満州事変 どちらの記載が本当なのでしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%AD%A6%E8%89%AF
満州事変 張学良
1931年に入ると満州でも左派勢力に煽られた抗日運動が活発化し関東軍や在満
邦人の強い反発をかっていた。関東軍が満州への武力侵攻を決め、軍を続々と
集結させているときはいつもの軍事演習だと思い、何の対策も取らなかったと
言う。満州事変が勃発した時、彼は北京にいたが、日本軍侵攻の報告を受ける
と日本軍への不抵抗を指示した。応戦すれば日本の挑発に乗ることになると判
断したことや平和解決を望んだということ、日本にとって国際的な非難を浴び
るなど好ましくない結果をもたらすだろうと考えたということを当人はNHKの取
材で述べている。
とあります。また・・・
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/37350760.html
満州事変は関東軍の暴走ではない。関東軍は、満鉄の守備など日本の権益
を守る警察の任務を担っていた。 1万人の警察(関東軍)が、日本権益を侵
害していた30万人の武装盗賊(張学良軍)を追放するには、柳条湖事件の
ような作戦が必要だった。したがって、日本政府は、事後であっても、関
東軍の警察行動を承認した。決して関東軍の暴走ではない。次に、満州の
武装盗賊を追放したのは関東軍(警察)だが、満州国を建国したのは日本
ではなく溥儀をはじめとする満州人たちだった。
とあります。がどちらが本当なのでしょうか?
武装盗賊が左派勢力なのかどうか分かりませんが、彼らは
ただの「小競り合い」をしていたのでは・・・??
軍隊を越境させたわけではないのでは・・・?
私は、満州事変は、侵略とはまでは言えないと思っています。
パリ不戦条約は事実上法的有効性が薄いと思うし、主権国家への
攻撃ではないので・・・
けど、林銑十郎越境将軍の独断による軍の国境越えは
やはり、暴走とまではいかなくても、
とがめられてしかるべきで軍の独断による越境であり、
自衛でもないと思うのですが・・・
また、満州国を建国したのは溥儀等であっても
そのような傀儡政権を創らせたのは、日本人なのではないか?
当時の戦略からして現地人に国を創らせた方が、上手に侵入できることは
当然であっただろうから・・
お礼
ありがとうございました。 東京まで行くのは大変だなあとおもいます。