No,5です。
>相手の気持ちになって考えるっていうのはどうしたらできるようになるんでしょうか?
に対してですが、これは例えば幼稚園児や小学校低学年で完全にできる子はほぼいません。人間関係の中から学び取ってゆくものだからです。
例えば、幼稚園児があるオモチャが欲しいとすると
「そのオモチャが欲しい」
と連呼します。手放しません。他の子が欲しがっていても喧嘩して取り合います。
しかし(精神的に)大人である人はそんなことしません。時と場合に応じて譲歩することができ、自分の欲望だけに集中しません。
この「自分の欲望だけに集中する」というのが気遣いのできない人の特徴です。
「自分がこのオモチャを欲しいように、同じように彼もこのオモチャが欲しいのかもしれない」
譲るか譲らざるに関わらず、そのことに気付くことができる人が相手の気持ちになれる人です。
もう少し身近な例を出しましょう。
あなたは友人と二人で食事をするとします。友人が「良い店があるから」と言ってあなたをある店に連れていきました。そこは焼肉屋でした。しかし、あなたは肉が全く食べられないのだとします。
「肉は食べられないから、申し訳ないけど、違う店でもいいかな」
とあなたは提案します。けれど彼は「でも僕はここがいいんだ」と言って店を変えようとしません。
一般の思考を持つ人なら、この彼のような人をみて「なんて気の利かない、融通の利かない人」と思います。しかし、もしあなたが彼に対して何も思わず「じゃあ、自分だけ違う店で食べればいいじゃん」と思ったのなら、それは正直、障害の粋に入っている可能性はあると思います。しかし個人的にはなんでも障害で片付けるのは好きではありません。
こんな極端な例だけでなく、身近にもっともっとたくさん例はあります。
・誰かが揚げ物にソースをかけたそうだが、ソースが見当たらないでいるとき、自分のそばにソースがあれば取ってあげる
・相手が楽しいことを誰かに話したくてしょうがないとき、話を遮らずに相槌を打ってあげる
・友達が病気になってとても辛そうな時、さすってあげたり「大丈夫?」と言葉をかけてあげる
「なぜ、こんなことをしなければならないの?」「こんなことできない」と思うのなら、この相手を自分だと置き換えてみればよいのです。
ソースを探しているが、見つからないとき、誰かに取ってもらいたいと思います。話がしたくてしょうがない時、話を聞いてほしいと思います。病気になったとき、さすってもらいたい、心配してもらいたいと思います。
あなたが感じたり考えたりしていることは、ほかのみんなも感じていることなのです。ならば、自分だけの欲求を満たすことは、公平ではないと思いませんか?
偉そうに語っていますが、私も中学生の前半くらいまでは気遣いの「き」の字もない人間でした。
しかし、周囲に優しい人がたくさんいて、知らず知らずのうちに多くの気配りを受けてきました。ある日、突然気付いたのです。友達は私がしんどいときに「大丈夫?」と言ってくれるのに、私は友達がしんどいときに自分の話ばかりしていたことに。
今考えると恥ずかしくしょうがないです。できれば過去に戻りたい。しかし、だからこそ人間関係というのは自分を成長させるために大切なものなんだと思います。
確かに自分の個性や、自分の意志に従うことは良いことです。しかし、他人に感謝できない人間に待ち受けているのは「孤独」だけです。他人に感謝できない人間とは、えてして相手の気持ちになって考えることのできない人間なのです。
お礼
回答ありがとうございます!!! あんな風に言われると気になっちゃいますよね。 一度ならいいんですけど、何度も言われると本気で自分がおかしいのかと不安になります。 若いうちならそれでも可愛かったりするかもしれないですが、これから先このままだとちょっとですね・・・