> ある男友人は「自分も社内の昇格に限界があるし、この時代だから共働きで---」と社内で言ったら、ある女性社員から「どうしようもない頼りない社員」と言われ、ショックを受けてしまった事例が頭に浮かんでいます。
失礼ながら、男友人の方の意見は、同性の立場からも、ちょっと情けないですね・・。
個人的には、結婚した先の女性の労働とか、働く場合の姿勢や取組方は、「女性のオプション」と考えていますので。
> 男性の立場から見て子供を持つ結婚になった場合の共働きの是非を今の背景上どう考えるか聞いてみたかったのです。
経済的な事情での共働きには、「是非は無い」と思いますよ。
貧困などは言うまでも無く、夫婦が合意で「これくらいの生活水準は維持したい」などと考えるなら、旦那がよほど頑張って稼ぐか、さもなきゃ共働き以外に選択肢はありませんから。
ただ女性側は、家事や育児で残業が出来ないなど、仕事の方では「制約」がある場合が多いですね。
この制約を取っ払うと、女性は「家庭を犠牲にしている」などと言われてしまう状況に陥りがちかと思いますし、家庭不和などの原因にもなるでしょうね。
一方では、この制約を理由に、「のんびり社内で組合員として生きる」と言うのは、違う様に思いますよ。
「家庭を優先する」と「仕事を犠牲にする」は、イコールの関係ではありませんので。
残業は出来なくても、その分、定時内はキッチリ責務を果たせば、「両立」も可能です。
「職場の男」側の立場,目線で言えば、その両立を目指している女性とか、実際に両立している女性には、魅力を感じますヨ。
出世と言うのは結果であって、その結果も、あくまで会社側が一方的に評価するものですが、制約がある中で、「最善」を尽くしていれば、出世の可能性も残存するでしょ?
逆に、「家庭を優先≒多少は仕事や出世は犠牲」と言う考え方で、「のんびり社内で組合員として生きる」と言う選択ですと、会社側としては、出世させるどころか、「そんな人物は不要」と判断する可能性もあります。
会社でも人間としても、「頑張ってる人」に対しては、応援や協力が出来ます。
その応援や協力が、時には「出世」と言う形になるのでは?と思います。
でも頑張っていない人には、応援と言うより叱責とか、その先は失望とか嫌悪を感じてしまいます。
たとえ出世は諦めても、「出世を目的とする努力はしない」と言うまでは判りますが、「のんびり」とか「頑張らない」「努力しない」と言う選択は、間違いじゃないですかね?
お礼
いわれてみればその通りかと私も思えてきました。結果はともかく努力するよう伝えてみます。女性の立場も少し考えて見ます。