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過食症に悩む私の現状と変わりたい気持ち
- 過去に拒食、過食症になった経験があり、高校時代の進路に悩んだ結果、鬱になり不登校になったことが原因です。
- 食中心の生活で周りの目を気にし、計画的に取り組むことができなくなりました。
- 自ら吐くという行為が抜けずにおり、過食は中々抜けません。甘えなのか気になります。
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過食、拒食の繰り返しは、躁鬱症状です。 過食をするのは、他者の注意が及ばない範囲でのルール違反です。つまり、あからさまに何かのルール違反をすれば誰かに注意を受けるとか、禁止命令が下されます。しかし、食べるという範囲でのルール違反は、個人の食欲という問題に行き着きますので他者は何も言えないのです。その範囲で秩序破りをしているのです。 食欲は、満腹感によって脳にドーパミンという快感物質のホルモンが分泌します。これは安心感を得られますので、食べることを止められないのです。人間はどの様な事に対しても安心の報酬によって脳は働きます。良いこととか悪いことは関係なく、本人が安心することに対して快感の物質であるドーパミンを分泌します。 吐く行為は脳に障がいが及ぶことがある。と、いうのは、人間が正しく生きるための正当な行為で無いので、脳が正しく判断しなくなるからでしょう。つまり、吐くという人間本来が備えている行為と解離したことを脳は「善し」と判断してしまうので、よろしくない。と、いわれるのでしょう。 何事もうまく行かない場合は、自分の考えに固執せずに、抱えている問題の見方考え方から、もう少し距離をおくとか角度を変えてみるとか、違う方向から眺めてみるとかの方法でもの事に係わればうまく行くでしょう。例えば、リンゴを目の前の30センチの距離から見るのと1メートルの距離をおいてみるのではリンゴのとらえ方は違ってきます。また、同じ方向からだけ見るのでは無く違った方向から見ると見えなかったリンゴの側面も見えてきます。 更に、自分で自分の事を考えないことです。これは、自分だから自分について一番よく知っている。と、思われる人が多いのですが、人間は自分の事を自分は分からないのです。ためしに、自分の身体の内部の構造は、自分の身体を見て分かったのではありません。他者の身体とか模式図、解剖図などを見て自分もそうだろうと判断しているのです。心の働きも身体と同じ様なことが言えます。他者の姿勢を見て、自分の心の問題(ものの考え方。難しくいうと、関係意識と了解意識です。)について考えれば良いのです。 最後に、ご質問の「正しく考える事とは」正しい言葉で考え(考える事も無意識に言葉を使って考えています。)、考えた事を1H5Wの形式で言い表せることです。
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好きなことに計画なんていりませんよ。 ヒマさえあれば、すぐやっちゃうものですから。 計画性なんて必要な時点で、全然好きなこととは思えません。 計画している間にやりたくなります。 追い詰められすぎたせいか、好きでもないことを、ムリヤリ「これは、好きなことなんだ」 って決めつけてる気がします。 一度、やめたらどうです? で、ゆっくり休んで内省してください。 後、ネットの情報なんて、デマがほとんどだから、 信用しないことです。
お礼
そうですね…ご指摘有難うございます。言われて気付きました。 好きだと思い込んでいること=なりたい自分なのかもしれません。 ただ、わたしは飽き性なので本当に何もしたくないときがあって…。 離れてみようにも舞台をもうすぐ控えていて…。すみません話がぐちゃぐちゃですね…。 はい。有難うございます。
お礼
ご丁寧にお答え頂き有難うございます。 躁鬱…そうかもしれません。 幼い頃から定期的にやる気のある時期と病む時期が交互にきておりました…。ただ、高校に入って記事にかかせて頂いた出来事からその差がひどくなったように感じます…。 ただ、こういう病気は病名として知らされると余計深みに入りそうな気がして精神科はいくきになれません。でも治したいです…やはり病院にいくべきなのでしょうか? そうですね…なにか満足感、安心感を得たいという衝動はあるとおもいます…そのあと罪悪感におちいりますが…。 そうですね…有難うございます。 自分のことは考えない…こころがけてみます。