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正論では社会で生きていけない?

内容はタイトルの通りです。 私は現在、大学生です。 今までの人生で何度も人と衝突してきました。 例えば部活の運営方法について先輩と言い争いをしたり 教師の二枚舌について直接追求したことの様にです。 しかし大概はうまくいきませんでした。 『言っている事は正しいけれども、それは出来ない』というのがその理由でした。 なぜ現在の社会では正論が通じないのでしょうか? 正しいことだと、やるべきことだと分かっていながら 非効率的な事を続ける意味がわかりません。 私には単に面倒だから 『大人の事情』や『それが社会なんだ』という言葉に逃げている様にしか思えません。

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  • Brian12
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回答No.16

 正しさは立場で変わる。  あなたの正論はあなたが考えた正しいことです。  『言っている事は正しいけれども、それは出来ない』という人は、出来ない理由をキチンと説明できなだけです。  正誤の判断は、損得勘定です。  損得はお金だけではありません。尊徳感情というのもあります。  もっと厄介なものに嫉妬もありますね。  そういった諸々をひっくるめると、正論だと主張すること自体が滑稽に思います。  自分の信ずることを推し進め、障害があれば調整しつつ、目的を達成すれば良いのです。  笑顔で朗らかに積極的楽天的にいきましょう。

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noname#192508
noname#192508
回答No.7

いいえ、生きていけますよ。 むしろ、正論なくして仕事なんてできません。 例えば、店と客との対話で考えてみてください。 客「(修理にて)これをこうすれば直ると思うのですが・・・」 店「言ってることはわかりますが、できません」 と答えられたら、店への信用は0です。 客が言って欲しい言葉は、 店「言ってることはわかりますが、これはとても難しいです。しかし、できるよう努力したいと思います」 ですよ。 そこに金も信頼も発生しない(と思っているからこそ)、 >私には単に面倒だから >『大人の事情』や『それが社会なんだ』という言葉に逃げている様にしか思えません。 >『言っている事は正しいけれども、それは出来ない』 なんてことをさらっと言いのけることができてしまうんです。 結局は、できない、ではなく、やりたくない、ということです。 日本において「できない」とは英語で言う「can not」ではありません。 したく無い時、やりたく無い時に「できない」と言うんです。 だから万年ダイエッターの常套用語ですよね? 私は痩せれない(痩せることができない)などと言いたがります。 結局、痩せために苦労はしたくない、それを「できない」と表現するんです。 いかにやらなくてもそのままだらだらと続けられるから、 特に問題が表に出ないからという理由でやらないのです。 本当は努力すればやれるのは薄々気づいてます。 しかし、これは日本独特な考え方、風潮もあるのですが、 そういったリスクを取ることによって得られるリターンがあまりに少ないことも 日本の土地柄、国民性でもあるんです。 チャレンジすることにより、失敗したら信頼を失うだろう、損するだろう、 そういう気持ちばかりが大きくなり、やらない方がいい、という結論に達するのです。 ですから、いかにじゃあ俺がやります!とあなたが言いだしても、 万が一それで失敗すれば、先輩やその他の人たちは、やった努力は称えず、 失敗したことだけを強く責めます。これについては日中韓関係や、ネットを見ても、 そういった、排他的風潮があることはよくわかると思います。 これが欧米だったら、チャレンジすることも、それで失敗したとしても、周りから称えられます。 こういった国民性もまた、「したくない」ことの後押しをしているのです。

回答No.6

貴方の言っている事は正にその通りです。 しかし、何でも杓子定規の様ではこれまた上手くいかない部分も出てきます。 この辺の灰色の部分が、事を上手く運ぶ潤滑油の役割を果たしている事になります。 貴方は素晴らしい・・若いうちは正しい物は正しい、と判断できる考えを持っていなければいけません。 現世では正論者ほど生きにくくなっていますが、安心してください。世の中には貴方の様に正論を唱える人たちが、まだまだ沢山残っているから世が成り立っているのですよ。 大人になるにつれて自然と分かってくると思います、芯は正論者の心を忘れずに生きて下さい。

  • IDii24
  • ベストアンサー率24% (1597/6506)
回答No.5

>現在の社会では正論が通じないのでしょうか いいえ、通じない人が主張するから通じないだけです。他の意見にありますが、社会には柵がある。でもその作の殆どは人間関係です。この関係を組み替えられるのは権力者だけです。 正しい権力者が正しいと言えば世の中はその流れに組み替えられます。 要するに権力者を動かす努力が必要であり、人とぶつかるというのは自分が未熟だという事を意味します。 杉村太蔵と小泉進一郎のどちらの意見を採用するか。あるいは同じ事を言っても通用するのはどちらか。一目瞭然だと思います。 >私には単に面倒だから『大人の事情』や『それが社会なんだ』という言葉に逃げている様にしか思えません。 これが証拠。あなたからの主張は面倒なんです、面倒と思わない人が主張すれば面倒でなくなるんです、これが社会です。これを突破出来る人が権力と地位を手に入れ、周りを自由に出来る力を得る。自分の意見も通す事が出来る。人を動かすには努力、と知識、手法、経験、そしてセンスが必要だということ。これは社会を生きていく時の全てです。 よーく考えてみて。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.4

 私みたいに言いたいことを言って、曲がったことが大嫌いな人は高い確率で社会から孤立します。それを覚悟の上なら、自分の好きなように生きればよろしい。ただし、家族は持てません。

回答No.3

>私には単に面倒だから 『大人の事情』や『それが社会なんだ』という言葉に逃げている様にしか思えません。 その通り。 >非効率的な事を続ける意味がわかりません。 その通り。 私の上司に貴方のこの文章を読ませたいです。仰るとおりです。 正論を多数派に投げ掛けると、場がしらけます。子どもの頃からそんな経験をしませんでしたか。 効率化 < 調和 、質 < チームワーク 生きづらいな、、、と事あるごとに思いますね。

回答No.2

バイトでもして社会経験を持てば嫌でも理解できるでしょう。 正しい事それ自体には何の価値もない。 無価値と言う意味ではなく、プラスの価値もマイナスの価値もないという中立の意味です。 熟慮しましょう。まあ、社会経験を積めば理解できるでしょう。

noname#184692
noname#184692
回答No.1

そりゃ社会は柵が多いですからねぇ。 色々な物事が連動しているので1つの面から見て正論であってもそれが必ずしも正解だとは限らないって事だと思います。 それを、わかった上で動いているのが社会なんじゃないかなぁ。 出来るのは最良の選択ですから、正しくは無いと思っても仕方なく選択するしか無い事も多いんじゃないかと感じますね。 正解なんて存在しないのだと思います。 言ってみればそれが「要領」って奴です。 社会人には不可欠な才能ですよ。

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