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祇園祭の宵宮で、町家が屏風を展示するいわれ
祇園祭の宵宮で、町家が屏風を展示するいわれを教えてください。 バスツアーで今年の祇園祭見物に行った際、車中で添乗員が宵宮の屏風展示の場所などを説明したところ、控えのバス運転士が、「屏風を見せびらかすなんて、京都人は見栄っ張りだな」と口を挟んできました。 私は、単に見せびらかすのが目的ではなく、それなりのいわれがあるのではないかと思うのですが、ご存知の方、教えてください。
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謂れと呼ぶほど公式な由来があるわけではなく、実は祇園祭の公式の行事ではないのです。 もともと、大変に経済力のあった京都の町衆が日本や世界中から集めた美術品や工芸品を、祇園祭の宵宮の期間中に親戚や知人が集まるのにあわせて(蔵から外に)出して鑑賞して楽しむだけでなく、外からも見物できるようにしたのがそもそもの起こりと聞いたことがあります。臨時の美術館を開設して、ただで見物させる気前の良さを発揮しているようなものです。そうすることで、町衆たちが文化を大切にし、伝統を守っていくことを示しているというわけです。通りすがりの見物人にとっても、普段眼にすることが出来ない重要文化財を見物できて眼の保養になるということです。 今ではかなり数が少なくなったそうですが、今でも十数件がその伝統を引き継ぎ、美術品を飾るというわけです。個人が秘蔵する美術品を見る機会など無いと思いますので、単なる見せびらかしとは一線を画すと思います。 正直、見栄もあるとは思いますが、こうした事を長年続けるのは大変なことです。という訳で、私は毎年ありがたく拝見しておりますよ。
お礼
解りやすく説明していただき、ありがとうございました。 現在は個人所有の名品等を、博物館や美術館が特集展示を行う際に個人から借り出して出品することがありますが、かつてはそのようなことがなかった。名品を所有している資産家や好事家が、鑑賞の楽しみを独占せず、たとえ一日でも一般の人に見せてあげようとの好意なのですね。 バスの運転士は兎も角、笑って肯いていた添乗員にあなたの回答を読ませたいものです。