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原爆の恐ろしさと人の命の尊さ
- 原爆の恐ろしさとは何なのか?なぜ原爆だけが特別視されるのか疑問に思う人もいるかもしれません。しかし、原爆はその威力や破壊力から、人の命を一瞬で奪うことができる最も恐ろしい兵器の一つです。ただし、人間の意思によって他の武器も凶器となり、人の命を奪うことができます。しかし、原爆はその規模や影響範囲が非常に大きく、多くの人々に甚大な被害を与えるため、世界中で禁止されるべきとされています。
- 原爆と他の武器の違いは、その破壊力と影響範囲にあります。兵士が銃で相手を殺す場合、被害は比較的局所的であり、限られた範囲に被害が集中します。しかし、原爆の場合、爆心地周辺だけでなく、広範囲にわたって被害が拡大します。そのため、多くの人々が犠牲になり、社会全体が深刻な打撃を受ける可能性があります。
- 人の命の尊さはすべて同じです。どのような手段であれ、他人の命を奪うことは道徳的にも法的にも許されません。しかし、原爆はその威力や破壊力が非常に大きいため、世界的に非人道的兵器として禁止されています。原爆は人類が持つべきではない力であり、その恐ろしさを訴える人々がいるのも当然です。人間の意思によって命を奪うこと自体が悪であるとされる中で、原爆はその威力が極めて大きいため、特に恐ろしい存在とされているのです。
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あなたの考えは、僕の考えに非常に似ています。 僕も、例えば、「核兵器ほど、非人道的な兵器はない」という人には反発を感じます。 「原爆で黒焦げになって死ぬ人と機関銃で体を蜂の巣にされて死んだ人は、同じように悲惨だろう」 「原爆で火傷を負って苦しむ人と砲弾の直撃を受けて体の一部を吹き飛ばされた人は、同じように、苦しいだろう」 などと思うのです。 核兵器だけを特別な言い方で非難する人に対しては、「兵器というものは、核兵器だろうと、機関銃だろうと、全て、非人道的なものだろう」と言いたいですね。
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ビジュアル的に悲惨だからだと思いますね。 命の重い軽いではなく、見た目の問題です。 理屈ではなく、大勢の人が地獄絵図のような苦しみに直面したからです。 ライフルでは1発で1人しか死にませんので、見た目のインパクトは弱いです。 また、当然ながら殺傷能力の高さ(簡単さ)の違いもあります。 原爆は押しボタン1つで10万人以上を殺すことが出来ますが、ライフルで10万人殺そうと思ったら大変ですね。 東京大空襲も悲惨でしたが、これと同じことをしようとすると何万発もの爆弾が必要です。 交通事故で年間1万人死んだとしても、これはわけが違います。 交通事故の死者1人につき、普通1人くらいは加害者がいるわけで、当事者どうしで解決すべきことです。 つまり1対数万と、1対数人、1対1では全く事情が異なるのです。
お礼
戦争を体験した人は戦争を悲惨だと言います 原爆を経験した人は原爆をい悲惨だと言います 銃で人を撃って脳や肉が飛び散るのが、原爆で肉が焼けるのよりも地獄ですか? 戦争で小さな爆弾落としていったいの人を殺した光景が原爆で人を殺した光景と見た目で違うのでしょうか 人が見える範囲は自分の周囲だけです 生きていた人物の手の一部や足の親指とかかとだけがだらんと繋がった一部分が散乱する光景 単純な破壊力は原爆がずっと上 勝つ為に核をそう何度も使用しますか 勝つ為に小さな爆弾やミサイルをどれだけ使用しますか? 100万人の被害を出したら敵国が降伏するとしたら 核を落として殺した時と小さな爆弾で殺した時と犠牲者の数に違いはでるんですか 同じ被害を与えたければ与えられるようにする 自動小銃を持った兵隊を一人派兵する場合なんて無いから核1と兵1とを比較するのは違う 兵だったら大量の軍隊を送ろうとする 一人の最高責任者がまず決定をする 剣と槍を持った10万の兵が一人が一人を殺しても10万人
補足
一回の戦争で何百万人が犠牲になります どれだけの被害が出れば戦争をやめますか? 結局同じだけの被害を受けなければ戦争はやめないと思います 核爆弾で同じ数を殺すか、兵士が来て同じ数を殺すか 結局同じだと思います 交通事故は事故だから別に考えなければいけないので殺人事件で話すと 一人の人が一人の人を殺して結局は大勢の人が殺されるのと、原爆投下によって同じだけの数の人が犠牲になるのではどこが違いますか? 戦争で核ミサイルの発射命令を出す人が一人だったとしても 国中の人が敵の国中の人と殺しあっていると言う関係は一人ひとりが一人ひとりを殺してるのと同じ 一人の人物が大多数の人を相手に戦ってる訳じゃないのは同じ事 全て小さな意思があってそれがまとまって別の意思を持った集団を殺すのも 小さな意思が小さな意思のまま一つの小さな意思を殺して、それが延々と続き大勢を殺すのも どこが違うのですか?
