• 締切済み

悩み事や心配事がある方で癒される人や物は何ですか?

こんにちは。 この度は、私の質問を閲覧して頂きまして、誠に有り難うございます。 私は、現在精神疾患を患っている、40歳代の独身で無職の男です。 そして私自身、かなりの長期間病気に悩まされ、さらに年齢的な事もあり、これから先の事を考えると悩み事や心配事だらけです。 それに現在の私には、癒やされる人や物などが一切ありません。 そこで質問なのですが、皆様方も悩み事や心配事などを持っていらっしゃる方が、殆んどだとは思いますが今回私の質問をさせて頂いた様に、具体的にどの様な悩み事や心配事などで苦しんいらっしゃっていて、どの様なもので癒されていますか? 最後にお願いがあります。 私は、最近ずっと情緒不安定な状態である為、傷つける様な発言や誹謗中傷などは、一切お控え願います。 それでは、どうか宜しくお願い致します。

みんなの回答

  • pct10968
  • ベストアンサー率21% (641/2971)
回答No.3

じじいです。 自然と関わる事で癒されます。 強い強迫観念、情緒不安定の時は、山に行きます。 人口の建造物は、大きなストレスになります。 雲と風のそよぎに身を任せ、野を歩き、山を登るのです。 他人にも自分自身にも何も無理強いしない、ありのままでいるのです。 そのような時間を持つことで、精神疾患も改善されると思います。 一度、心の荷物を降ろし、雲になってみるのです。 風になるのです。

majidenamennayo
質問者

お礼

こんにちは。 この度は、お忙しい中御丁寧な回答を頂き有り難うございます。 お礼をするのが遅くなってしまい、誠に申し訳ございません。 私が、精神疾患を患った原因は、会社での配置転換に伴う過重労働によるものだと診断されています。 そうですよね、確かに自然の中に身を任せておくと、楽になりますよね。 私も元々精神疾患になるまでは、アウトドア派だったのですが、精神疾患を患ってからは、外で過ごすと言う事自体皆無に近い状態です。 海や山などが好きで、釣りに行ったり、山にドライブに行ったり、別に目的もなしに海や山に行く事もありました。 しかし、現在は何事に対しても、無気力な状態なもので、何かを始めようとしても、特に身体の方の調子が悪い日が多いものですから、余計に何事に対しても意欲が湧く事がないのが現状なんです。 正直私には、精神疾患を患ってからは、何も支えになるものがなくて、これから先の事を考えるとお先真っ暗の状態です。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.2

んーそうですね、私は定番ですがつらいときや苦しいときは聖書を読みますね。新約聖書です。そして心の中でイエスさまーどーして僕だけこんなひどい目に遭わなければいけないんですかーと叫びます。 聖書ってのは実によくできていまして、人生におけるありとあらゆる悩みについてはどこかに必ず言及されています。宗教ですので、対処法ではなくて教えが書いてあります。例えば私は恋人が当時友人であった男に奪われてしまったことがあります。聖書には「許せ」と書いてあるんですね。あの有名な「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」というアレです。そうしなさいと書いてある。もちろん私もそういわれたところで素直にああそうっすねというわけにもいかず、無理ですー私には無理ですーと心の中で叫びます。そうするとですね、例のイエスの受難があるわけですね。鞭打たれ、十字架を背負わされてゴルゴタの丘に向かう。その場面でもイエスは人々に祝福の言葉をかけられた、なんてのが書いてあるわけです。 それで癒されるということはありません。人生の悩みって、そう簡単に消えるものではないです。絶対に治らない病気にかかった人は、いくら癒されても病気は治らないという現実に変わりはありません。だから癒しという言葉は最近少々軽く使われ過ぎな気がしますが、あくまで軽度の悩みに対するものだと思います。 なんでしょうねえ、私も上手く表現できませんが、キリスト教に限らず仏教にしてもどの宗教にしても、宗教にあるのは救いだと思います。救われるんですね、精神的に。ものすごく単純な救いは仏様とかが救ってくれるというやつです。お念仏を唱えれば救われるという単純明快なやつもあります。自らもキリスト教徒である遠藤周作さんはイエスを「哀しみの同伴者」として作品の中で描きまして、私はその同伴者としてのイエス像に救われています(ただ、この解釈は極めて異端らしくて根っからキリスト教徒の人といるとひどく違和感を味わう羽目になります)。 温泉に入って癒される、みたいなことをやっても、将来の心配であったり、病気のことや仕事のことという現実が消えてなくなるわけではありません。仕事があって病気も治ってパートナーでもできればいうことないでしょうけど、すべてが揃うのはなんだか大変そうです。だから単純な癒しを求めても、それは麻薬で哀しみを忘れるみたいなことにしかならないんじゃないかなと思います。個人的には、こういうときに救いになるのは宗教しかないんじゃないかなと思います。トルコに人類最古の遺跡(ギョベクリ・テペ遺跡)がありますが、その遺跡は宗教施設です。人類に宗教ありなんですよ。

majidenamennayo
質問者

お礼

こんにちは。 この度は、お忙しい中御丁寧な回答を頂き有り難うございます。 せっかく回答を頂きましたが、私は元々無宗教であり、且つ過去に新興宗教に嫌な思いをさせられて以来、宗教と言うものには一切興味がありませんので、御理解の程宜しくお願い致します。

回答No.1

こんにちは。何に癒されるかということは、人それぞれ。他人の答えを自分にあてはめようとすると、なかなか良い答えは見つからないかもしれません。今、癒されるものがないのなら、その状態を「まぁいいか。。。」と肯定的に受け止めてあげることからはじめてはいかがでしょうか。「まぁ、そのうち、何かに興味をもてるかもしれないな。それまでは何も興味ないけど、まぁよしとしよう」というように。 癒されるという状態は、100%肯定的な状態を指します。そのものを見ているだけで、考えているだけで、完全にいい気分でいられる状態。それが癒されるという状態です。 自分を癒してくれるものとは、自分がそれに接することで完全によい気分になれるものを指します。 だから人の好みを参考にしたところで、必ずしも自分にも適用できるとは限らないのです。 心の中が肯定的な状態であることを、人は「幸せ」と呼びます。 今の自分を責めたりしない。未来を考えると暗い気持ちになるのなら、未来のことを悩み考える時間を少しずつ減らしていく。そんな風にして、心の中を少しずつ快適な状態に整えていくと、心に元気が少しずつ戻ってきて、やがていろいろなものごとへの興味も生じていくことだと思います。 ご自分の心の状態を整えるのは、ご自分以外にはできない仕事なのです。 それはどんな人にとっても同じこと。気持ちを楽にして、「これでいいのだ」というような心地よい肯定感を育んでみてはいかがでしょうか。あせらずに。

majidenamennayo
質問者

お礼

こんにちは。 この度は、お忙しい中御丁寧な回答を頂き有り難うございます。 色々な事や回答者様のお考えなどをお聞きして、参考になる事が沢山ありました。 回答者様の回答を参考にしながら、自分にとっての癒しと言うものを考えたいと思います。

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