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純粋な子供から、偏見を持った大人になる理由
すべての子供が純粋とは思いません。 子供故に残酷な面もあるでしょう。 しかし、どの時期の何をきっかけに偏見に満ちた自分の視点に疑問を持たないようになるんでしょうか?
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ご質問を投げかけられたお気持ちは子供の純粋な心が大人になっても失はれなければいいのになー、と考えられてのことでしょう。 確かに 周りの大人から何の影響も受けてない 生まれたままの子供は純粋だといえます。 だとすれば「偏見に満ちた自分の視点」は周りの大人からの影響だと考えられます。それらの偏見は 「どの時期の何をきっかけ」ではなく周りの多くの大人からの影響の積み重ねではないでしょうか。 何と言ってもその大人自身が偏見を持っているのですから。極端な場合は教育のつもりで偏見を子供に注入していることもあるでしょう。また教育の仕方によって偏見を植え付けることもあり得ます。 たとえば数学が嫌いな子供もいれば 大好きな子供もいます。 子供を少しでも偏見の少ない人間に育てるためには 親が自分の偏見を少しでも正そうとする姿を子供に見せることです。そのための読書もするのがいいでしょう。 以上私自身に言い聞かせたいことです。
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こんにちは。 小さな子供にとって、母親は世界の全てではないでしょうか。 意識的に、あるいは無意識に、偏見も含めた価値観は母親(または父親)が子供に植え付けるのだと思います。 >どの時期の何をきっかけに偏見に満ちた自分の視点に疑問を持たないようになるんでしょうか? 「疑問を持たないようになる」んではなくて、「持つようになる」んではないですか? 子供が成長して行くと、学校教育であったり友人関係であったり、つまり対母親(父親)以外の人間との関係が育って行く中で、それまでの自分の(親から植え付けられた)価値観が「偏見にすぎないのではないか?」との疑問が出てくるのが自然な姿だと思います。
- popesyu
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日々の経験や知識から獲得した情報を元に人の偏見というか予見性は身に付くものでしょうから、ある時期突然にではなく、日々少しずつ積もり積もっていくものでしょう。 で積もった量に比例して、確信度も増しますから、若者よりも老人が頑なになるのは当然の流れでかと思います。 ただしそういった経験は毎日ほぼ定量かと思いますが、確信する度合いというのは、予見が正しかったと認識に比例するかと思われますので、例えば挫折を知らずにスムーズに成功した場合とか、疑問を持たなくなる度はより高くなるかと思います。
- ozisan
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「三才(みつご)の魂百迄」と言います。 >純粋な子供から、偏見を持った大人になる理由 私が「大人」と言うのは、自分で判断して行動できる人の事を言うと思っています。 こうすればこうなる、こんな時こうしたら上手く出来た。 偶然や、たまたま等の、過去に知り得た情報が脳にインプットされ、大人としての行動を支配してしまうのではないかな、と思っています。
- hyeon
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偏見に満ちた自分の視点に疑問を持てるようになれば大人だと思います。
- zuru
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純粋と残酷は対義語じゃないので根本的に違うのでは? 子供は純粋で残酷です。気味の悪いものには平気で石を投げつけるでしょう。ある程度知識が備わると残酷さを制御できるようになるんでしょうね。