- Melody-C
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そうですね・・・命には重いも軽いもありません。 誰かが殺されれば、その重みは同じだと思います。 そこにいる人を殺すだけの兵器なら、どんな武器であっても【怖さ】は同じでしょう。 もっと言えば、交通事故で亡くなった方の命もまた、同じ重さです。 これは私の個人的な感想なのですが・・・ 核兵器の恐ろしさには、他の兵器にはないいくつかの特徴があると思います。 1つ目は【子孫にまで影響を及ぼす】という事です。 これは、広島に住んでいる知人から聞いた話なのですが・・・ その知人は50代の方で、もちろん被爆者の方の世代ではありません。 広島で生まれ育った彼が言うには「小学校の頃から、毎年何人かが学校に来なくなっていた」という事でした。 つまり、親の世代に被爆者の方がいるので、その子供や孫の代にまで放射線の影響が出ているという事らしいのです(遺伝子に傷がつくため・・とのことだそうです) このように書いてしまうと、結婚や就職で被爆者の方々に差別が起こってしまうのではないかと恐れてしまいますが・・・それが現実だったそうです。 先日、ニュースでも、それを裏付ける事実を医者が警告しているという話が出ていました。 つまり、被爆2世・3世の問題ですよね。 後の世代になればなるほど、この影響が色濃く出てくるのだそうです。 他の兵器と決定的に違うのは、この事実だと、私は思っています。 原爆投下後に命が助かった人が、何ヶ月、何年も経ってから原爆症を発症し、命を落としていく・・・この恐怖は、他の兵器に類を見ませんね。 その時に助かっても、それからずっと死の恐怖が付きまとうなんて・・・ そして、未来の子孫にまでその恐怖が受け継がれていくなんて・・・ 残酷なことだと思います。 2つ目は、それ1発で人類の滅亡にも繋がりかねない兵器である・・・ということです。 落とした場所だけでなく、その近隣の、また地球規模での人命や環境を奪い去ってしまうという点も、他の兵器にはない脅威ですよね。 人の命の重さは同じでも、核兵器が持つ影響の大きさを考えてみれば、残虐性だけでない恐ろしさがあるのだと思います。 人の命の重みというより、兵器そのものの、類をみない怖さ・・・そういう意味で、やはり核兵器というものは別格の恐ろしさがあるように思います 犠牲者の方の命の重さに違いはありません。 ですが、兵器そのものの怖さには違いがあると思うのです。 未来への恐怖というか・・・上手く説明できませんけれど・・・そういう事のような気がします。 核兵器を廃絶させることの意味が、そこにあるのではないでしょうか? ヒロシマとナガサキは、大量殺戮兵器というより、核の恐ろしさを訴えているのだと思います
補足
それも同じだと思います 原爆症で何世代も被害を受けた人がいたとします その人は、兵隊として敵を殺す為にいって戦争にいったけれど一発の銃弾を受けて命を落とした人と違うのでしょうか 原発が仮に禁止されたとしても 人が欲のため防衛の為さまざまな理由で被害を与えたければ同じだけの被害を与える 人をどれだけ傷つけかはその人の意思に由来します 原爆を落とす意思を持つと言う事は、核が無ければ結局別の手段で同じだけの人を殺します 本当に恐ろしいのは人間の意志や意識であって兵器では無いと思います 誰かを傷つけようと言う意思を持っていれば核を持ってもナイフを持っても結局同じ
- mrkato
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確かに戦地で負傷したり徴用など、被爆以前に負けてた人と比較する意味もあるでしょうが 車に「当てられた」事が無い人が、どんな怪我でも一緒と見てる言い分に同じですね。 運転者が急病で失神や死去していようが、車同士衝突して車体が飛んできたケースだろうが 逃げ切れずに大怪我を負うのは、もし負傷と同時に意識飛んでもかなりのストレスになります。 一番大きいのは、軍港などあるにしても生活圏ごと無差別の空襲だったこと、 さらに戦争のルールをもった戦闘被災ではなく故意の人災と責められる面が多すぎる。 すでに単純敗戦でも国全土で復興が厳しいのに、負けを認める前に重い傷になったこと、 逃げようの無い一撃で襲われたこと、そこから60年以上無益に金食う技術でしかないこと。 原水爆が無くとも絞め上げ、主要国で分断統治まで駒を進められる戦力や政治力が有ったこと。
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お礼
ありがとうございます 同じ考えの方に出会えて光栄です