> 何で毎年騒がれるんですか?
(1) いい人だから
毎年騒ぐのは、日本の書店・出版業界・マスコミなどが「仕掛け」ているのでしょう。菓子業界がバレンタインデーを仕掛けて売上アップに成功したようなものです(日本独自の発展を遂げた)。
とは言え、ノーベル文学賞に擬せられるような文学者は、気難しい人も多いだろうし、そんな年中行事をありがたがるどころか、逆に迷惑がって冷水を浴びせたりしそうです。内心では「もらえるものなら欲しい」と思っていても、たとえば大江健三郎(1994年受賞)なら、「空騒ぎは望みませんから!」と言いそうな感じがします。大江の口癖なのです。
なお、私はろくに本も読みませんが、興味本位でときどき著名人の講演に行ったりしました。池袋の狭い会場(200人で満員)で大江健三郎の話を聞きましたが、意外と親しみやすい感じでした(滑舌が悪いのは昔から有名で仕方ありません)。大江のエッセーなどを読むと、鬱然たる学識教養に圧倒されますから、もっと狷介孤高の人かと思っていましたが。でも、そういえば大学の先生などは、威張っている人もいますが、(バカな学生に対して)親切に接してくれる人が多いですよね。
そして、村上春樹は大江よりもっと協調性がありそうな感じです。自分では「僕はまだまだ受賞できそうにない」と思っていても、(著書は出すたびにベストセラーであり)ノーベル賞の空騒ぎで販売促進してもらう必要はなくても、業界の年中行事に冷水を浴びせたりしない人です。「いい人」なんです。「また今年も受賞できなかったね」と陰口をたたかれても、我慢するタイプでしょう。よって、ギョーカイも、「村上さんなら怒らない」と毎年空騒ぎするのではないでしょうか。
(2) 世界的知名度はまあまあでよいから
話は飛びますが、オリンピックの開催国は、中進国(途上国から先進国へ駆け上がろうとしている国)と、先進国とが、ほぼ交互に選出されている感じです。ノーベル文学賞はオリンピックと違いますが、世界的に高名な作家だけでなく、わりとマイナーな作家が選ばれることもあるようです。まあ、私には世界文学のメジャー・マイナーをうんぬんできる知識は全然ないのですが。
例を挙げると、2010年のバルガス・リョサや1999年のギュンター・グラスは受賞前から有名でした。しかし、78年はシンガーですが、受賞前から皆さん知っていましたか? 私はイディッシュ語文化の存在自体を知りませんでした。
村上春樹の作品はいくつもの言語に翻訳され、外国の書店の店頭にも並んでいるようです(私もテレビで見た)。知名度的には、村上はノーベル文学賞の足切りライン(?)を十分超えていると思います。
(3) 大江健三郎が好きではないから
これには2つの意味があります。まず、日本のマスコミの一部は、大江健三郎のことが好きではありません。「大江はサヨクだから」だそうです。ただし、実際は左翼ではなく「戦後民主主義者」ですが。そこで、その手のマスコミは、ノーベル文学賞の話題になると大江を貶(おとし)めて、代わりに村上に期待を寄せるらしいです。
昔は大江健三郎も鮮烈なデビューを飾り(芥川賞受賞)、折からの安保闘争で世情が騒然とする中、持てはやされました(1960年前後)。しかしその後、日本社会は高度経済成長や連合赤軍事件を経験し、政界は保革伯仲から自民大勝(中曽根行革)に変わり、マスコミの大勢も右傾化していきました。大江の新作は文化欄の話題にはなっても、彼は一般マスコミの寵児ではなくなったのです。
それでも大江は、1994年の受賞の前から日本を代表する作家と目(もく)されていましたが、マスコミはあまり「今年こそ」と騒ぎませんでした。大江が「空騒ぎは望みませんから」という必要もないほど、受賞までは静かでした。
一方、村上春樹ですが、大江よりは右で、大江ほど晦渋(かいじゅう)ではないせいもあって、出版業界だけでなく一般マスコミの寵児です。村上自身は右派マスコミなど嫌いだと思いますが、右派の連中に言わせれば、「大江のようなコクゾクが受賞しやがって。村上さんこそ受賞してください」だそうです。
もう一つの意味は、大江が村上をあまり好きではないことが知られているので、大江を嫌うマスコミは、ますます村上を持ち上げるということです。逆に言うと、大江を尊敬するマスコミは、いまだに村上に対して懐疑的だったりします。
村上春樹が芥川賞候補になっては落選を繰り返していたころ、大江健三郎は芥川賞選考委員でした。大江は当時の村上を、ジョン・アーヴィングなどのアメリカ文学の亜流と思っていたようです。その後、村上も大成しましたから、大江も以前よりは高く村上のことを評価していると聞きました。
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