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男女の友情あり派の人へ(助け舟)
いろいろ質問しましたが 私が言いたいのは 健康な男女というものは常に生殖の準備をしている。 具体的にいうと男性は常に精子を作っているし、女性は排卵の準備をしている。 別に好きな人がいてもいなくても、異性が嫌いでどうしようもない人でも 病気でなければ、自然に行われることです。 ゆえに普段、人間が異性を認識したときに《生殖相手としてふさわしいか?》と判断することは 人間の体の仕組みからいって、至極当然のことであって何も不思議ではありません。 だから、男女の友達であっても”性的な意識”を避けることは不可能なのです。 とはいえ、人間は理性があるので相手が傷ついたり、自分の立場が危うくなることは容易にはしません。そうやって一般的にいう男女の友情というものが成立しているのですが 前段として”生殖相手としてふさわしいか?”という詮索をしてしまうのは、人間なら避けてとおれないということことです。 ※日常生活の中で生殖相手としてふさわしいと思うなんてほぼないから そんなことを考えているわけでないというご意見があると思いますが もしそうなら、どうやって”好みの相手”と出会うのでしょうか? と私は言いたいだけです。私の言い分を理解できますか?
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- vipke
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同棲いせいは関係ないと思う
- x-dai-x
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要するに、すべての女性を「”生殖相手としてふさわしいか?”という詮索をしてしまう」という質問者様の言い分を理解できるかどうか?ですよね。 理解できますよ。 会った瞬間に恋愛対象から外れるような相手であれば、すぐに詮索も終わりますので男女の友情が成り立つと思います。 もう少し質問内容を要約できれば、質問内容が分かりやすくなるのではないか?と思います。
- saru62999999
- ベストアンサー率0% (0/5)
性行為したら、ただの性行為した友達になるだけじゃないでしょうか?
補足
そういうことだね
- jwrxjudt
- ベストアンサー率3% (1/28)
遺伝子と理性の問題だなー笑 自分で、コントロールできるけど
- oignies
- ベストアンサー率20% (673/3354)
女性のたちばからいうと、生殖のあいてとしてかんがえられなくても 友人として男性とつきあうことはあります。 いろいろな情報をえたり、心理的な支えになってもらうのが目的です がたんにこころの交流がたのしいということもあります。 人は一人では生きていかれない動物ですから。それがまずだいいち で生殖はそのあとでの欲求だと思います。
補足
女性のたちばからいうと、生殖のあいてとしてかんがえられなくても 友人として男性とつきあうことはあります。 ↓ 男性にもたくさんいるよ 人は一人では生きていかれない動物ですから。それがまずだいいち で生殖はそのあとでの欲求だと思います。 ↓ 生殖相手として異性を捉えるということの肯定ですね。賛同してくれてありがとう。
補足
会った瞬間に恋愛対象から外れるような相手であれば、すぐに詮索も終わりますので男女の友情が成り立つと思います。 ↓ 一度で終わらないケースもあるんだな。 最初は好きともなんともないけど、途中から好きになるとかね。 逆もあるよね。それって常に判断しているからだよね。 一度好きになっても嫌いになるし、逆もあるし。人は常に詮索(判断)しているのだよ。 それと定義として ”異性を一切意識しない”となれば、その時点で男女の友情は存在しないことになるのですよね。 ここはポイントですわ。