカソは息子と同様、ADHDでLDだったという話ですが、彼のように親、特に父親が画家で我が子の才能に早くから気が付き、その道を進むことに協力的であったこと、これは彼の成功に大きく貢献していたと思います。 ピカソの父親が政治家とか弁護士とか大企業の社長で「絵なんか一文にもならん。お前は私の跡を継げ。それがお前の義務だ!」なんてことになっていたとしたら…。 母親も間に入るでもなく夫に付き従い、その場で父親からは絵をビリビリと破り捨てられ、罵られるだけだったら…ピカソはとても不幸な人になっていたと思います。 アルファベットの順番が覚えられなければ、簡単な暗算も出来ず、いつも言われたことをすぐに忘れてしまうからメモ帳を持ち歩いていたというピカソ。 子供の頃はじっと椅子に座っているのが大っ嫌いで、教室の中を勝手に歩き回り、授業がつまらず教科書やノートの余白に落書きをし、わざと悪さをしては独房行きを謀り、そこで思う存分好きな絵を描いていたピカソ。 名前を書けば誰でも入れる中学の簡単な暗算問題が解けず、哀れに思った試験官がカンニングペーパーをそっと置いても、それに気が付くまでに随分と時間が掛かって、「カンニングするにも集中力が必要だとわかった」と自分で笑い話にしていたとか。 (この辺りの話も星野先生の『発達障害に気づかない大人たち』に載っています。) 今の時代に生まれていたら、間違いなくADHDとLDの診断が下りますよね。 しかし、一昔前なら大胆不敵とも豪快とも言えますね。 芸術活動だけではなく恋愛も旺盛に楽しんだピカソ。 周りにいた女性たちが振り回され、あるいは死を選びと翻弄された…そういう意味では障害であったと言えますが、幼いころから、その才能一本に賭けて、腕に磨きを重ねたピカソ。探求心と時代の先取りを突き進み、我が道を貫いた、そういった意味でも天才だったと思います。ピカソのように大胆不敵で貪欲なまでに、その才能一本に賭け、自由に生きるのなら、本人にとって何も障害はありませんよね。 【パブロ・ピカソ】http://island.geocities.jp/hisui_watanabe/art/artist/picasso/picasso.html http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%AB%E3%82%BD 五体満足で知的障害を伴わないのなら障害じゃないという人もいますよね。何も障害を感じない、それは言い換えるならば、我が道を行くことを恐れず、人を傷つけることを恐れるよりも目標をなし得ないことの方を恐れる冒険家であること、目標を定めたらその目標に向かって凄まじいエネルギーを燃やせる人である、と言えると思います。それか、仙人のように無欲で楽観主義者で大らかであること。 それだったら、くよくよと悩むこともなさそうです。 でも、それは定型発達の人にだって難しい。 だから、軽度と呼びならわされた側の発達障害を人に伝えるのはとても難しい。 要するに、ひとえに発達障害といっても、冒険家でも仙人のようなタイプでもない、その中間にいる人、普通に憧れている人が辛い思いをするのじゃないかなと思います。普通に近いからこそ普通を意識してしまうという。いっそのこと、仙人のように生きるか、ピカソのように生きるか、そちらの方が障害を感じずに大胆に生きられるのかもしれないですね。 脳内の発達の仕方が違う、違う経路で思考し処理をしている、そういう風に考えれば障害とは言えないですが、普通に近くても普通が解らない、これがアスペルガーやADHD、LD当事者の悩みだし、こちらの言わんとすることが伝えられそうなのに伝え切れないのが、関係者の悩みだと思います。 あるときはものすごく近いのに、あるときはものすごく遠い距離にいる、そういうのが定型発達と発達障害の間にはありますね。 ともかく、人間は好きなことに打ち込める時間が必要だし、辛いことは、いつまでも続けられない。これは、どんなタイプの人にも言えますよね。 父親が画家だったこと、幼いころから父親が舌を巻くほど絵が上手だったこと、これがピカソの強みだったけれど、サディズムみたいに辛いことを自らに強いること、これをしなかったし、これができない性格だったから、いつも自分の好きな道を突き進んで才能を磨き続けることが出来たし、人からどう見られるかよりも自分らしく生きていくことだけを望んだから、彼自身には何も障害はなかった、そういうことになると思います。…心の基礎体力が半端なくある人とは、ある意味、自分勝手な人でもありますよね。 ピカソを通して考えたことですけれど、好きなことに打ち込める時間の確保と自罰的な思考に陥らないこと、これには家族と同居している人ならば家族の理解が大きな鍵になりますね。一人暮らしの人ならば、共通の趣味を理解する仲間の存在、これが大きな鍵になると思います。 どんな人にも共感者は必要だし、同じ道を志す仲間や理解者、これも心の基礎体力をつけるのには効果的なんだと思います。 ふと思ったことですが、友達を大切にできる人は、多少 変なところがあっても友達に救われるし、立ち直れると思います。 そういう基本的なことから心を立て直すということも大切なことなんじゃないかと思いました。お礼を言うべき場ではお礼を言う、縁を大切にする、そんな小さなことの積み重ねが連なると、理解者を得ることに繋がると思います。 _______ 最後に、ピカソ繋がりでピカソを唯一振ったという女性、フランソワーズ・ジロー。 かのピカソに負けなかった彼女も心の基礎体力がしっかりある人だと思います。 個人のブログなので直リンクを避けるため“h” の表記を外して、ご紹介します。 フランソワーズ・ジローが、ピカソのもとを去るときに言ったセリフが格好いいです。…しかし、ピカソは本当に自信家だなと思いました。 【フランソワーズ・ジロー】ttp://colorfuldays-diary.blog.so-net.ne.jp/2010-05-23
お礼
例えといえども、それは偉人すぎますね。 俺はピカソのような天才じゃない。例えに出されても、俺には彼のように生きるのも一手だと思いますよと言われても、できるわけがない。 友に救われるといっても、その友はもういませんし。 それに友もおかしかったと思います。そんな友に救われるのって、地獄に引き戻されるような、足を引っ張られるような感じしますね。 クロスワードの件ですが、ネットで調べれば効果ないと書いてありますが。最新の研究ではテレビゲームのほうがいいらしいですね。どっちなんでしょう。新論に振り回されるの疲れてきました。新論出すなら、中途半端に出すのではなく、確たる結果を出してから言ってほしいものです。
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お礼
ご回答有難うございます。 今は心がざわついていますので、あとで読みます。